05 食べちゃダメ
人の肩に担ぎ上げられたことは、子供の頃以来だろう。
(こんなに、苦しいとは思わなかった)
腹を硬い肩が抉る。気持ちが悪い。打ち身で痛んでいるあちこちも再燃。
(嘔吐く、嘔吐く。頭に血がのぼる、)
横目で辺りを確認するが、同じ様な廊下の壁が続いている。そしてツカツカと大きな歩幅に、流れる木の床の木目は確認出来た。廊下を進み、石造りで冷たい印象の屋内は以外と暖房が効いているのか温かい。
(そして独特な香り…)
この匂いには覚えがある。学校? 市役所? 何処かの事務室的な匂いなのだ。別に臭くは無いが華やかさも無い。
(なんだろう…。インクの匂いかな?)
ここにきて私は、逃げ出した時の不安感は多少薄らいでいた。角を曲がった時に、開いていた扉の中が一瞬見えたのだ。
木の机が並ぶ事務屋のようだった。利用者は皆同じような服装。あれは学校や会社という雰囲気だった。何かの外国映画で見たことがある軍隊の制服。それに廊下では、さっきから黒いブーツだけは沢山見ている。
警察、軍人、が濃厚だろう。
無頼の輩たちではなさそう…?
気は抜けないのだが。
中は広い。もう、出口がどの方向かはわからない。半ば諦めと疲労でぼんやりしていると、椅子に座らされた。
「****、***」
「**? ****」
恐そうな細身の髭のおじさんが私を睨む。
すれ違う連中と同じような制服だが、皆と色が違う。多くは枯葉のような色だが、髭のオヤジは深い緑色。胸ポケットのラインは白い。無精髭。ゆるい天パの黒髪は後ろに一括り。馬の尾のように長い。
(おや? 意外と若いのか?)
私を頭の先から足下まで一瞥した、髭の顔はしわしわでは無い。ぼんやりそんな事を考えていると、彼は骨張ったデカイ片手で私の顎を掴んで無理やり開くと、口の中に細い棒を突っ込んだ。
ーー(おえっ!)
吐くかと思ったが堪えた。
どうやら髭は医者らしい。
その後、あれこれ治療を受けたので打撲を訴えたところ、あちこち湿布を貼ってもらえた。
満足である。
声がして振り返るとエルビーが微笑んでいた。彼は私を医者に連れて来てくれたのだ。
疑ってごめんね、命の恩人。
「***、***」
膨らんだ大きな布製の袋を肩に掛けた、山菜採り姿のエルビーの横には、初めて見る男が居た。
いや、彼の制服の背中だけはずっと見ていた。彼だけ制服が黒色なのだ。ん? 他にも黒を見たような気がするが、まあいい。
私を捕獲して担いで来た輩。見た目はとても爽やかな王子様のようだ。エルビーは線の細いキレイな青年だが、王子様は精悍な男らしさがにじみ出る。
金髪、青い目、高い鼻。ス・テ…。
でも、きゅんとするのはやめた。
エルビーで失敗したから。
結果オーライで今に至るが、エルビーが悪の手先に見えたトラウマからはまだ回復出来ていない。
王子様。なんだかとってもチャラソウ。カルソウ。
私は簡単に心は開かない。
用心深いのだから。
しかし身体は正直で、医者に出会えて、エルビーの疑いも晴れたところで安心したのか、きゅるるる、と室内に悲しいお腹の異音が響いた。
『…………』
眉間の皺が常駐な髭の片方の柳眉が上がる。もちろん犯人は私だ。隠そうなんて思っていない。腹の虫は生理現象だから、恥ずかしくはない。
エルビーが笑い、チャラソウも微笑んでいる。
よく考えたら今何時? スマホをバッグから取り出すとディスプレイには十六時十二分。朝ご飯にコンビニサンドを食べ、落とされてから川の水を飲んで、それから何も食べていない。
(お腹すいたな…。喫茶的な店って近くにあるのかな…? エルビーと交渉するか。あれ? そういえば、治療費っておいくらなのかな…)
そもそもの大きな問題は全て保留中だ。ココハドコ…的な大きなあれだ。私の脳の処理能力では、今考えても対応できない。
(ん?)
