第十医療師団長 03


 夜も深まるが館内は煌々と明るい。リマは公爵だった為に、優秀な取り巻きを揃えていた。エスクと共に内部に潜入した者達に腐敗の元は瓦解させたが、取り巻きが隠した資料は山のようにあり、未だ事務作業は終わらない。更に貴族院への報告書を兼ねて作成するので、余計に刻が掛かるのだ。


 「団長、お帰りですか? あれ? それ」

 「しっ! それ以上口に出すな!」

 

 肩に担ぎ上げた温かい体温。上官を見ないように、すれ違いに奇妙な無表情で敬礼を繰り返す隊員達。それを素通りし第十師団が駐留する館内に入った。


 子供を医師に見せるためだ。エルヴィーの話では、この少年はトライドの森に隠れて居たらしい。


 全く言葉が通じず、顔立ちから北方の民族かもしれないと推測する。大陸外の南方部族の獣人は闘技用に、北方民族は大人しくて従順だと、禁止されているはずの奴隷市では今でも人気があるのだ。


 (おそらく、この子供は自力でリマから逃げたのだろう)


 奴隷被害者法が適用される。帝国は、被害者を保護する義務があるのだ。


 (あの豚の罪状が増えたな)


 未だ拷問中の犯罪者を思い出して、フロウは仄暗い顔をする。


 医療師団の第十師団と合流後、予定していた拷問を開始した。医者が居れば、拷問で傷付き気絶しようが治療と併用し、長引いても望む情報が得られるまで行えるからだ。有益な情報を提示出来なければ、犯罪者は死ぬことも許されない。


 冷えて暗く長い廊下を奥へ進み、別棟へ入る。第十の駐留先は全て医務室と化すが、今は深夜。その中で確実に起きている男の部屋を開いた。隊員は医療従事者でも柄が悪いのは当たり前だが、中でも相当に機嫌が悪そうな男が出てくる。


 第十師団長、テスリド・メアー・オーラ。


 なぜ師団長が、この田舎の基地に二人居るのかは、当人達しか知らない。


 「今は何刻だ? 刻を読めない者が上官とは、お前の部下は悲惨だな」

 「緊急事態に刻は必要ない。読めるものではないからな」

 「……で、なんだ。それか?」


 『……こんにちは』


 「奴隷か。全部回収したと思ったが、何処に居た?」

 「森に隠れて居たそうだ。エルヴィーが見つけて保護をした」 


 「…そうか。自力で逃げたのか。根性あるな」


 『……』


 初めは勤務外だと悪態をついていたメアーだが、子供の傷だらけの状態を見て室内に促す。大人しく椅子に腰掛けた小さな子供を慎重に観察すると、エルヴィーが簡易手当したカ所以外を軽く見て、深そうな傷口を素早く再度確認し始めた。


 「発熱、裂傷、打撲、それに凍傷、骨折は無し」


 「凍傷?」


 「森の中に、凍傷になるほどの場所があったか?」


 エルヴィーの疑問にフロウも首を傾げる。


 「軽いものだ。岩場の隙間とか隠れていたら、夜は冷えるんじゃないのか?」、

 [ここ…痛いか?]

 

 『っ、……、』


 「我慢するなよ。でも折れてはいないな」


 骨折を確かめるために圧された足首、それに子供はうめき声を我慢しているようだった。崖から落ちたような擦過傷、打撲傷が異様に多い。


 「よし次は上を脱げ」


 『……?』


 「上着、上衣、着てるもの」

 『あ、なんとなく分かります分かります。でも、ここではちょっと、それに、他にも人が、』

 「遠慮すんな。ガキは恥ずかしがらないで脱げ。ここでは問題ない」

 『この辺は、全く問題なしなので、結構です』

 「脱げ。おいエルヴィー、こいつ押さえろよ」

 「メアー、嫌がってるならやめて。顔にもそんなに傷は無いし、痛そうな腕とか早く診てあげてよ」

 「嫌がってる? …まあ、そうか。なんだてめえ、珍しくよく喋るじゃねえか」

 「僕はいつでもよく喋ってるよ。さっきフロウに聞いたんだけど、西の通りのアトラスってお店はあんまりなんだって。女の子達がごつごつしてるみたい。だからメアーには、別の娼館奢るからね」


