自殺蟲

郭廉讎

第1話

どうぞ私の事はお気になさらないでください。

貴方はいままさに、自ら命を断とうとされている。そのくらい誰でもわかることはですよ。

こんな時間にこんなパッとしないビルの屋上の縁に腰をかけて、世界中の不幸を一人背負ったような顔されてたら、そりゃね。

私どもは、自ら命を絶つ瞬間に群がる習性があるのです。ちょうど、あかりに集まる昆虫のように。

でも誤解しないでくださいね。ハゲタカやハイエナのように、貴方の死を待って死体をどうこうしようというわけではありませんから。

むしろ死んでしまった貴方になんか、興味はありません。自ら命を断とうとする、この瞬間、この空間を取り巻く独特の匂いに私どもは惹きつけられるのです。


 自ら命を断つという行為は少なからず、自然の摂理に反する行為なのです。生まれる時と死ぬ時はすべからく神が決めるものであります。貴方が神を信じるか信じないかなんてことは私たちには関係ないことです。まして、私どものようなものの存在をお認めになるかどうかも貴方の自由です。現にこうして存在しているのですが、もっとも、貴方さまにとって、人生を終わらせようとしているこの瞬間に、私どものような存在のことなど冷静に判断している暇はないと言ったところかもしれませんね。このような時にお邪魔だてして、おしゃべりが過ぎましたね。


 いえ、これは決して、私ども全般に共通する習性ということはなく、単にわたし個人がおしゃべりなだけなので、あらかじめご了承ください。ただ、私どもはにとって、このような状況に居合わせることは、至極の喜びであり特別な気持ちになる瞬間なのですよ。そう言う特別な瞬間に居合わせた時に、妙に饒舌になってしまう方が、あなたさまのお仲間にもいらっしゃいませんか?


 例えば、筆舌しがたい大自然の絶景にふれたとき、感動のあまり言葉も失い、その場に立ち竦む、そんな方の横で場違いなほど興奮して、饒舌におしゃべりされる方、いらっしゃるでしょ。そう、迷惑なんです。わかってはいるんですけどね、こればかりは性分なんですかね。

 

 私どもの仲間にもそれは、それぞれ、千差万別の「お看取り方」というものがございます。物陰からわからないようにそっと見守るタイプ、話しかけはしないものの、ベストポジションで見届けたいタイプ、そして、話しかけてしまう私どものようなタイプなど、まぁ個性がでるものですよ。

 

 あ、ちなみに少しだけ私どもにもしきたりがありましてね、現場に、一番乗りしたものだけしか、話しかけることは罷りならんことになっています。そう、今日は私が一番のりなんです。一番乗り、いやね、私にとっては久しぶりの一番乗りでしてね、いつもは、貴方さまのような方にお話することができず物陰で、コソコソ仲間内と話すしかございません。周りをよくご覧なさいな。恨めしそうな顔でこちらをみている私どもの仲間たちが続々とあつまってきていますよ。ほら、こんなに。


 ま、そんなわけで私は今、貴方さまにはとても不謹慎に聞こえるでしょうが非常に興奮しておる次第です。貴方さまは、旅することはお好きですか?観光名所なんかへ行くと、別に知りたくもない歴史や風土なんかを、ガイドさんから無理矢理、押し付けられる感じありませんか?ま、そう言う事を、大半の人達は素直に雰囲気に乗っかってそれなりに楽んで、帰ってきたらすっかり忘れちゃうんですがね。

ま、せっかく自殺の淵にいらっしゃったんですから、自殺についてのくだらない知識でもわたくしがガイドとなっておはなし差し上げてもよろしいですか?もちろん、話の途中で命を絶たれても構いませんからね。

サンフランシスコ州立大学の哲学者ダビッド・ペーニャ=グスマン氏は人間以外の動物にも自殺の可能性があると言う論文を発表しています。残念ながら私どもが、興味のある自殺は人間に限られるもので、そこの点は良く分かりかねるのですが、人間の自殺の主な理由は、心的な要因が大きいようですね。不治の病いを抱えておられる方もいらっしゃいますが、多くの方がそうではないように感じます。


貴方さまのお友だちもたしか、15年近く前に亡くなられましたね。彼女も身体は健康だったように思いました、いえ、私はあの時は一番乗りではなかったので、お話はできていないのですよ。そっと側で見守るタイプの私どもの仲間が一番乗りでした。一番乗りに慣れたタイプのモノでね、もう話しかけないで見守っている方がいいんだなんて、通ぶってイケスカナイタイプの奴です。 貴方のお友だちは、奴に気づいていました。怪訝な目で、奴を一暼して少し躊躇った風もありました。でも、決意は変わらなかったようですね。

