第45話  ネフスキ通り30番地②

大使を出迎えていた会計班の職員が、大使の胸部の内容物を浴びて絶叫した。


その後から銃声らしき発砲音が聞こえ、右胸部脇に巨大な射出口を作ったフォン・ノイラート大使が、乗降台から転がり落ちた。


呆然と立ち尽くす者や悲鳴を上げて逃げ惑う者がいる中、大使の身体を大使館内へ引き摺り込んだ公使が叫んだ。


「医務官!誰か医務官を呼べ!」





命中したか否か、確認はしていない。


発砲後は銃を放棄して即座に現場を立ち去れ、が命令だ。


建物を出て、ネフスキ通りを歩く人の波に紛れ込んで、シロンスカ中央駅へ向かう。


あ、寒い寒いと思ってたら、雪が降ってきたよ。


軍から賞与ボーナスでも出たら、ヴァレーゼ南部のカタンツァーノにでも行くか。


太陽と美味い酒に料理、陽気な姉ちゃんたち。


今の俺には、それが必要だ。


一命下れば 地獄へ潜入


魔女の鍋を盗み出す


俺たちの辞書は欠陥品


不可能の項目が落丁している


俺たち マルメディア山岳師団


歩きながら、山岳師団の歌が鼻歌となって出てきた。





「捜査が出来ないとは、どういうことだ!我が国を馬鹿にしているのか!」


カルシュタイン公使シューバルトが激昂して、派遣されてきたレヴィニア警察の警部に詰め寄っていた。


「公使閣下のお気持ちは、私にも理解できます。しかし、殺人が行われた現場はカルシュタイン大使館内で、これは法的にはカルシュタイン領内での事件になり、我々レヴィニア警察には関与、捜査はできないのです。治外法権エキストラテリトリアリテなのです」


困惑しながらも、シロンスカ第21分署ロカタンスキ警部が説明する。


「では、では問う!殺人犯はレヴィニア領内から発砲している。何故捜査できないのだ?」


公使は怒りが収まらない。


「それですが、残念ながら市街地でのを裁く法律が、銃器不法携帯罪か迷惑防止条例しかなく、銃器不法携帯は現行犯のみ適用なのです。殺人罪での捜査が行えません」


気の毒そうに警部が説明を続ける。


「レヴィニア領内からカルシュタイン大使館へ向け発砲し、カルシュタイン大使館内で殺人が行われた。これは法執行の間隙を突いた、極めて悪質な犯罪です。憤りを覚えます。しかし、我々には殺人罪で捜査することが出来ず、カルシュタインには捜査権すらありません」


「…我々には何が出来る?」


やや落ち着きを取り戻した公使が質問した。


「警察側としては、判明した事実関係の情報の提供ができるでしょう。そちらは?」


我々の意味を、カルシュタイン大使館とレヴィニア警察と解釈した警部は、そう返した。


「大使館には捜査の専門家がいない。現場検証が行えない。君達レヴィニア警察が大使館員へ現場検証の実地指導という形で、検証を行えないだろうか?」


公使は、現場検証は大使館側がやったことにするので、そちらが検証をやってくれ、と申し入れた。


「ふむ、では『指導』に当たらせていただきます」




連絡を受けたレヴィニア警察鑑識部が大使館で現場検証を行った。


発砲地点を特定する為に、現場には弾道を模した複数の糸が張られ、その結果、発砲地点らしき建物が判明した。


おいおい、あの建物からか?


確か、大使が被弾した後から銃声がしたって大使館の人間が証言していたが、あそこからなら600リーグ(600m)はあるぞ。


凄腕だ。


ロカタンスキ警部は軽く身震いした。


それは強さを増した雪と北風のせいだけではなかった。




建物の捜索が行なわれ、発砲地点らしきトイレから事件に使われた凶器と見られる、放置されていたカルシュタイン陸軍の正式小銃M1720が発見された。


狩猟用として民間に販売している下位交換品ダウングレードではない、交差した剣のカルシュタイン公の紋章入りの軍用品である。


「おのれ!どこまで我々を愚弄するのか!」

情報の提供を受けた公使のシューバルトの怒りは、収まることがなかった。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る