第50話  書斎①

ヴァレーゼ 首都ラグーザ 王宮 書斎



「外相デ・プロビーニ、入室します」


と断ってから、ヴァレーゼ王宮の書斎へ入室してきた外務大臣デ・プロビーニだったが、いきなり国王フランチェスコ7世の怒声を浴びた。


「おう、レヴィニアの第二王女とマルメディアの王弟への嫁入り話、わしゃあ聞いとらんけぇの!どないなっちょるんよ、ああン?」


怒りが沸点に達しているのか、出身地であるシエタヴェッキアの訛り剥き出しだ。


「陛下、どうか御心をお静かに」


デ・プロビーニは懐柔にかかった。


「シエタヴェッキア訛りで話すと、大陸標準語を話せない田舎者と侮れます」


「どこが田舎者よ!わしゃあの、出身のシエタヴェッキアを誇らしう思うちょる。大切な地元の言葉使うとるだけやないの?なあにが大陸標準語よ!元はマーレンジア古語じゃないの!言うたらマルメディア方言じゃ!このワシに、ヴァレーゼ国王に、マルメディアの方言使えちうんか、おおン?去年の航空機の初飛行もじゃが、いいようにマルメディアにやられちょる!わしゃあの、マルメディアの風下に立つ気は無いけぇ、いずれあちちっ!」


喫煙服スモーキングジャケットを着用し、興奮して指に挟んだ煙草を振り回していたが、煙草の火が落ちて手の甲に触れたようだ。


「クリスティーナとフェデリーコ言うたか、確かフェデリーコの婿入りじゃ聞いちょったんやけんど、なして嫁入りになっとるんじゃ?」


気を取り直したフランチェスコ7世は、螺鈿細工の葉巻箱ヒュミドールから葉巻シガーを取り出した。


純銀製の吸い口切りシガーカッターで葉巻上部を切り落とし、吸い口ヘッドを作る。


「しかし、ワシの嫡男と同じ名前とは、不敬にも程があるわい」


「クリスティーネ公とフリードリヒ公です。外務省でもフリードリヒ公が、金銭か領土を持参して婿入りと情報を得ていました。ただ、去年のオストマルク騒乱で状況が変わったのだと考えられます」


名前を訂正し、外務省が得ていた情報を説明する。


「…どう変わった?」


葉巻先端部フット葉巻着火器シガーライターの炎で炙りながら、フランチェスコ7世は尋ねてきた。葉巻を傾けて、先端部が均等に炭化するようにしている。


「未確定の情報ですが」


と、前置きして


「レヴィニア陸軍の少数の部隊が越境し、マルメディアへ侵攻。交戦に及んだのではないか、と」


「騒乱は鎮圧。逆に捕虜でも取られてレヴィニアが大きな借りを作って、婿入りはうなって嫁入りになった。そがいなところか?」


均等に着火するよう葉巻を回転させながら遠火で点火する。


「そんなところでしょう」


「なしてレヴィニアは、正規軍を中途半端に投入した?やるなら戦力の全面投入じゃろうに」


均等に着火した葉巻を一口吸って、そう言った。


「限定的な介入のつもりだったのでは?あるいは現地部隊の暴走。どちらにしても、上策とは言えません」


私が考えても、この作戦は無理筋だ。


「阿呆なこと、やりよったな。ワシんとこのフェデリーコに長女のマリア差し出したんじゃ。ヴァレーゼと休戦協定か軍事同盟結ぶのが先よ。それから全軍いや、ヴァレーゼと共闘して軍を差し向けてマルメディアを叩きに行きゃあ、また結果は違ったろうに」


葉巻を咥えたまま、葉巻箱を差し出して、葉巻を一本勧めてくる。


「サンニクラノス No.5だ」


一本押し戴いて、香りを確かめる。


素晴らしい芳香に、思わず頬が緩む。


「普通なら、その流れでしょう。しかし、戦略的最適解を採用せず、現地の少数部隊のみを投入した。おそらく、レヴィニア中央が関与していなかっだのでしょう」


現地の軍の暴走を止められないとは、文民統制シビリアンコントロールは、一体どうなっているんだ?


「ま、レヴィニアとの休戦協定なんぞ、こちらも困るがな」


また葉巻を一服する。


「陛下、まさか!」


先端部を炙っていた葉巻を取り落としそうになった。


「レヴィニアはダリンスカ県言うちょるが、ありゃあヴァレーゼ領土のドリンツィア州じゃ。ユーボヴェツもウルボヴェッキア州よ。ダルヴァル州ドルワールプレテルニッツィア州プレタニスカレーブニキア州リブニク、失われた領土は回復せにゃいかん。取り戻そう、東北領土じゃ」


5州の名前を挙げ、失地回復を宣言する。


「いや、さすがにそれは…」


「ああ、出来るわけない。それは分かっちょる」


レヴィニアとの戦争を、簡単に否定した。


「……」


デ・プロビーニ外相は、心の中で安堵のため息を漏らした。


60年前にヴァレーゼとレヴィニアの間で、東北戦争…レヴィニアでは戦勝の立役者であった元帥の名前から『シコルスキ戦争』と呼んでいるが、戦争があった。


領土欲剥き出しでレヴィニア侵攻を命じた当時のレヴィニア国王アレッサンドロ4世だったが、寵臣を軍幹部へ据えたり、作戦の内容に注文をつけたり、戦争遂行の細かい部分にまで干渉し、それが原因で敗戦を迎えた。


しかも敗戦後の混乱につけ込んでカルシュタインが火事場泥棒で、ヴァレーゼ北西部へ侵攻。


マルケ、モリーゼの丸々2州とサヴォーナ州の内の3郡を失っている。


「戦争とは博打です」


先端部を炙った葉巻を回転させながら点火し、一服しながら私見を述べた。


「そんなん、分かっちょるわい」


フランチェスコ7世は硝子碗グラスを二つ用意して、糖蜜蒸留酒ラム酒を注いだ。


ヴァレーゼを札にして博打を打たれては、勝っても負けても国民が苦しむだけだ。


負け分を取り戻すのに、また賭け金を積んで勝負する等、あってはならない。


「次の戦争は、おそらく国家総力戦になるだろう。人、金、モノ、これらを惜し気もなくに戦場へ投入できる国だけが、戦争に勝てる」


外相に一つを渡し、自分の硝子碗に入れた糖蜜蒸留酒を舐めるように飲んでいる。


「だが、我が国には無限に投入できる人命も、財貨も、物資もない。戦争には勝てない。勝てないなら、戦争を回避するか、外交で勝利するか、あるいは経済戦争で勝利するしかない」


戦略眼も一流なのに、わざわざシエタヴェッキア訛りで会話をし、暗愚を装っている国王陛下。


複雑なお方だな、と外相は頭の中の備忘録に書き込みをした。


「まあ、アレじゃの。『チンポと紛争は、弄れば弄るだけ大きくなる』ちう言葉がある。天使のように細心の注意はろうて外交で立ち回り、経済発展の為に国政に傾注せにゃならんのじゃ」



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