第一級危険生物 04


 深夜、食堂はもう終了している。今動いているのは、第九の隊員のみだ。刻の差で休みに入っているようで、疲れ果てた顔のエスクとカルロスが酒を飲んでいたが、食堂に新たに人が来たことに気づく。二人は、フロウに続いてエルヴィー、更に子供が居ることに目を見開いた。


 「酒のつまみくらいしかないが」

 

 出された皿にミギノは目を輝かせて喜んだ。しかしなかなか手をつけないで、無言でエルヴィーの顔を見ている。


 「どうしたの?食べていいよ?」


 エルヴィーが微笑むと、ミギノは頷いて『いただきます』と呟いた。


 「家長か主に躾けられている。食べ方も綺麗だ。食い散らかさない」

 「僕ならこんなお皿、一飲みだけどね」

 「お前は食う、ヤル、寝る、の三大欲求で生きているものな」

 「皆同じでしょう」

 「お前ほどではない」

 

 ミギノは黙々と焼き菓子のクルトを食べ続ける。広い食堂は人が少なく静かで、たまに必死で食べ続ける子供のふんふんという鼻息が聞こえた。菓子を与えられてとても嬉しそうだ。


 「僕の乾し芋は食べなかったくせに…」


 エルヴィーは残念そうだが、フロウは当たり前だと顎を袋に示した。


 「あんな汚い魔物ルル入りの袋に、裸で入っている物が食えるか」


 心外だと口を不満に尖らせたエルヴィーを、フロウはある感慨を持って見つめる。


 分からなければに見える、男の表情。


 「フロウ、心配しなくても大丈夫だよ。この子は危険じゃない。魔力を感じないから、魔素アルケウスが少ないんだよ。きっとお湯も沸かせないよ」

 「ただの北方民族ならば、私もここまで警戒しないのだが…。不自然な点が多すぎる」

 「森にいた事? 落人の持ち物? だから他国の間者説は無いって。それより僕は他に気になる事があるんだ」


 「なんだ?」


 エルヴィーは先ほど言わなかった懸念を、フロウに伝えるか迷っていた。

 

 「いや…」


 歯切れの悪いエルヴィーに、フロウは訝しむ。


 「まあ、お前が気に掛けるということは、よほどなのだろうな」

 

 フロウはエルヴィーの生い立ちに他の者より差別心は無いつもりだが、〔数字持ち〕がここまで他人に興味を持つ事が珍しいことは分かっていた。それほどに、ミギノはエルヴィーにとって何かあるのだ。


 「いつもなら、奴隷被害者には興味も無いだろう? たとえ子供でもだ。お前ならトライドの森で遭遇したところで、その場に放置しそうなものだ」


 「ひどいよね」


 言ってエルヴィーは笑うが、それは事実なので否定しない。彼の仕事は、エミーに言われた〔玉狩り〕が最上位なのだ。落人狩りも、彼女に言われたから騎士団に手を貸している。言われなければしていない。

 

 特殊な環境で過ごした玉狩りの、会話はあくまで反射。表面的にはフロウに合わせて話をしているが、娼館の情報交換もエルヴィーにとっては社交的な挨拶に過ぎない。


 他人に興味が無い。興味があるのは聖導士のエミーだけ。


 彼女の事しか頭に無いが、エルヴィーは彼女に嫌われて会う事が出来ないそうだ。エミーに出会ったのは三年前。初対面で嫌われて、以降会った事は無いという。ただ遠くから、愛しい女の姿を覗き見るだけの哀れな男。そのエルヴィーが、エミー以外の人間にここまで執着するのは珍しい事だった。


 「僕もねこの気持ちが何なのか知りたくて、嫌がるこの子を無理やり連れて来たんだよ」

 「嫌がっていたのか?」


 状況が変わる。嫌がる者を捕らえたのならば、ミギノには逃げようとした思惑があるという事も考えられる。奴隷という立場から逃げたかったのか、諜報として敵に捕まりたくなかったのか。


 軍服を着ていないエルヴィーが、奴隷商人リマの居る基地に連れて来た事による、危機感の逃亡が一番理想的な内容だが、フロウはミギノとエルヴィーに違和感を抱き続けていた。


 (大聖堂院カ・ラビ・オール、諜報、ガーランド国が繫がらない。なにより、エルヴィーがここまで表情豊かな事も不自然だ)