 「あんた達の、その話は結構だから。それで、そこのクソヤロウと俺を、一括すんじゃねぇ。」


 「メアーはお酒だっけ?」

 「違うな。メアーは菓子だよな」

 「…そうだな。北の大陸で流行ってる焼き菓子でいいぞ。持って来い。楽しみにしているぞ」

 「ああ、あの豆飯を平たく伸ばして焼いたやつ? ……北かぁー。遠いなぁー」


 北の大陸へは敵国ガーランドを経由する。海上は、海流的に迂回は難しいのだ。大渦や荒波により商船では渡れないので軍艦しか海峡を渡れないのだ。


 軍艦などで他国に乗り込む理由は多くはない。

 

 「……まだ国交がないからなぁ。下手したら密入国になるね」

 「一週間以内」

 「鬼! やっぱり、娼館奢るよ。女の子、良いよ」

 「じゃあ六日以内」

 「むりむり!」 

 『むりむり!』


 「?」


 先程から熱心に三人を見ていた子供が、突然エルヴィーの真似をした。


 『むりむり?』


 にこり。白い頬を紅潮させて得意気に笑う。男たちは小さな子供を見下ろし顔を見合わせた。


 「こいつ、言葉覚えようとしてんじゃねーか?」

 「ミギノー!えらいねぇ!」


 よしよしと頭を撫でるエルヴィーは、傷口を避けながら慎重だ。撫でられた事で子供は照れて俯いてしまう。


 「ミギノ? って名前か?」

 

 フロウが聞くと、小さなミギノは察したかのように頷いた。


 「ミギノ・カミナメイだよ」


 頷くだけのミギノに、代わりにエルヴィーが得意気に答える。


 「やはり北方セウスの子か?変わった響きだな」


 「北方セウスじゃないかもしれないぞ」


 以外な言葉に、二人はメアーを見た。


 「俺も初めはそうかと思って、治療中に何度か北方大陸あっちの言葉で話しかけたが、全く無反応だった」


 「北方セウスでは無い…、では南方大陸言葉だろうか?」

 「僕はよく分からないけど、南方ってガーランドと同じじゃなかった?でもどう見てもミギノは北方の子だよね」

 「どうだかな。北方のやつで通じないのは初めてだ。エスクランザ語は北方大陸なら全域かと思っていたが、ど田舎出身なら分からないしな。…意外と西大陸かもしれないぞ」

 「からかうなメアー。幻想の西大陸に人は居ない」

 「そうだよメアー。ミギノは困ってるんだからね。真面目に考えてあげて」


 「お前らこそな。よく考えろ」


 メアーは医者で、語学にも長けている。体付きを見て、ミギノが少女だと分かっていた彼は、彼女が男装して逃げたのだと推測していた。肩を越すだけの短い黒髪を一つに結わえ、短い下衣に下級兵士が遠征で身に着ける防寒靴下に半長靴。そして帽子付の短外套で変装している。


 医療部隊として、奴隷と虐げられた北方の民を何度か救出して知ったのだ。女性は腰まである長い黒髪を誇りにしており、子供とはいえそれを切って逃げることは余程の事なのだと。 


 北方で女性の短い髪は罪人の証。


 男装して逃げようとしたり、商人に髪を切られたりした女性達が救出されると、髪を隠す為に皆一様に布で頭を覆っていた。目の前の少女からは、そのような悲壮感は感じないが、本人が男装を貫き通そうとしていれば哀れである。


 メアーはあえてこの場でそれを説明するのは止め、話を存在しない西大陸にすり替えようとした。しかし、少女ミギノが取り出した物で、状況は一変する。


 ミギノは治療の為に床に置いていた鞄を探ると、中から白い板を取り出した。柔らかい白い生地で包まれていて、ミギノが押すと文字らしき物が現れ消えたのだ。それを見て少女は少し困った顔をして板をしまうが、男達は慎重に目を合わせた。


