第九師団 02
「ーーーー、以上になります」
「ご苦労、ユベルヴァール中尉。さすが元第一師団出身だけあるな」
「リマ大佐には、若輩の小生にお目をかけて頂いております」
魂の眠る森を有する西方最前線。ファルド帝国自治区第五師団統括本部内(トライド王国グルディ・オーサ農村跡地)、執務室には立派な髭を蓄えた恰幅の良い壮年の男と、褐色の肌、黒髪黒瞳の猫のような細身の男が談笑している。
「上司に対する暴力行為で左遷、第一師団騎士団長、あのヴァルヴォアールに歯向かうとは、どんな野蛮で命知らずの猛者かと思ったが、優秀な君で助かった」
「こちらに異動になりこの半年、大変有意義のある時間を過ごせました。まさか温厚、慈善活動家で有名なリマ公爵が人身売買のルートを幾つもお持ちなど、愚鈍なヴァルヴォアールには理解出来ないでしょう。孤児院と称した幼児売買斡旋も、周囲の慈善活動家も気づいておりません」
「ふははは! 君こそこの短期間で、まさか全てを売りつけるとは見事な手際だった! まさか幼児収集家のコネを持つとはね。帝都に里子を出せたと、騙されたとも知らないで、哀れな天教院の修道女が喜んでいたぞ! トライドの戦争孤児は田舎臭くて値段が低くて困っていたのだ」
リマは温厚で人が良さそうな柔和な表情をしているが、汚い金で醜く太った腹を揺らし笑っている。それを見守るユベルヴァールも、猫のように目を細めて微笑んでいた。
「…それにしても。君もよくやるな。我が帝国を誇る精鋭部隊、第一師団は危険を顧みず帝国と騎士の誇りに命をかけるとは、よく言ったな。あんな危険な渓谷を開拓中の獣人奴隷の安全ルートにしてしまうとは、君のお陰で獣人も無駄なく売れそうだ」
「第一師団に誇りなんて、微塵もありませんよ…。伝説のエールダー騎士団長の時代は終わったのです。今の奴らはヴァルヴォアール
「ラーナ姫のことか。やはり王族は物珍しくてな。高貴な血筋を飼い慣らしたい者は多い。落ちぶれた王族とはいえ、高値がついた」
「買い手はシオル商会ですね。帝国の闇も困ったものです」
ユベルヴァールは窓の外、遠く一筋の煙を確認した。
「今回も、尻尾は切られたようで。痕跡は消されたそうですよ」
飼い猫のような男の雰囲気が、突然がらりと変わる。媚びるようなにやついた笑顔が消え、大型の肉食獣のような鋭い眼で目の前の太った獲物を見た。
「何を言っている? なぜ貴様、シオル商会を知っているのだ!」
その商会の名は、配属されて半年の新米部下には教えていない。新しい上客の開拓、数多くの逃亡奴隷を捕まえる手際の良さ。大事な取り引きで病欠になる使えない部下より役に立ち、そろそろ大きな仕事としてシオル商会に関わらせようかと考えていた最中だったのだから。見るからに焦り動揺し始めた大佐を、中尉は塵を見る目で見据えた。
「実は私、第一師団から異動された訳じゃ在りません」
嫌な汗が出て怒りと混乱で言葉が出ず、ヒキガエルのように引き結ばれた口から呻き声が出た。
「第一師団は表向き。こういう駄目な案件が発生すると、裏では第九師団として行動するのです」
「なんだと…?」
第九師団とは末尾、数合わせの名ばかりの師団。式典なども主席せず、第十から始まる医療部隊のためのつなぎだとリマは認識している。「衛兵!」慌てて叫ぶと、無許可に扉が開いて響く長靴の音と共に数人に囲まれた。
「私の上司は変態だと言ったじゃないですか。優秀な
「もちろん、国の税金でな」
数人の中央から低い声がした。金髪碧眼の怜悧な顔を、リマは何度か式典で見ている。だが同じ公爵位で騎士団第五師団長の自分ですら会話など出来るはずもない、古くからの大貴族である雲の上の存在。
「ヴァルヴォアール
「罪状」
「人身売買、獣人売買、奴隷斡旋、天教院冒涜並びに、我が帝国領土属国、トライド王族ラーナ姫略取」
「テリード・グレイル・リマ公爵、
リマを囲んだ兵士達が、次々に読み上げる内容を、リマは理解出来ていない顔をした。分からないままにユベルヴァールを見上げる。
