第34話  請謁①

マルメディア 首都ノイスブルク 食堂レストランエピキュール




カルヴィナー豚のロース肉へ塩胡椒しただけの網焼グリルきと、アンクラム川流域産の赤葡萄酒ワインこの組み合わせの何と素晴らしいことか!


レヴィニア外務省事務次官ステファンスキは、幸福感で一杯になった口元が緩んでいた。


夕食を摂りながら頬が緩みそうになるが、農務省事務次官エルマン、参謀本部次長カサンドル、国鉄運転局局長キニスキが同席している。


改めて表情を引き締めて


「マルメディアの経済は活気に満ちていると思うのだが、どうだろう?」


と3人へ問いかける。


「市場には上質な肉、野菜、南方から輸入した果実が溢れています。商取引も活発に行われているようですし、何より民衆の表情が、皆明るい」


カサンドルが所見を述べる。


「それにしても、このカルヴィナー豚の腸詰ソーセージは絶品です。麦酒ビールが止まらない」


そう言うと把手付壺ビアマグを空にして、追加の注文をする。


「どうれ、農務省としても腸詰に対する評価が必「勝手に私の腸詰を食べるな!要…なるほど、生体のカルヴィナー豚の輸出を禁止するのも分かります」


エルマンが言った。


カルヴィナー豚は、マルメディアでしか飼育されていない黒豚だ。


肉は輸出されているが、生きたままのカルヴィナー豚は国外持ち出し禁止になっている。


「アンクラム川の…と言うより、デミンの貴腐葡萄酒特級トロッケンベーレンアウスレーゼも市場で見ました。カルヴィナー豚加工肉もデミン産貴腐葡萄酒も、我が国では高価な物です。それが一般大衆がほんの少しだけ無理をすれば、まぁ何がしかのお祝いの席とかですが、購入できる価格で流通している。外貨獲得の為に、ある種の『飢餓輸出』をしている訳でもない」


エルマンがそう言ってきた。


やはりマルメディアは豊かな国なのだ。


経済力で劣る我が国が敵国認定して戦争を起こすなど、あまりにも無謀すぎる。


最後に国家総力戦になった時、焦土と化すのはレヴィニアだ。


「ノイスブルク南駅を発着する列車を見ました。南方のハイミング、ゼーブルック地方やヴァレーゼ行きの国際列車は、長大な編成ながらほぼ満席。郊外にあるハーマン貨物操車場には、レヴィニア国鉄が所有する全貨車を集めたような数の貨車が、貨物の搬出入をしていました」


キニスキが観察したことを報告してきた。


「そんな操車場が、首都近郊だけで四ヶ所もあります。それに、牽引する蒸気機関車からの排煙の色は、薄い白でした」


「それには、どんな意味があるのかな?」


空になった葡萄酒杯ワイングラスへ葡萄酒を注ごうとしたが、こちらも空だった。


アンクラム・ブルーデンツ醸造所・特級シュペートレーゼの表示がある瓶の追加を頼む。


「ブレーマー産の無煙炭を使用しているのでしょう。また、石炭が火室内で高温で完全燃焼している。ボイラーの効率も良いと思われます。我が国で使用している機関車より明らかに進歩的です」


「機関車の排煙から、そこまで分かるのか。すると、黒煙あげている我が国の機関車は…」


カサンドルの言葉は語尾が消えていた。


「低品質の石炭を使用し、また、火室内の温度も低い。缶の効率も悪い。その状況下で、マルメディアから高品質な石炭の輸入が止まった。国鉄炭鉱のクヤヴィとビトムの硬山ボタやまから、何とか使えそうな低品位炭を選別していますが、選別工程の効率も、低品位炭の燃焼効率も非常に悪い。石炭の代わりに木材の利用も始まりましたが、これも民需との兼ね合いで国鉄への配分が少ない。結局、生木を釜に焼べて、ますます燃焼効率の低下を招いている」


キニスキが淡々と説明する。


「運転局局長、君の忌憚ない意見を伺いたい。このまま石炭の禁輸が続くと、どうなる?」


追加注文したブルーデンツ醸造所の赤葡萄酒は、空になった一本が店にある最後の品だったようだ。


同じアンクラム地区にあるモースブルク醸造所の特級を持ってきて貰う。


「…あくまでも私見、そんな事態にはなってほしくないのですが、春が来る前に十万単位で餓死者が出るでしょう」


背筋が凍りつくようなことをキニスキが言った。


「馬鹿な!小麦の備蓄はあるし、肉、卵の供給量も十分だ。クラビナ海、カリシュ海からの水産物の水揚げもある。他国からの食料の緊急輸入も可能だ。あり得ない!」


エルマンが興奮して捲し立てる。


近くにマルメディアの監視員がいたら、会話が筒抜けだろう。


別に構わないか。


レヴィニアにはマルメディアへ敵対する意思が無いことを理解してもらえる筈だ。


「農務省事務次官、その海産物や肉、備蓄の小麦を国中へどうやって運ぶのですか?」


「どうって、それは国鉄の仕事だろう」


と返したエルマン。


「既に国鉄は燃料不足で機関車の運用に支障をきたし、列車の間引き運転を行なってます。都市部の通勤列車は通常通りに運行できてますが、シュトルフの国鉄火力発電所の石炭が尽きたら、全面運行停止です」


「物はあるが、輸送できない、だと…」


カサンドルが呻いた。


「そんなことが…」


エルマンは愕然としている。


何としても、マルメディアとの話を纏めなければならない。


大使は確か、フェルドマンとかいったな。今回の事態を放置しているのは、職務放棄だろう。


ハインリッヒ3世への請謁の書類も「明日提出する」とか、何を考えているのか?


今日だろ、今日!


あの大使、この国へ赴任して15年になってる筈だが、何をやってきたのだ?


「あー、外務事務次官。軍にはこのような諺があります」


カサンドルが言葉をかけてきた。


ん?


頭の中で独語したつもりが、どうやら愚痴が口を吐いて出てしまったか。


「名将シコルスキ元帥の愛馬は元帥に20年仕えたが、戦略を一つも理解しなかった」


なるほど。


経験年数と能力は、また別の話、ということか。


「料理の味が落ちるような話題になってしまい、大変申し訳なく思う。ここはお互いの胸襟を開くべく、追加の料理と葡萄酒や麦酒を頼もうではないか。当然、ここは外務省が支払うつもりだ」


異議なし、の声が三人から上がった。








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