 二人の手元には、この基地の前団長が揃えた安くない酒がある。しかしエルヴィーは飲まずに、ミギノと同じ茶を飲んでいた。まるで自分の飲み方を見せるように。


 茶葉が湯に溶け出るまで、運んできた一般の茶器。蒸らすために刻が経つまで開けてはいけない蓋付きの杯を見て、ミギノは直ぐに蓋を開いてしまったのだ。


 (この黒茶の飲み方は、どの国も貴族も庶民も同じはずだが)


 ミギノを注視続けるフロウに、エルヴィーは再び庇うように思考を遮る。


 「また考えてるの? ミギノは敵じゃないよ。じゃなくて、きっと、怖かったんじゃないかな? ずっと震えていたし」


 ミギノは出会ってから怯えたまま、腕を掴んでいなければ歩けずに常に腰を抜かしそうだった。


 「言葉も通じないしね」


 明るい表情をしなければ、殺されると脅されているように笑っていた。ミギノは村の入り口で明らかに逃げようとしたが、それもお見通しだったエルヴィーは絶対に逃がさなかった。その怯えていた子供は、あんなにエルヴィーを警戒していたのに、今は心を許して安堵にお茶の匂いを嗅いでいる。


 「きっと用心深い子なんだよ」


 自分の心の中はエミーの事で一杯のはずのエルヴィーは、もやもやをごまかすように干したペアの実を一つ摘まむと、ミギノの前に差し出した。


 「おいしいよ」

 『・・・・』

 

 ミギノは手を出さずにただ見ている。ペアの実はとても甘く子供に大人気で、ファルドではどの地域でも親しまれる甘味だ。だが目の前の子供は手を出そうとしない。それを見ていたフロウは、強めの酒を口に含み目を眇めた。


 (用心深そうなのは確かだが…。確かガーランドは、ペアの実らない土地のはずだ。ならば実を知らず、味も分からないのでは)


 やはり、敵国ガーランドの間者かもしれない。間違えれば、致命的な事に至る気配が消えない。

 

 (まずミギノの違和感についてだ。用心深い、それは間者にとっては必須の技術。しかし、与えられた食べ物を、臭いを嗅いだ程度で口に入れている。そして全く鍛えられていない身体と、仕事をしたことの無い手。食に対する育ちの良さ)


 メアーが言ったように、無関係の者が敵に利用されて、無意識に間者として投入されるなら、基地に着いた刻に結果は出ている。武器として投入されるなら、対象に遭遇直後、または目的地に到着直後の発動が望ましい。早さが勝負なのだ。


 (その可能性は消えた。そして魔戦士デルドバルの様に、遅効性の兵士だとは考えにくい)


 そして一番奇妙な点、ここまでフロウを警戒させる理由だが、エルヴィーの話しを総合すると、ミギノは死んだ落人から衣服と持ち物を剥ぎ取った事になるのだ。


 (遺体から物を剥ぎ取り、使いこなす。それを強いられた環境に育っていない身体と行動。奪った金を、軍医に支払おうとする…全てが矛盾する)


 この子供はどれも全てちぐはぐなのだ。フロウが出口の見えない考えを巡らせていると、ミギノはごそごそと何かを探し始めた。


そしてところどころ穴の開いた上着の、右側の物入れから何かを取り出し、大事そうに両手に包んだものをそっと二人の前で開いた。


 ーー「「!!」」


 魔物ルルだ。


 第一級危険生物を、ミギノが持っていた。


 (やはり、嫌な感は当たった)


 フロウは立ち上がり周囲に目配せする。彼ら三人が食堂に入ってから、それとなく第九の隊員が警戒に周りを固め、いつでも緊急事態に対応出来るように配置されていた。しかし周囲が動く前に、目の前のエルヴィーの様子に待機の合図を出す。


 「団長、玉狩ルデアりの様子がおかしくないですか?」


 エルヴィーはミギノに手を向ける。彼を誰もが知っている、いつもの人形の様な無表情のまま。


 「エミーのルルを、何で持ってるの? ……ミギノを、殺さなくてはならない」


 あまりにも感情の無い声に、ミギノは怯え驚いてルルを隠した。その様子に、フロウは別の考えが過ぎる。


 (ミギノは、ルルを隠した、)


 まるで、子供が大事な玩具を隠すように。


 「エルヴィー! 止めろ!」


 魔法士の下位の存在だとしても、玉狩りは魔石を介し幾つか無詠唱で殺傷魔法が使える。それは人に対して使用出来ない封じがあるが、落人と魔物に関する場合のみ解除される。


 ミギノは立ち上がり長テーブルの端に逃げた。しかし部屋からは出ずに、こちらを覗っているのみだ。まるで子供が怒られて、でも逃げる場所が無いように。この行動にフロウは確信した。