「証拠は、全てこのユベルヴァール中尉より報告済みだ」
第一師団騎士団長の横には、この半年自分を補佐した青年が無表情にこちらを見下ろしている。そして彼が目で合図すると、リマの口に轡が嵌められ後ろ手に拘束された。自らの罪人の格好に我に返り、騙された怒りをユベルヴァールにぶつけようにも、既に口は封じられている。
「きふぁあ!! うおほええおえ!!!」
もうリマに、弁解という言葉は求められていない。次に轡が外される刻は、シオル商会への繋がりを拷問によって吐かされる場なのだ。
**
「安心しろ。買い漁った幼児も、トライドの姫も団長の毒牙にかかってないぞ」
同僚のステルがエスクに笑うと、リマの代わりに執務室に座ったフロウは困ったように笑う。
「潜入ご苦労。誤解を招くような発言は止めたまえ、テイオン中尉。エスク・ユベルヴァール中尉、一連の噂の発信源はお前か」
容姿端麗、花形の騎士団長職につきながら、二十八歳で未だ独身のフロウ・ルイン・ヴァルヴォアールには噂は絶えない。本人にその気は一切無いが今までは、男色説が大半を占めていた。だが今回任務の都合上、多くの孤児を保護したことにより、幼児恋愛説が広まり始めている。
「獣人愛好説でも良かったですね。あんな些細な手当てで、この激務。給料上げて下さい。危険手当増やして下さい」
任務中に事務方から渡された給与明細を確認して、エスクは怒り心頭だ。
「いくら後任の
「リマを欺く為の工作だから。エスク・ユベルヴァールは左遷されたんだろう? ここに。私を殴った罪でね。今回のお前の給料やらは、きっと来月に反映されるから」
来月に反映、それを聞いてエスクは沈黙した。だが任務とはいえ一芝居打つために、酒場で上官であるヴァルヴォアール団長を殴った事も事実。そんな機会はもう二度とないだろう。本当は横に居る同僚のステルがやりたがったが、工作員の適性が、エスクの方が上だったのだ。
団長ヴァルヴォアールを殴れるなんて、願っても金を積んでも出来る事ではない。しかし、それよりもエスクは給料に反映される手当ての方が重大だった。
第一師団の連中は総じて優秀だが、フロウが選出した、第九師団を兼ねる数十人は、皆個性が強めなのだ。
師団とは名ばかりで、人数も五十に満たない隊員だが、軍の予算はしっかり一師団分計上してある。フロウ曰く、「被害者給付金。必要経費」らしい。
今回もそこから奴隷購入などの資金が出ているのは間違いないが、結局、賊を捕まえた事で購入額を上回る利益が回収される。要は任務が成功すればお得なのだ。
第九師団の出張は、戦争でも起きない限り第一師団として日々行動するよりも危険度は大きい。そして基本給は第一師団からの給付だが、あまり多くない危険手当に、出張旅費、日当が二百シンだけである。
二百シン。外食すれば、二食はギリギリだ。
ほかの隊員は任務が面白いからや、団長命など、騎士として不道徳な動機の者も複数いるが、エスクも小金の為に日々働いている口だ。それに軍属である以上、一師団割増し分の軍費が、どこでどうなっているかなど野暮な事はエスクも追求はしない。
命に関わりそうである。
「シオル商会は現れませんでしたか」
五十年程前に現れた闇組織〔シオル商会〕は、ファルド帝国で暗躍し続けている。人身売買、違法薬物の配布、奴隷市などで国民を陥れ首謀者もわからず、騎士団、天教院を悩ませ続ける。
今回、第五師団長リマの愚行により、第九師団として行動したフロウ達は、リマよりシオル商会への手掛かりを掴もうとしたのだが失敗した。潜伏先の関係者は殺され、シオル商会は全て消え去った後だったのだ。
「手掛かりはまだあるだろう。リマの周囲を尋問する。今から寝ずに証拠集めと、西方の前線を立て直す事に尽力しろ。来月以降、基地の後任は第四が仕切るが、リマの膿を出すのは我々第九だ」
******
第九師団がグルディ・オーサ基地に派兵して一週間後。
今回の第九派兵に伴い、奴隷として囚われていた被害者を医療部隊である第十師団が近くの野営地で保護していた。天教院が魂の眠る森で天帰祭を行う際に基地まで慰問に来たので、希望者を帝都の院に保護してもらうため、リマ更迭を機に第十も基地入りすることになっている。
