06 寝ても覚めてもトイレ事情


 食堂には、意外に人が増えていた。来たばかりの時は三人がぼんやりしていたのに、今や十人ほどが私を囲んで「えすぺにあん」的な単語を連発している。もちろん「れいんだーさ」もだ。

 

 「えすぺにあん」とは、『助かった』的な? 何に?


 もしや、エルビーとチャラソウの喧嘩を、良いタイミングで言葉を発した私が止めたとか?


 確かに、さっきの二人は怖かった。


 私を褒めちぎるように、肩をばしばし叩きながら笑うのは、笑っても眉間に皺が取れていない男。彼はここの入り口で出会った黒服の悪漢である。髪は後ろに撫でつけてあるが、毛先は遊ぶように跳ねている。


 (若いのかな? でも絶対二十代後半だよね?)


 異国の顔立ちの彼等の年齢はいまいちわからない。爽やかチャラソウは悪漢よりは若そうに見えるのだが、おそらく仕事上は先輩だろう。そして彼をピンポイントで悪漢などと失礼なあだ名をつけてしまったが、今食堂に居る面々はほとんど悪漢顔なのだ。

 

 それとずっと拭えないこの違和感。

 

 気のせいでは無い。


 皆、異様に背が高いのだ。


 この村に入ってから、私は子供にでもなったような錯覚に陥っている。

 

 (エルビーにも気軽に頭、ぽんぽんされるし)


 なんだろう…。海外バスケの選手の中に放り込まれたらこんな感じ?エルビーも初めは大きいと思ったが、この中では彼は普通なのだ。ほとんどの人の身長が高いからだろう。


 (大きいけど、いい人達なんだけど、私の身長の低さに、かなりの違和感)

 

 後からじわじわ増えて仲間に加わった彼等は、それぞれ自慢のつまみを私に分けてくれた。たいてい美味しいので有難い。そして眉間の皺の悪漢の名前を、別の黒豹みたいな悪漢が耳打ちに教えてくれた。


 『ろうとらうー?』


 私の復唱で大爆笑。


 人の発音の不出来さを笑うとは失礼極まりないのだが、まぁ良い。私は大人なので、発音違うんじゃない? あるあるはスルーしてあげよう。彼らが催したプチ宴会で、なんか今までの不安も少し紛れたからね。


 「ふぁ…、」


 欠伸の悪漢、その横に眠そうな黒豹の表情を見て、ふと窓の外を見ると空が紫色になってきた。


 『夜明けだ…』


 やはり今は深夜だったらしい。人数が増えてから、それほど何時間も経ってはいないはずだ。何度か合間に確認していたから、スマホが壊れていなければ合っている。おそらく朝の四時五時くらいならば、〔ここ〕は昼夜逆転ほどに時差がありそうだ。


 私の言葉に、ロウトラウーもエルビーも外を見る。


 「ラー・フロア…、ヨアケダ?」


 隣を見上げると、エルビーが微笑んでいる。へらへらでは無い。彼は今は穏やかに、とても優しく私を見て笑っていた。


 『夜明けだ』と、他人から聞いた馴染みある言葉に、胸に何かがじわりと迫り上がる。

 

 『夜明け。らー、ふろあ。…夜明け』


 『だ』が多い。エルビーに『夜明け』を教えてあげると、再び頭をぽんぽんされる。その後直ぐに時間も時間だし、宴会はお開きになった。



 **



 宴会場を出ると、私はまた髭の医者の所へ連れて行かれ、診療室の続き部屋に案内された。


 途中、行きたいと訴えたトイレの、使用方法が分からず、一から説明を受けたことはご愛嬌だ。だって石に溝かあったり、穴があったり、紐がぶら下がってたりしたのだ。


 置いてある紙は何となく分かったが、一応聞いたらやっぱり使用方法があった。セーフ。紙を揉まないとお尻が傷付き痛むところだった。危ない。


 溝は男性用で、大や女性は穴にしゃがむのだ。なだらかな傾斜の石の中央に穴が開いている。使用後は横にぶら下がる紐を引けば水が流れる仕組みになっていた。


 そして一応個室だったのは、本当に良かった。


 幼少期から素晴らしいクオリティーの洋式トイレを使用している私は、和式トイレや田舎の公園にある、恐怖のぽっとんトイレが苦手だ。あの吸い込まれそうな暗闇の穴だけトイレ。初めての登山で使用できずに苦労した、臭い思い出がある。


 (たけどそういえば、エルビーに出会う前に、初めて森で、野でしたんだよね。不可抗力だよね)


 草むらにさっと屈み込み、野生動物に見られているのではないかと怯えながらお尻を丸出した。夜風が身に染みたが背に腹はかえられないのだ。


 「******」


 初めての野トイレ回想を、髭の声に断絶された。空のベットが四つあり、彼はその一つを指さしている。どうやらここで寝ろということだろう。親切な寝床提供をありがたく頷く私。しかし、体内時計は今、スマホと同じ十九時半過ぎなのだ。


 寝るには少し、いや、四時間ほど早すぎる。

 

 (寝れないよね…)


