03 迷子同盟を結成
痛む身体を引きずり、森の中を進む。
何処に向かうでもない。ただ前に進んだ。
ところどころに月明かりが降り注ぎ、夜だというのに意外と明るい。
バッグの中のスマホは生きているが、当たり前のように圏外だ。時間は十四時過ぎを表示。九時半過ぎにアパートを出た。ベーグル屋のバイトは今日は中番で、十一時入りなのだ。
(遅刻だ。完璧に遅刻だ)
こだわりの北の産地の小麦で作る、常連客頼みの小さな店。店長を含めて従業員は三人。今日は土曜日なので三人出勤。
早番じゃなくてよかった…。
開店ミスをするところだった。
『それどころじゃないけど……』
いろいろな細かい事は保留しよう。空から落ちて、木の枝ジャンプ。あちこち切れて打撲気味。そして今は夜の森の中を、ざくざく一人で歩いている。
よく分からないが怖くはない。今はまだ。きっとまだあいつが出ているのだ。
そう、アドレナリンが。
(だけど、いろいろ、はっきりとは考えたくない)
例えばほら、ココハドコ? とか。
それを考え始めると、一歩も動き出せない自信がある。だから自分の想定できるその先を考えていた。
森を抜けたら電波は復活。店長に状況説明と、遅刻の言い訳をしよう。そして第一村人を発見して病院か警察だ。交番で被害者を強調してこの事故の…事故…ホゥワッツ?
『いや、ダメダメ。病院で現在位置が分かる。警察も保留。ていうか、その頃にはGPSも復活してるし』
この状況の、現状把握は駄目である。
そんな現実逃避中、途中で川を発見した。渇きに負けて一口飲んだがお腹は下さなかった。私の胃腸、意外と強い。
咽が潤い落ち着くと辺りの音が気になり始め、異様な大きさの葉の音でどきりとしたが、聞かなかったことにする。一応前後左右を確認し、休憩したことにより更に重くなった身体を引きずって何処かに進み続けるのだが、ふと左ポケットの丸いふくらみに気づいて、なんとなく布越しになでていた。
体温は無いけど、触っていると温かい気がする。
だけど気になることが一つ。
こいつは全く動かない。
『まさか死んでないよね…?』
返事は無い。ただの……。
やな予感…。
スライムの生死に気を取られていると、いつの間にか道に出た。車両用か、舗装はないが轍が二本。
右か左、どちらに進もう。
(うーん・・・)
「**? **、******…?」
『え?』
左側の道路の上の月を見て、右側の轍の先の暗闇を見た時に声が聞こえた。再度、左側を振り返ると月光を背に、少し離れた所に黒い人影が立っている。
『…あ、えー…と、』
危機感を感じて後退りしたかったが、それが確実な危機になりそうな気がして踏み止まった。
ほら、あれとかこれって、目が合った場合に逃げては弱者認定される。野生動物もチンピラも基本は同じ?
(やな予感)
だってこの人、さっき月を見た時には全くいなかった。無意識に強めに掴んだスライムがもぞりと動く。どうやら生きている。よかった。いや、そうじゃない。
男は細身だが、見上げるほど背が高い。距離は十メートル以内。野生動物と遭遇し、私なら確実に逃げられない距離。もちろん人間の、男の足にだって負ける自信がある。
月光を背に、顔、表情が見えないのが余計に怖い。
男がこちらに歩き出した。足の下の方から緊張でぞわぞわし始める。
(震えが…)
抑えられそうにない。
一メートル先で止まった男の顔を見た。
でかい。私は身長百六十二センチだが、やっぱり見上げることになった。
そして若い? いや、十九の私よりは絶対に上だよね。
(にこにこしてる…)
金髪。薄い色の瞳。海外の人。
「****、********?」
(やばい。本気の海外の人だ。しかも英語じゃない感じがする…)
英語であっても、常にジェスチャーで乗り切る私にはあまり分からないが。男はにこにこと話しかけたあと、私の言葉を聞いて納得したように更に笑顔になった。
自分を指さして、『エル、ヴィー』と繰り返す。
おそらく名前だろう。
悪い奴ではなさそうな気はするが、とりあえず警戒は解かずにこちらも名乗ることにする。
『右の神名・・・、あ、神名です』
「ミギノカミナ?」
『神名です』
「ミギノ?」
『いや、右っていうのは・・・』
最近癖になっていた『右の』。
超古いアパートは部屋番なんて無く簡易表札だ。そして同じフロアにカミナは二件ある。最近引っ越して来た新米のカミナは上奈さんというが、宅配業者や管理人に説明する時、間違い防止に私は右の部屋の方と言い続けていた。遊びに来る友達にも家族にも、それを繰り返した結果…。
ぽろっと出た『右の』、何て事はない何の意味もないただの言い間違いを、言葉が通じない相手にどう説明しろと?
高度な通訳技術が求められる。
しかもなんだかしつこいし。
もういいや。
「ミギノ?」
指をさされて、こくりとうなずく私。
こちらも理解したと、『エルビー』と男を指さすと、それは嬉しそうに笑う。しかし警戒は解かない。笑顔なんかには完全に心を開かない。それが商売のスキルなら本気の笑顔か分からない。
しかもこいつの笑顔、胡散臭い。
私の想定では、彼は旅行者。
和食文化を極めるために、山菜を採りに山奥へ踏み込んだ強者。現代の我が国の若者よりも、我が国の文化継承を極めてしまう海外の人がたまにいる。
だがこの人、装備は立派だが言葉が全く通じない状態で山奥へ入ってしまい、電波やWi-Fiが居ないことに今さら気がついたのかも。
(そこで出会った現地民、私が神に見えただろう)
だからにこにこがへらへらに変わったのか。
わかるわかる。
心細いのは同じだもの。
きっと私と同じく野生動物を警戒し、草むらに潜伏していて、私を発見して飛び出て来たに違いない。
(あなたの身元確認できるまで心は開かないけれど、迷子同盟を組んで共に森から抜け出そう)
私は決意して慎重に男に頷く。彼を安心させてあげるためも含まれる。男はそんな私に再度大きく笑顔で頷き、力強く私の肘裏を掴むと、どんどん月明かりが遠のく右側の暗闇に踏み込んで行った。
(あれ?連れて行くのは私なのに…?)
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