毎年、天教院はこの地で失われた多くの魂を、鎮魂する為に祭事を行う。それと共に現れるのが、天教院と双璧を成す魔法士組織、大聖堂院から派遣される、玉狩りの魔法士だ。彼等は〔落人〕と呼ばれる魔物を狩りに来る。
大聖堂院は騎士団とは別に聖導士団を有し、魔戦士という精鋭組織を持つ。
多くの貴族や貴族院が支持する天教院と騎士団。
少数の貴族や聖導士が支持する大聖堂院と魔戦士。
二つの組織は、何かにつけて対立している。
大聖堂院は魔法士、研究員を要し、不死に近い無謀な戦い方をする魔戦士を主力とする。どれも得体がしれないが、この国の中枢を担う組織ではあるのだ。それに不気味な研究をしているだけはあり、彼等は未知なる魔物の扱いに特化している。
この大陸には異形の魔物は存在しないはずだったが、五十年前の戦い以降、魂の眠るトライドの森の周辺には〔落人〕と呼ばれる魔物が現れ始めた。
天から落ちてくる魔物は、見た目は人と変わらないが、どこかしら欠損している場合が多い。
腕が取れていたり、足がねじ曲がっていたり。そして奇声を上げて、奇妙な動き方をする。まるで操り人形のように、がくがくと動き手当たり次第に生き物を殺す。
そして落人は、動けなくなるまで動き続けるのだ。
有効とされるのは首と胴を離すことだが、落人自体が異様に強く、武器を持つ兵士でなければ切り離すのは困難で、離したところで胴だけが動いている場合もありとても厄介なのだ。
とある村では遠くから落人に火を放ったが、火がついたまま歩き回り、村自体が大火事になった事例。また別の村では、落人が村人に取り憑いて、村が壊滅した事もある。
西方最前線のグルディ・オーサ基地では、基地の周辺にある村々を落ち人から守る役割もあるのだが、大聖堂院が派遣する玉狩りの魔法士は、騎士よりも落ち人退治に特化していた。
なのでその部分だけは、騎士団は不仲な大聖堂院の玉狩りと共闘する事がある。
「そういえば
「俺も
「獣人と魔物を同列にするな」
寝ずの事務作業に、頭がぐらつくエスクとステルの無駄口が多くなってきた。便乗で他の者までざわざわと無駄話を話し始める。交代制で小休憩はしているが、一度休暇を与えた方が効率が良いかもしれない。そう考えたフロウは彼等に交代で休みを与えることにした。
**
取るつもりはなかったが部下に強く勧められ、フロウは最初に休みを取る事になった。
基地の周辺に点在する村々に、元居たトライドの国民はほとんど居ない。極東の島々から集った移民が多く、トライド国民は大半が戦死し、生き残った者達は王の城下で細々と暮らしていた。
かつて農村地だったこの地は、戦地の穢れで農家は土地を手放した。西方最前線として、ファルド帝国が自治区として基地を建ててからは軍人目当ての飲食店や娼館が幾つも並ぶ。
フロウは罪人リマの残した疲労の解消の為に、娼館を梯子した。未婚の理由は女が嫌いだからでは無い。今のところ、結婚には縁が遠いだけなのだ。
そして特定の恋人も居るには居たが、長続きがしない。大貴族のフロウを求めて来る女は、権力と知性、美しさを兼ね備えている者ばかりだ。周囲を押し退け、フロウの隣に立つ事を勝ち取った者達。
そんな猛者に、なぜかすぐに彼は飽きてしまう。
だから二十を過ぎた辺りから、フロウは特定の女を作らずに、娼館で済ませる事が多くなった。
(今年は二十八。そろそろ実家が黙ってはいまい。毎年煩いが、本格的な見合いに外堀から埋められていそうだ)
この年齢には、ファルド帝国騎士団長のおかしな噂話がある。
第一師団騎士団長が二十九で未婚の場合、トライドの魂の眠る森に未だ居る、英雄オルディオール・ランダ・エールダー公の呪いを受けて、生涯を未婚で終わるという。
エールダー公は、先の大戦で婚約者を残し戦死した。
奇しくも同じ役職、二十八になった未婚のフロウは今、トライドの森付近に居る。
(これも公の導きか?)