 「ミギノ、殺さないとだめかな」


 あまりにも頼りない声がエルヴィーからこぼれた。彼は直ぐにエミーの命令に従わなかったのだ。今までの玉狩りには無い行動に、フロウは更に鋭く命じる。


 「止めろ!!」


 手はそのままに、顔だけフロウに向けたエルヴィーの、無表情は変わらない。


 『ねえ、エルビーどうしたの?』


 「誓約グランデルーサしたはずだ。この領地にいる間は、我が指揮下に入ると。違えるならば、制裁を下す」


 周囲で待機していた兵が、フロウの言葉に呼応するようにエルヴィーに身構える。未だ赤い魔石を握り締め、魔力を内包したままの手はミギノに向いたまま。


 「誓約グランデルーサは絶対だ。大聖堂院カ・ラビ・オールの者も等しく裁かれる。院を跨げば、お前の上長も裁きの対象になるぞ」

 「………」


 エルヴィーの人形の様な顔は、フロウの言葉を無視してミギノに向き直った。


 (駄目か……)


 故意にエルヴィーの上長、エミー・オーラを出した。これで止まらなければ、制裁を行使しなくてはならない。しかし、無表情だったエルヴィーに微かに動きがあったのを、フロウは見逃さなかった。


 エルヴィーは、震えるミギノを見て笑ったのだ。優しく、安心させるように。こんな小細工を〔数字持ち〕が一切する事は無い。


 「?」


 その不安定な笑顔を見たミギノは、怯えながらもエルヴィーの隣りに戻って来て、慎重に椅子に腰掛ける。そして強がりにじろりと玉狩りを見上げると、皿のキリに手を伸ばしぱくりと口に入れた。


 「……?」


 小さな口でもぐもぐ咀嚼し始める。キリは大型動物の肉を叩いて干したもので、子供にはとても食べづらいのだろう。飲み込めずに噛み続けている。玉狩りと一触即発の緊張状態の中、突然咀嚼し始めた子供を見守る事になり、周囲では目配せに首を傾げている。


その不穏な空気の中、ミギノはキリをちぎって手で揉むと、エルヴィーに背を向けて物入れの中に肉を入れた。


 『……』


 そして振り返りエルヴィーを睨むと、ミギノは残った肉を口に入れて、今度は焼き菓子のクルトを物入れに差し入れた。行儀悪くもぐもぐと、口の肉が咀嚼に上下に動く。


物入れに差し入れたクルトを確信すると、それを取り皿に置いて違う菓子を手に取った。


 「何をしているんだ?」


 この殺伐とした緊張感の中、あまりの出来事に思わず間抜けな問いが出た。フロウの漏れ出た呟きに、後方から答えたのはエスクだ。


 「……あの物入れの中に、魔物ルルを隠していました。おそらく、魔物ルルに食べ物を入れているのでは…?」

 「なんだと、?」


 確信は無い。第一級危険生物に素手で触れ、ルルを物入れに入れた者も、ルルに餌をやろうという発想がある者も過去に居ないのだ。


 この中の、誰もが想像もした事も無い。


 フロウはエルヴィーを見た。ミギノが起こした信じられない出来事を前に、脅威の存在をすっかり忘れていたのだが、目の前のエルヴィーはただ困った顔をしていた。


 (今日はよく見る表情だ)


 これは、態となのだろうか。そう思うほど自然に困った顔をしている。そして魔力も霧散して、ミギノに向けられていた手は、だらりと下に落ちていた。


 『……』


 ミギノは振り返り振り返りエルヴィーを睨んでいる。まるでルルを庇うように。ミギノのルルに対する行動は、全て子供が隠れて動物を飼う行動と酷似していた。


 そこにはもちろん、悪意など無い。

 

 (ましてや凶悪生物ルルを、餌付けしようだなんて、どこの組織がするのか……いや、大聖堂院カ・ラビ・オールなら完全に否定出来ないが……いや、無いな。殺す事はあっても、餌をやることは無い)