 「今のは何だ」


 鋭いメアーの茶水晶の目がエルヴィーを射抜く。


 「メアーの方が詳しそうじゃない?」

 「知らないから聞いている」

 「魔法陣ではないと思うよ」


 その回答が、一番重要だろう。答えによっては、今、ミギノは二人の団長に拘束されるのだ。


 「魔力を発していない。仮に魔法陣だったとしたて、この子の反応は何かを仕掛けた状態じゃないよ」


 「……」

 「確かに」


 ミギノはまた熱心に三人を見つめて、今も言葉を聴き取ろうとしている。


 「それに、今のは道中何度もあったんだ。仲間を呼んでいたり、企みがあるのなら、僕たちに見せる訳がない。それに、この子は森に居て、僕が無理やり連れて来たんだ」

 「こいつがマヌケで、使われているだけかもしれない」

 「待って待って、何のために? 他国の間者だったとして、この子は今、最大の窮地に飛び込んでいるよね?」


 目の前にはファルド帝国の二団長、魔法士の玉狩り《ルデア》。三人共に経験上、黒と決まれば情は無く、生命を断罪出来るものたちだ。


 「マッテマッテ」


 「「「!?」」」


 室内に零れた高い声。白く丸い頬は紅潮し、黒い瞳はキラキラ輝いてエルヴィーの口元を見ている。そして目線がぶつかると、必ず理解を示すように頷いていた。


 「罠じゃ、ないのか…?」


 エルヴィーに頭を出して、撫でられようとしているミギノを、何故かごくりと飲み下したフロウは凝視する。騎士団長の心なしか鼻息が荒い事にメアーは嫌な顔をした。


 「フロウは、何の罠にかかろうとしているのさ」


 差し出されたミギノの頭を撫でながら、エルヴィーは苦笑いをする。さっきからフロウのミギノを見る目つきが怪しい事に、周囲は警戒に目を眇めた。


 「そもそも何でお前は、この、子供をここへ連れてきた?」

 「森で会ったって言ったでしょう? …あの森から早く引き離したかったんだ。周りには魔物ルルも沢山いたしね」


 もう一つの懸念を、エルヴィーはここでは見送る。

 

 この状況に団長二人は思案した。確かに、ルルと呼ばれる小さな魔物は危険視されている。大聖堂院の聖導士が、ルルは落人を呼ぶと断言したのだ。


 水滴を大きくしたような魔物ルルは、集まると落人を呼ぶと聖導士が帝国内に注意喚起したのは十年前。


 以前はグルディ・オーサの戦いの戦死者が天に帰れず地に留まり、魂が塊になって森を彷徨っているとトライドの人々に見守られているだけだったそうだが、今では魔物として狩られているのだ。そして危険な落人が、トライドの森付近に多く出現する。


 ルルが森に集って、それは落人を呼び寄せている。


 確かに落人が現れるこの期間に、森にこのような子供が居れば、あっという間に殺されるだろう。玉狩りのエルヴィーは、落人を呼ばない為にルルがよく現れる月に狩りをするのだ。


 「それに僕でも、さすがにこの子を守りながら、一人で落人オルを倒すことは難しいよ」


 「落人オルが居たのか?」


 「いや、なんていうか、気配だけ。…でも間違いないと思う。近々来るんじゃないかな」


 エルヴィーの断定に近い言葉。落人の種類によっては、町一つ壊滅してしまう。


 「それとこの子供への疑惑は別だぞ。今この状況で襲撃されれば、少なくとも二師団は混乱する。玉狩り《ルデア》がお前だけの派遣なら、落人オルだって助かるだろう」


 冷静にミギノを見たメアーに、エルヴィーは笑う。


 「落人オルに知能なんて無いよ。それに疑惑って言ったって、だってその子の持ち物は、別の大陸の物じゃ無いんだ」

 「何故断言出来るのだ」


 「その子の持ち物は、落人オルの回収物だから」

 

 「!?」


 エルヴィーはミギノに身振りで鞄の中を指した。ミギノはエルヴィーの手の動きで頷くと、肩掛け鞄から白い板を取り出しエルヴィーに渡した。


 「おい!」


 フロウの動揺を無視して、エルヴィーはミギノのように白い板を触る。何やらミギノがエルヴィーに指図して、板をかざしてのぞき込むと、ピロリンと音がした。それを見せてくる。板にはミギノとエルヴィーが写っていた。


 「投影機か。こんな早い転写は初めて見たぞ」

 「しかも鮮明だな。魔石投影でも、こんなに鮮明な物は見たことが無い」


 更にミギノは操作して何かを示した。そこには菓子のような物と、沢山の動物、同じ服を着た子供達が笑顔で写っている。流れるように指は箱の上を滑り、最後にまたミギノとエルヴィーが出てきた。ミギノはしばらくそれに見入り、また鞄へ戻すと大事そうに腹に抱え込んだ。

 

