ある魂の後悔 01


 大陸の西側にトライド王国はある。東側は巨大帝国ファルド、険しい山脈を挟むが更に西端には竜騎士団を主力とするガーランド、その二大国に挟まれた場所に位置していた。


 肥沃な大地に豊かな森林。農業が主力産業の牧歌的な王国トライド。その国が有する豊かな森と大地は、凡そ五十年前に起きた戦争によって穢され破壊された。


 東ファルド帝国がガーランド竜王国に無謀な進軍をし、間に位置するトライド王国は巻き込まれ、無残にも蹂躙されたのだ。


 帝国騎士団と魔法士団が豊かな森に火を放ち、肥沃な農村地帯を踏み荒らし、不気味な巨大な魔方陣を画く。雄大な西の山脈からは空を黒く覆う竜騎士団。両軍が激突したその刻、ファルド帝国の五人の魔法士が不気味な魔方陣を発動させ、数百の両国の軍隊は、全て魂を抜かれて息絶えた。


 幾百の兵士の身体から抜け出た魂は、トライド王国の大地に散り散りになったという。



 戦地トライドの森には魂が眠る。


 無念を抱いた魂は、身体を求めている。



 そしてこの戦争を機に、トライド王国を中心に魔物が現れ始めた。


 魔物は天から落ちて来る。

 人を引き裂いて笑う。

 心の臓を突き刺しても死なない。

 首と胴を切り離さなければ死なない。


 魔物は、トライドの森に眠る兵士の無念が呼び寄せているのだと、トライドの生き残った国民は今も嘆き悲しみ続けている。


 

 ******



 森には彼らが沢山居る。


 普段は葉の影に隠れたり、自らの特徴を活かして川の渕や水の中に潜んでいる。


 見つかると、狩られるからだ。


 狩人は彼らにとって憧れの肉の身体を身に纏い、物影に潜む彼らを目聡く見つけて袋に詰め込む。穴が開くのを心待ちにして空をぼんやり見上げていると、狩人は気配無く現れて突然がしりと掴み上げる。


 動物の死骸の革の手袋には、何かの文字がびっしりと刻み込まれている。それに握られると強烈に痺れ、為す術無く塵のように袋に放り込まれるのだ。


 それはとても恐ろしいが、だけどいつも空を見上げてしまう。


 彼らはここ数十年の間に学んでいる事がある。狩人から逃げ潜みながら、常にある機会を伺っているのだ。空に穴が開けば、待ち望んでいたものが手に入るのだから。しかし、いつ空に穴が開くかは分からない。なので常に空を眺めていた。



 そして大きな青い星が輝いた夜、ついにその刻が来た。



 空がじわりとねじれ穴が開き、中から目的のものは落ちてきた。百を超える彼らは、その競争に勝つために木々を伝い駆け上がる。


 押し合い圧し合い、空へ。


 彼らが長い橋のように連なりながら空を目指す中、一際素早いものが居た。そのものはビリビリと他のものを威嚇して、内在する輝きを誰よりも放ちながら飛び出した。


 彼らは 方法を知っている。


 空から落ちてきた贈り物。


 それの口に迷わず飛び込んだ。


 ーー(これはおれのもの)


 ーー(失うわけにはいかない)


 落下してきた人物の身体に入り込んだそのものは、眼下に迫る木の枝を掴んだ。


 次々に木々を潜り、掴む枝は己の体重で大きく撓る。久しぶりの肉の身体の重みを感じて歓喜したそのものは、適当な大きな岩場に着地すると、数多のものより勝ち取った身体を実感しようと満足げに手の平を見た。


 ーーが、ふと違和感を感じて目を見開いた。

 

 『*、**…』


 (あり得ない、)


 (これは俺のものなのに、別の〔モノ〕が入っている)


 絶望が駆け巡った時〔それ〕は切り離された。


 ベチャリ。


 外に放り出される感覚に思い出した。


 これは自分では無いのだと。



 (こんな子供では無い。目の前のガキは小さく肌も白い。髪は同じ黒色だが、俺は褐色の肌、幼少期より鍛え上げた筋肉がもっとあるはず。背丈も周りより少し高く二百ガルは超えていた)


 目の前で咳き込んだり何かを話す子供を見上げ、嘗て自分が人の男だったと思い出した〔それ〕は、小さな子供を、自分が見上げた現実に再び愕然とした。


 (俺、なんだ?これ、水っぽい…?)


 衝撃が強くぶるぶる震えだす身体は、半透明の青い粘膜のようである。


 男は今更、自分の身体が未知のものに変化していると、今初めて自覚したのだ。あげく憐れにも、子供に玩具のように掴まれ下から身体を覗かれている。通常であれば最悪な気分になるところだが、今はそれどころではないのだ。


 平静を保とうと周囲を見回した男だが、動揺は収まらないまま、下から覗く子供の興味津々な黒目と、不思議な事に自分の透ける体内を通して目が合った。


 (こいつ、なんで俺、掴まれてんだ?)