 当たり前だ。身長的に子供扱いされてはいるが、本物の子供では無いのだ。私の了承の頷きに閉じられた扉を見つめ、ため息にベッドの一つに座ってみた。隣の空のベットの上には、エルビーの山菜袋が置いてある。


 (無数の膨らみ。きっとぷるりんの仲間たちが詰められている…)


 『……』


 なんとなく、私はベッドの反対側に回りこみ、エルビーの山菜袋から遠離って座り直した。エルビーの袋を見て思い出したバックの中身。大切なスマホは充電残量が限られている。


 (充電器なんて持ってない)


 だからこれ以上、不必要にスマホを覗き込む事は出来ないのだ。それに充電器があったとしても、電化製品の見当たらないこの部屋では利用出来るかも分からないのだが。


 私に出来ることは何も無い?

 いや、考える事は出来るのだ。

 なのでとりあえずは。


 (横になる…?)


 座ったままのベッドの上、着替えてもいない自分の衣服では布団の中に入ることが躊躇われる。だけど徐々に疲労が身体に出ていて、そのまま横たわってみた。


 ぷに。

 『あ、』


 やばい、ぷるりんはポケットの中に居たのだ。潰してしまったぷるりんに、『ごめんごめん』と謝りながら出してあげた。


 布団の上で両手に包む。


 ぷるりんは、ここに来てから全く動かない。


 (森から連れて来たのがいけなかったのかな…?)


 撫でても、つついても効果無し。


 『生きてる? …大丈夫?』


 話しかけるが、最初から返事なんて無い。しばらくぷるりんを撫でていたが、私はいつの間にかコトンと寝てしまった。意外に子供である。いや、今日は色々ありすぎたし。


 眠れて良かったのだ。


 だって、目が覚めたら夢から覚める。


 楽しかったよ、リアルな異国旅行した夢。


 排泄の夢は、実際にトイレに行きたかったのかは不安だ。夢の中だけど、二回も実行してしまった。朝起きて、大人として粗相は避けたいものである。


 残念と思うことは、せっかく出会ったぷるりんと、もう少しコミュニケーションをとりたかった。

 

 さようなら、ぷるりん。


 また、夢で会おうね。













 ・・・・・・・・・なんて。




 やはり、そうは、いかなかった。





 目が覚めたのは夕方。


 多分夕方だ。外はオレンジ色に染まっている。心なしか、烏が鳴いているような、気が、する。

 

 起きた場所は、眠ったベッドと同じだった。


 『……え、』


 癖で直ぐにスマホを開いたが、半分あった充電が切れている。早すぎだ。まさか寝ぼけてネットにぐるぐるしてしまったのか? 繋がったの? 繋がらないのに切れたの?


 『はぁ……、』


 ため息に辺りを見回すと、ぷるりんはお別れした時と同じように枕元に居た。そして何となくつるりとぷるりんを撫でると、ただひたすらぼんやりする。


 『……』


 何もする事は無い。ぼんやりと青い玉を眺めていた私は寝転がったまま、遂に〔例の大きな問題〕について真剣に向き合い考えることにした。


 〔ここは、一体何処なのか〕


 国内の夢の国?

 それとも海外?

 海外のテーマパーク?

 映画のセット?


 たどり着いた方法は理解している。


 私は空から落ちてきたのだ。


 (国内の線は早めに消えた)


 だって、森の中ならともかく、人が居る場所で常に電波がないなんておかしい。そしてずっと圏外だった。私のスマホは海外設定していない。というか、海外設定がよく分からない。だからもしかすると海外かもしれない。


 でも私は空から落ちてきた。


 (それはとりあえず横に置いておいて)


 あれ?海外なら、ネット環境は良かったのでは…? Wi-Fiが、何処に居るかが分からないなんて、あるの? だってここに来て、ネットに繋がった事がないのだ。freeWi-Fi、実は飛んでるの?


 でもでも私は空から落ちてきた。


 (だからそれはとりあえず横に、いや待てよ)


 誘拐? 飛行機から落とされたとか? 穴に落とされたとか? ていうか、何のための誘拐で、何のために空から落とすのだ?


 無意識に逃げたの?


 それとも犯人のミスで落ちたの?


 空から落ちて、なんで華麗に着地したの?


 私が? 着……いいよ、いいよ。


 (いいよ。)



 ここが、地球上であるのであれば。



 まだ、帰れる希望があるんだもの。



 私の帰りたい場所に。



 神様神様、仏様。常日頃、熱心な宗教活動なんてしたことはありません。でも新年には毎年神社に初詣。救世主様の誕生祭には皆でお祝いをしています。


 (更に盆には墓参り、毎年ご先祖様にもご挨拶に行っています。だからお願いです)



 どうかここが、地球上でありますように…。



 私は、それをすぐに外に確かめに行くことが出来なかった。


 なぜ?


 だって、あのアクロバティックな空中枝渡り着地により、普段使用されない身体中の筋肉を総動員したのだ。


 結果、全身筋肉痛、プラス打撲、切り傷などの発熱や疲労で、その後、三日は動く事が出来なかった。


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