 完全に脱力したフロウは息を吐いて椅子に腰掛ける。臨戦態勢だった周囲も、毒気を抜かれたようにミギノを見ていた。


 「団長ゼレイス、どうしますか?」

 「……」


 こちらも困り顔のエスクだが、何度もエルヴィーを睨んでいたミギノが、改まってエルヴィーに向き直った。そして勢いよくプレートを指さす。


 『このこはそのお皿には乗せません』


 何を言っているかは分からないが、ミギノは怒っている。小さな指が勢いよく示した皿の中の物を見て、後ろでエスクが吹き出した。


 「なんだ? ユベルヴァール、あの子の言葉が分かるのか?」


 フロウは意外な通訳者に振り返る。いやいやと、エスクは人が悪そうに、口の端を上げて笑ったまま。


 「いえ、言語は分かりませんが、あの子の言いたい事はなんとなく。……おそらく、青いペアの実が、乾いたルルだと怒っているのでは?」


 「乾いたルル? …なるほど、」


 あり得る。萎びたペアの実は、確かにミギノが隠し持っていた青色のルルに似ている。子供が考えそうな事だと、フロウも周囲も頷き納得したが、怒られたエルヴィーは困った顔のままだ。


 どうしたらいいのか混乱しているのだろう。彼はミギノに出会ってから、常に何かに混乱している。エルヴィーにとって大切な、エミーとの約束を破ってまでミギノを生かしたのだ。


 「ごめん……」


 エルヴィーが呟いた。何に、誰に謝るともわからずに。だが通じたのか、それを聞いたミギノは満足したように頷いた。


 「ごめん。おごるよ」


 「?」


 ミギノは、得意満面の笑みを浮かべる。


 「しょうかん!」


 「おお!」と辺りはざわついた。「まじか、ガキのくせに!」、「俺も、俺も!」という調子のよい声があちらこちらから上がる。


 「誰だぁ? あぁ、テメエだな。くそ玉狩り野郎。下品な言葉、子供に教えてんじゃねーぞ」


 ミギノの横に、ドカリと座ったステルがまた、エルヴィーに絡み始めた。いつもはステルの苛立ちを無表情で受け流すエルヴィーだが、今日は素直に頷いている。


 「そうだね、ごめんね。ミギノ」

 「気持ち悪ぃな! 謝ってんじゃねーよ!」


 ミギノは突然隣に座ったステルに怯えていているが、空いている席に周囲に居た者達は次々に座り始めた。ステルやエスクに話しかけられているミギノを横目に、フロウは半ば放心しているような顔のエルヴィーと目が合った。


 「で? お前はどうするつもりだ? 保護対象は、ルルを保護しているぞ」


 「……保護か。こんなこと、エミーは言ってなかったしな…」


 どこか宙を見ているようなエルヴィーに、フロウは苛々と酒を口にした。


 「きょにゅうずき」

 「「?!」」


 いつの間にか始まっていた宴会の中心で、ミギノがステルを「巨乳好き」と呼んでいる。それにエルヴィーは我に返った。


 「ちょっとそこ! ミギノに変な言葉を教えないでよ!」

 「俺じゃねーし、エスクだし」

 「それと、ミギノにお酒、飲ませないでね」


 言ってエルヴィーはミギノを自分の隣に戻す。戻されたミギノは、エルヴィーに向かって微笑んだ。


 「飲ませてねーし。な?」


 ステルはミギノの頭をグシヤグシヤとなでたが、エルヴィーが引き離してステルを鋭く睨んだ。頭の傷に痛がるミギノにステルが謝る。


穏やかな雰囲気へと変わった室内、今後の事を思案していたフロウは、全身に気怠さを感じてため息と共に外を見た。すると陽が昇ろうとしている。


 (徹夜してしまったな…)


 『夜明けだ…』


 ミギノが外を見て呟き、エルヴィーとステルも窓を見た。周囲に持ち場へ戻るように話をしていると、不意にミギノが鞄の中に手を入れて、例の板をのぞき込むと再び窓の外を見る。


 同じ様にミギノの手の中をのぞき見た、ステルとエスクが驚愕に固まり、次にフロウを振り返った。それに軽く手を上げて制するが、今も二人は何か言いたげだ。


 「夜が明ける…、『ヨアケダ』?」


 エルヴィーがミギノに微笑みかけると、子供はうんうんと理解に頷いた。


 『夜明、「ヨガアケル」…夜明』


 何度も、何度も繰り返す。次第に目頭が赤くなり、大きな黒い目に涙が溜まってきたが、それはこぼれ落ちなかった。空を見上げてはエルヴィーに繰り返していると、彼は頷いてミギノの頭を優しく撫でる。そしてふと、フロウを見た。


 「フロウが命じたんでしょ? 僕はこの子を傷つける事はしないよ。大聖堂院カ・ラビ・オールも怖いしね」


 「ね!」

 『ね?』


 ミギノに笑いかける笑顔は、やはり〔本物〕に見えた。

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