いつの間にか笑い終わったようで、彼らは空腹の私を見つめている。治療費と空腹の件の交渉の始まりだ。
(だけど、どうしよう)
とりあえずエルビーを見ると、彼は私にうんうん頷いて髭とチャラソウと話し始めた。
(やっぱり、言葉がわからないのって、不便)
三人の会話を聞いていると、エルビーが何度か同じ言葉を使っていた。ヒアリングを開始しよう。
そして、ヒアリング開始から何十分?
ぐーぎゅるる。
交渉の蚊帳の外の私はヒヤリングに手中していたのだが、再びの腹の虫の主張に視線が集まる。
(だって、ここ無音だし…蚊帳の外だし)
するとエルビーが私の頭を軽くぽんぽんした。子供の様な扱いだが、それに返す不満は無い。立ち上がると戸口に促され、ミーティングは終了のようだ。良かった。
(ご飯ご飯。お菓子でも可)
そういえば、話の合間に財布を出して、とりあえず治療費として五千円札を差し出したが髭に断られた。
所持金は一万二千円。小銭も多少あり。今月の残り一週間の食費と必要雑費を兼ねているので、あまり使いたくなかったのだが、この状況ではそう言ってはいられない。貯金に手を出したくないが、緊急事態だということで割り切ろうと思っていたのに。
「…………」
足りないのかな?
それとも村のテーマパーク銀行で、換金しないと駄目なのかな? 手数料大きそう。
手数料、時間外のうっかりミスにだってがっかりするのに、テーマパーク銀行って…、どんだけ?
なので受け取り拒否の医療費に関しては、請求されてから対応する事にした。
(とりあえずは、一旦ご飯。もしくは休憩所に行きたいのである)
髭のお医者様に振り返る。
『ぐらなーぜ。えすぺにあん』
エルビーの言葉をヒヤリング。聞き取れたそれをお礼として披露してみたが、三人の男はとても間抜けな顔をした。モテそうな顔だから間抜けな表情でも整っているが、私を見た後、それぞれに目を合わせると、微妙に笑い始める。
爆笑や嘲りでは無く、困ったような笑い方。おそらくイントネーションがおかしかったのだろう。それはご愛嬌なのだ。それに髭が口の端を上げて「オール、レインダーサ」と、返してくれた。
(通じてた? 返答あり! なんか、ちょっと、かなりうれしいかも)
すると右頭上からも「イス、レインダーサ」の返答あり。異文化交流の手応えをがっちり感じる。常にへらへらしていたエルビーだけは、なぜか困った半笑いをしているのが気になるが、私は新たに仕入れた『れいんだーさ』を心にしまい込んだ。
だが満足と共にエルビーとチャラソウを見上げると、エルビーに再びぽんぽんされる。
ぽんぽん、子供を見つめる温かい目線。
チャラソウにも微笑まれ、その時、自分が言葉を初めて覚えた幼児の扱いだったのだと察した。
気恥ずかしい…。
イントネーションの違いを恐れず、現地方言は実践で口に出して学ぶのだ。北に行けば『んだべさ』、西に行けば『そやねん』、南に行けば『なんくるないさー』などなど、現地民のネイティブ揶揄りを恐れずに溶け込むのだ。
と、そう思って旅の恥でカキステタのに、なんだか、ぽんぽんされると少し恥ずかしい…。私の予想では『ぐらなーぜ』は『ありがとう』、『えすぺにあん』は『助かった』的なあれ。
だってエルビーは、私と髭医者やチャラソウを挟んで二人に何度も言っていた。雰囲気的にきっとあっている。扉を閉める前に、エルビーが同じ言葉を髭に言ったのだから、間違いはないだろう。
**
髭の治療室を後にして、私は二人に食堂に案内された。
気の利く男たちだ。気配り最高である。広い食堂には長い木のテーブルが何列もあり、学食のような雰囲気だ。どうやら今は食事の時間外らしく、ぽつりぽつりと人は居るが食事をしていない。
よく考えたら、大きな月が出ていた。〔ここ〕は今は何時なのか、まだ仕事をしている人たちは居るが、外は男女が寄り添って歩いていた。夜遅いのかもしれない。
(月が出てから、六時間くらいたってなかったかな…? 森の中ではお昼過ぎてたし…。まさか今、真夜中なんじゃない?この食堂の消灯した感じも…)
不安は募るが、ぎゅるぎゅる言い出した腹の虫には勝てない。テーブルの端に座らされ、隣にはエルビーが居る。彼は私の腹の虫が鳴くたびににこにこしていたのだが、しばらく待つとチャラソウが大きなプレートを持って食堂の奥から現れた。
『…!』
スパイシーな干した肉、チーズのようなディップを挟んだクラッカー。何かのドライフルーツ。
よだれはじゅるりで飛びつきたい気分だが、自分は十九という大人の女だということを忘れてはいない。
あと半年で誕生日。
ハタチになったら、お酒が飲める大人の女。がっついてはいけない。
手は出さず、エルビーとチャラソウを交互に見ると、どうぞとジェスチャーされたので、それでは遠慮なく。
『頂きます…』
慎重にクラッカーをつまみ、さくりと一口。
(う・マーーーーイ!)
