第39話  その名は

マルメディア 首都ノイスブルク 外務省第5局



「存在してない、とはどういう意味だ?」


陸軍情報部部長フォン・カルマンから声が上がった。


「ステファナ・ダイクストラという名前で、マルティニキア国籍、40乃至60代に該当する1667年から1687年に産まれた女性は3人いる。いや、いた。1人は1歳で病死。他の2人の内1人が結婚して姓が変わっている。残りの1人は一昨年に死亡している」


外務省第5局、通称マルメディア情報局局長フォン・ヴァイゼンが説明を続ける。


「ユリアーナ公に付いている侍従は、少なくともダイクストラではない。侍従として採用される場合、我が国では最低でも六代遡って、家系や身辺調査を行う。マルティニキアでも同様だ」


「素性不明な人物が、何故採用されたのだ?」


「マルティニキア王宮庁は何をやっていた?」


治安警察本部長シュレックと高等検察庁次長ヨーストが、ほぼ同時に声を上げた。


「この存在していない女性をマルティニキア王宮庁で採用した当時の担当者は、既に死亡している。採用した経緯は不明だ」


「だが、これで調査終了では無いだろう、局長?」


陸軍情報部次長フォン・フンボルトが続きを促した。


「拘禁しているファン・デ・ポールの証言では、大使のフォン・ノイラートを叱責していたとある。大使は軍だと少将以上の将官で、しかもフォン・ノイラートは男爵だ。その人間を叱責できるなら、軍の地位は将官あるいは官庁なら局長以上の地位かつ子爵以上の貴族だ。カルシュタイン陸軍大学は、女性の入学を許可していない。一般大学から陸軍を志願したか、中央官庁に採用されたかの何れかだ」


淡々とフォン・ヴァイゼンが説明していく。


「軍で女性の佐官が誕生したとなれば、これは一般にも報道されるだろう。だが、それはなかった。我々は、このダイクストラは20乃至40年前にカルシュタイン中央官庁に採用された、高学歴の高位貴族子弟であると推察した」


「見つかったのか?」


シュレックが尋ねる。


「現在のダイクストラの写真から20代の時の似顔絵を作成して、一流校の卒業写真と照らし合わせた。結果、ダイクストラはこの人物ではないか、と判断するに至った」


フォン・ヴァイゼンの随官が、現在のダイクストラの写真、作成した似顔絵、卒業写真を参加者に配布していく。


「マルガレーテ・レーベッカ・テレーゼ・イン・バイルシュタイン。父は元大蔵大臣クロートヴィヒ・イン・バイルシュタイン侯爵。現法務大臣ヴィルヘルム・イン・バイルシュタイン男爵は兄」


「イン・バイルシュタインだと!カルシュタイン独立戦争の中心人物の末裔ではないか!」


フォン・カルマンが叫んだ。


「どこまでマルメディアに仇をなすつもりだ」


「イン・バイルシュタインか。また厄介な名前の人間が、秘密工作の責任者とは…」


ヨーストが眉を潜めた。


「聖歴1689年、ホーエンフェルデン大学法学部を首席卒業。外務省入省。1694年、国際法局課長。1700年、総合外交政策局部長。ダイクストラがユリアーナ公付き侍従となった1702年以来、25年間所在不明」


ううむ、と誰かが呻いた。


「では、この通称ダイクストラことイン・バイルシュタインが秘密工作の責任者であることは確定したな。監視はどうなっている?」


侍従長フォン・エーベルシュタインの問いに


「治安警察が行なっております。週末と週中に王宮からの外出が偶にありますが、監視を振り切ったりするような動きは、全くありません」


とシュレックが答えた。


「自らが何らかの工作をする訳ではあるまい。配下の者が複数いる筈だ。その者の監視を…まさか、ユリアーナ公付き侍従は全員が工作員、カルシュタインの情報部員なのか?」


フォン・フンボルトが危惧していることを言った。


「王宮内に20名を超える敵国情報部員がいるなど、何という悪夢だ」


「ユリアーナ公に関わる侍従については、人員を増強して監視を強化するしかあるまい」

ヨーストが溜め息混じりに言った。


「…ユリアーナ公がいなくなれば、侍従もまた、いなくなる。ユリアーナ公に退場してもらう時期が来たようです。それにしても、イン・バイルシュタインですか」


侍従長フォン・エーベルシュタインの発言内容を理解した会議参加者が、暗い目をして一様に黙り込んだ。

























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