 きゅるるる。


 腹の虫がした。ミギノの顔がどんどん赤くなっていく。


 「そういえば、ここに来る道中、何も食べさせてないや」


 逃亡被害者の救護のあれこれを、玉狩りは知らないだろうが、こんな傷だらけの子供に食べ物を与えないエルヴィーに、フロウは間者説を放り投げて憤った。


 「だって乾し芋は食べないって、返されたんだ。僕、乾し芋しか持ってなくて、」


 「とりあえず、何か食わせろ。今なら食えるだろ。水分だけでも取らせろ。ガキの尋問は明日以降だ」


 「ありがとう、メアー。本当に、娼館奢るからね」

 「このガキが何か問題を起こしたら、責任の一切は大聖堂院カ・ラビ・オールで処理してもらうぞ。軍は責任を負わないからな」

 「こわいなあ、僕、下っ端なのに」

 「それと、食わせたら連れてこい」


 「え?なんで? 治療は終わったよね? まだミギノの体調に何かあるの?」


 焦るエルヴィーに、メアーは片眉を上げる。


 「逃亡被害者の保護は第十の管轄だ。うちで管理するのは当たり前だろ?」

 「被害者じゃない場合は、捕らえた隊の管轄だ」

 「あぁ? なんだてめえ。いつも面倒ごとは喜んで押し付けるくせに。今回も逃亡被害者と孤児院のガキどもとお姫様、まとめて放り投げやがって、管理は誰がしてやったと思ってんだぁ?」

 

 一触即発である。メアーの態度は理解出来るが、フロウはいつもの彼らしくない。


 「他の被害者と同じ部屋は危険だ。不安要素が多すぎる」

 「管理は俺の方でやる。口を出すな」

 「いや、軍規十二条を発令する。疑わしき者の管理、尋問は第一捕縛者、またはその者の所属する隊の権利とする」

 「食い下がるじゃねぇか。…あぁ? まさかてめえ。例の噂は本当か? ガキに宗旨替えしたって」


 「?」

 

 「違う!! 貴様まで、おかしな事を言うな! しかも男児なんて、新しい種目を増やすな!」


 にやつくメアーに、顔を赤くして焦りだしたフロウ。エルヴィーだけは神妙に考えていた。


 「ねえ、第一捕縛者って、僕じゃない…?」


 鬼の形相、振り返る団長二人。


 結局ミギノはエルヴィー預かりとなり、在駐責任者のフロウに行動の合否を確認しつつ、主治医権限で第十棟に入院扱いとなった。この取り決めの間に、再度「ぎゅるる」とミギノの腹の虫は鳴る。


 エルヴィーがフロウに、施設内の行動範囲の確認をしていると、ミギノはまた鞄をごそごそと探った。取り出した黒い物を見て、メアーはそれが財布だと分かる。中に紙幣らしき物が数枚と、色違いの硬貨が入っていた。


 ファルド帝国では紙幣の流通は無いが、他国の文化で利用があるのをメアーは知っていた。ミギノは中身を一通り机に広げると、紙幣の一枚をメアーに渡した。


 「変わった絵だな。…これ、隠し文字が入ってる」

 横目に見ていたエルヴィーが「それも落人オルの回収品の中で見た」と補足する。


 逃げる道中、森で拾ったのかもしれない。自国の硬貨では無く、使用方法が分からないから、全て広げて見せたのだろうとメアーは推測する。いずれにせよ、これはエルヴィーが回収して大聖堂院預かりになるだろう。落人に関することは、魔法士が研究権限を持っている。


 メアーは渡された紙幣を返してミギノに首を振ると、彼女は困った顔をして、そしてエルヴィーを見た。


 (かなりこの男を頼りにしているようだ)


 玉狩りなんかに懐くとは、やはりこの国の出身で無いことは間違いない。話が終わり部屋を後にすると、ミギノがくるりとメアーを振り返った。


 「おごるよ、しょうかん」


 聞き間違いか、三人はぴたりと動きを止めた。


 「エルヴィー。」

 「……ミギノ、」


 子供が、大人の駄目な言葉を覚えてしまった。

 

 変な笑いがこみ上げる。

 

 子供特有の無邪気さで、失礼な発言はあるだろう。しかし、メアーとフロウに関しては、生まれから貴族で家柄は公爵位。泣く子も黙り、震え上がる二人なのだ。


 軍に入隊し、粗野な事情や言葉にも慣れたが、親しい部下や仲間以外から、面と向かっての粗野な発言は無いに等しい。貧困街、娼館、牢獄でさえ、彼等は気を遣われる立場だ。


 貴族では無いが、気安く話しかけるエルヴィーは別だ。


 人としては認められていない。


 彼は忌まれし者。〔数字持ち〕なのだから。


「おごるよ」


 再び繰り返される拙い言葉。年端もいかない少女から、この台詞は新鮮だった。メアーは久しぶりに自分が笑った事に内心で驚いた。


 「あぁ、約束だな」


 少女はメアーの返事に、満面の笑みを返した。横で見ていたフロウも笑って「私も頼むよ」とからかうが、エルヴィーだけは困った顔をして、去り際に「娼館は、僕が奢るからね」と念押しして扉を閉めた。

  

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