迷信の類に頓着はしないが、不思議な縁は感じた。
過去五十年の間に、三回騎士団長は代替わりしている。先々代は戦死し、先代は高齢の為フロウが跡を継いだ。そしてその先代は二名共に未婚であった。
フロウ自身は結婚がしたくないわけではないのだが、あと一年。本人に焦りは無く、迷信を信じてもいないが、それを知っている身内が大きく騒ぎそうでため息が出る。
(こんな事を考えている、場合ではないのだが)
見上げると、大きな青い星は明るいが深夜になり風が冷たい。そろそろ基地に戻ろうと足を向けると、正門前で何やら揉め事が起きていた。
(ステルか、何事だ?)
あの男の怒鳴り声は離れていても響くのだ。その怒りの原因はすぐに分かった。
玉狩りのエルヴィーが門内に居る。
ステルは実家が熱心な天教院信者で、敵対する大聖堂院が嫌いなのだ。エルヴィー自体は特に害は無いのだが、ステルは顔を見る度に因縁をつけている。
宗教に熱心では無いフロウにとっては、エルヴィーはむしろ娼館仲間だった。職場の派閥の軋轢はあるが、個人には関係無いと考えるフロウは、帝都の娼館で何度かエルヴィーと遭遇し意気投合したのだ。
あの店のあの娘はあれがどうとか。
あっちの店のあの娘はこれがどうだとか。
店の情報交換は欠かさない。
お陰で無駄打ちが減った。
(そうか、
そうこう考えていると、子供が一人、門から飛び出してくる。走っているのか分からない速度だが、じたばたと両手足を動かして必死の形相だ。
「行っちゃ駄目! ミギノ駄目だよ!」
エルヴィーが珍しく焦って大声を出している。それに驚いたフロウは、初めて見た玉狩りの顔に瞠目する。
「あ、フロウだ! その子捕まえて!」
「あぁ? 団長だあ?!」
言われるまでもなくあっさりと捕まえ、肩に担ぎ上げた。掴んだ子供は小さく、そしてとても柔らかい。
(良い掴み心地だ。癒される。そして、俺が子供を捕獲か…)
この姿をフロウ信奉者が見れば、やはり子供に宗旨替えしたと騒ぐだろうが、まあ、どうでもいいと獲物が逃げないようにばたつく足を握りしめる。それを見たエルヴィーは明らかにほっとし、ステルはまだ不満げに口を曲げていた。
(柔らかい。この癒しを求めて金を払ったはずなのに、)
二件目の店の記憶を消し去りたい。女性というよりは子供の温もりに癒されていたフロウは、背中越しに聞き慣れない音を聞いた。
『やばい、絶対やばい…、』
(…異国語か?)
呟いた子供は諦めたのか、身動きせずに大人しい。このくらいの年齢ならば、男女を問わず拘束されればもう少し暴れるものなのだが、フロウが館の扉を潜り基地内を歩き回る中、子供は一度も抵抗せずに大人しくただぶら下がっていた。
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