 混乱の最中、衣服の隙間に詰め込まれる。そしてしばらく歩くと振動で落とされた。


 呆然と思考が停止していた人の男だった物体は、落とされた衝撃に漸く冷静さを取り戻し我に返ると、転がる自分が玩具の様に粗雑に扱われたのだと理解した。


 きょとんと間抜けに自分を見下ろした子供は、落とされた自分へ謝罪もなく無遠慮に手を伸ばす。その行為に苛立ちが滾った人であったものは、イライラとして子供の膝裏に飛びついた。


 身体は不安定な状態だが、人の急所は熟知している。膝裏に当たっただけで、子供は想像以上に見事にひっくり返った。


 『痛たたた、』


 不様に転んだ子供が、悔しげに呻きこちらを睨んでいる。それに男の溜飲は少しだけ下がった。


 (だが、なんだこれは、)


 人だった記憶を思い出す前、男はただ身体が欲しかったのだ。いや、この森に存在する百を超える男と同じ存在は、肉の身体を欲している。


 その欲望が最優先だった。

 失われた身体が欲しい。

 そのために狩られる事から逃げ続けるのだ。


 (今も周囲に、無数の奴らの存在を感じる)


 男は誰よりも早く空に開いた穴に気付き、誰よりも早く走り身体に辿り着いた。そしてそうしなければ、完全に身体が自分のものにはならないと、そう思ったから逃げたのだ。


 ざわざわと潜む気配が増えている。


 今はまだ周囲を取り囲んでいるだけだが、そのうちに無防備な肉の身体への欲求が抑えられなくなる。目の前の子供は、簡単に周囲の奴らの餌食になるだろう。


 (別に構わない。これは俺の身体ではないのだから。奴らも侵入してから、からの身体ではない絶望を感じればいい。いや確か、生きている身体に入り続けた奴はやばい事になるはずだ)


 たとえ欲しくても、森に入ってくる生者の身体に入り込む事はよくない。手に入れられるのは、天から落ちてくる贈り物の身体のみ。


 それは経験を皆が共有していた。敵である狩人が居ることも、同じ存在のものたちは情報を伝達し、この森の中でひっそりと存在を繋いでいるのだ。


 (……)


 徒労だったと去ろうとすると、背後で子供が必死に何か言っている。どうやら北方セウスの子供のようで言葉は全く分からないが、男を引き止めている様子だけは分かった。


 さっきから同じ言葉を繰り返す。

 自分を指さしながら。


 『メイ、メイ、カミナメイ』


 (名前…?)


 今は未だ全てをはっきり思い出せない、途切れ途切れの自分を探すように、身体が自然と子供に近づいた。

 

 (俺の名前は…)


 オルディオール・ランダ・エールダー。

 騎士団長ゼレイスと呼ばれていた。


 『……ぷるりん、****』


 真実の名、それを思い出せた感慨と、今の自分に一番耳障りな音が響いた。耳も目も無いが。全身に感じる。


 子供はオルディオールを形容して、『ぷるりん』と発した。

 

 (殺ろう。このガキ)


 半透明の青い物体が飛びついて鼻と口を全身で塞ぐ。もがく子供。物体は刻を数えた。


 息が止まる、死の刻読み。


 ふがふがのたうちまわる子供を確認し、離れてやる。オルディオールは、咳き込む子供を観察すると少し反省した。記憶では、自分は二十九歳であったはずだと。


 (大人気ない)


 周りを感知すれば、ザワザワと同類の集まる数が増えていく。身体が欲しいという欲望だけに存在する彼らは、箍が外れて一つが飛び出れば、後は滝のように子供の身体を奪い合うだろう。

 

 (憐れだな。こんなくそガキの身体を、必死に取り合ったわけか。…それを勝ち取った、俺を笑えばいい)


 半ば自暴自棄になったオルディオールは、小さな白い手に握りこまれた。そして今度は出口の見えない布に包まれると、ゆったりとしたリズムで子供は歩き続ける。


 足を引きずるような移動。子供のノロノロとした歩調に合わせて、オルディオールは考えていた。


 自分はなぜこんな状況でここに居るのか。

 なぜ身体が無いのか。 

 滑稽さに笑いがこみ上げてきたが、笑う口も声も無い。


 この状況に、狂う頭も無いのだから。


 記憶という感覚だけを頼りにぼんやりしていると、不意に布越しに撫でられた。


 それは何度も優しく続く。


 オルディオールは、久しぶりに眠るという感覚を思い出した。

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