ディップは意外と甘かったが、しつこすぎずほんのり甘いフルーツチーズみたいだ。鼻から何かの香料が香る。お花のような、私は好きな匂い。香料系は好みが分かれるが、ベーグルに挟んでもこれは美味しいはず。間にナッツも混ぜれば食感も変わって楽しめる。
沢山あるので同じ物を何度も食べていると、合間にエルビーが青色が鮮やかなドライフルーツを渡してきた。
青空のように青い…これを食えと?
自然界ではあまり遭遇しない食料品の色に一瞬戸惑う。その時私は、あっと、思い出した。
大事な仲間をもう一匹忘れていた。左ポケットを確認。
いるいる。
こいつにもご飯をあげなくてはならない。私は二人を見ると、にこりと笑う。
(うふふ。見ちゃう? 超かわいい、このこを)
きょとん顔の二人に、両手に包んだぷるりんを披露。
(ぷ、りーーーーん!!)
そっと手を開くと、自慢の美スライム登場。
ぷるりと手の平で丸まるぷるりん。中身がキラリ輝いたので生きています。どうですか? 私の美スライム…、おや? 浮かれる私が周囲の反応を確認すると、何故か彼らはフリーズ中。
瞬間、室温が一気に下がった気がした。
エルビーの表情が、スッと抜け落ちてぷるりんを凝視する。チャラソウがガタンと音をたてて立ち上がる。そして無遠慮に伸びてきたエルビーの手に、嫌な気配を感じ慌ててぷるりんを背に回して遠ざけた。
「****、**********」
「エルヴィー、***!」
「***、*********」
「***!」
『何、エルビーどうしたの?』
おお、その無表情、すごく怖い。
チャラソウはエルビーに怒り出し、私はぷるりんを守るために二人から距離をとる。離れた私に気づいたエルビーは、あ、と口を開けてへらへらに戻った。
チャラソウは今までの、このあだ名が申し訳ないほどチャラくなく、真剣な表情でエルビーと話し込んでいる。
なる程、私はわかってしまった。
ぷるりんを左ポケットにしまうと、エルビーの隣に戻り椅子に座った。訝しむ二人を余所に、私はジャーキーに手を伸ばす。
「……」
ほどよい塩分だ。これは食べるだろうか。
私はエルビーに見えないようにそっとポケットを開くと、ジャーキーをぷるりんに近づけてみた。次にはクラッカー、干からびたフルーツだと思ったそれには手はつけない。
返事はない。そして反応もない。
(駄目か…)
ポケットのファスナーをしっかり閉めると、クラッカーを食べてお茶を飲む。二人は私を見て何か言っていたが、私にはわかっている。
これは悲しい食物連鎖。
何かのドライフルーツかと思った〔あれ〕の正体は、ぷるりんの親族だろう。エルビーは山菜採りをしている。おそらく山菜が詰まった、あのエルビーの袋には、ぷるりんの親族も入っているのだ。
しょうがないのだ。
人間は常に食物連鎖の頂点に君臨しているのだから。子供では無い。その辺の事情くらいは察するよ。
だけど。これだけは言っておこう。
『このこは、そのお皿には乗せません』
言葉は通じないが、私の真剣な思いは伝わったようだ。チャラソウは呆れたような顔をしたが、エルビーは悲しい眉毛になった。
「セルヴィ…」
今のも分かった。きっと『ごめんね』だろう。いいよ、わかってくれたなら、ぷるりんをおつまみにしないなら。
私こそ、お世話になりっぱなしなのだから。
『せるびぃ、ぐらなーぜ』
エルビーが驚いた顔をした。私だって、エルビーに助けてもらってます!だから。
『えすぺにあん!』
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