実はね、その頃から、私は貴方さまをずっとマークしていたのですよ。元来、私どもは、自ら命を絶つ瞬間に群がる習性があるとお話しましたよね。そうなんです、その瞬間はもちろん五感、六感を通じて匂いを感じることができるのです。しかし、先程もお話したように、私どもの社会のルールと言うものが成立して、一番乗りでなくては話しかけることができなくなってしまいました。そうするとですね、しそうなタイプにあたりをつけて一番乗りできるようにマークしておく必要が出てきたのです。


ホント、くだらない話でしょ、本末転倒な感じがします。人間もしかり、私どものようなものでもそう、社会のルールと言うものは、なんとも。私どもはただ、自ら命を絶たつ瞬間に立ち会うことだけを使命とし、唯一の喜びとして暮らしております。それ以外、何もないのです。お気づきかと思いますが、私どもは貴方の言うところのオバケとか妖精とかその類のものですので、この唯一の使命に喜びを感じることができなくなってご覧なさい、それは悲惨なものです。死ぬことも出来ず、ただただそこにあるだけのモノになってしまうのですよ。死ぬと言う選択肢がある貴方に嫉妬すらするでしょう。それ以上に、また唯一の使命のみに縛られ続ける私どもからすれば、多様な使命を見いだせる人間という生き方も悪くなかったな、なんて後悔してもしかたないんですがね。


おっと話しがすぎました。話を戻しましょう。私は、貴方さまの大切なご友人が自ら命を絶たれたあの日、目をつけたのです。もちろんあの日の貴方さまはから、自殺なんて事は考えられなかったはずです。むしろ、絶対に自らの命を絶つことはないと、誓ったはずです。遺されたものの悲しみ、苦悩、全てを貴方さまは痛いほど味わったからです。


でもね、私は見逃しませんでしたよ。貴方の心の引き出しの中に自殺と言う新しい選択肢がそっと仕舞われたことを。絶対自殺はしないと言う思いと同時に、自殺と言う選択肢はリアルに貴方に刻まれたのです。

そしていつか貴方さまの心の中でそれが大きく育って行くと私は確信して、この瞬間のために見守ってきたのです。


貴方はこの15年間よく頑張りましたよ。彼女のいない空白を埋める作業は並大抵のものではなかったはずです。貴方はいま、ようやく彼女の呪縛以外で死を選ぶ理由を見つけました。貴方はずっとそれを無意識に探していました。確かに今回が一番周りから納得される理由かもしれませんね。

しかし、そんな理由はただの口実に過ぎない。明治天皇の死を自殺の理由とした乃木希典とかわりやしません。なぜなら、貴方はいま尚、この期に及んでまた、気がかりなことがある。それは、死んだら彼女に逢えるのかということ。


それについては、いささかルール違反ですがお答えしましょう。死んだら彼女には、逢うことができるでしょう。しかしながら、と、私は付け加えなくてはなりません。つまり、もう貴方は彼女と会っていると言うことです。御覧なさい、あの物陰かはひっそりと見ている私どもの仲間を。あれが、彼女だった者です。


そう、ご想像の通りです。私どもはむかし人間でした。そして、自ら命を絶たちました。自ら命を絶たったものはすべからく、私どもの仲間に、なるのです。

ただ、死ぬことさえ出来ず、生まれ変わることも出来なくなります。輪廻転生という概念をご存知ですか?つまり、この魂のサイクルから外れてしまうのです。輪廻からの外れ方はいくつかあります。


 ひとつは、ステージを上げること、つまり神に近づくことです。顔がたくさんついた仏像なんかをご覧になったことがあるでしょう。彼らがそれです。何度も輪廻を繰り返し、いわゆる磨かれた魂となることで、他人と完全に受け入れあえるようになるそうです。そのような、いわば人間経験の上級者が、複数人あつまり、一つの個を構成し神へと昇華します。

 もうひとつは、われわれのような自殺者です。人間が、自ら命を絶たとうとする瞬間に、群がるだけのモノに、なるのです。こちらの世界では蟲といわれています。もう死ぬことはないけれど、苦痛から解放されたかといえばどうなんでしょうね。

 

話しがすこし逸れてしまいましたね。残念ながら、彼女は貴方さまと話すことができません、何故なら、私どものルールに則り一番乗りしていないからです。

今回は、お譲りする方が良いかなとも、思いましたよ。私どものようなものでも、思いやりの気持ちは、もっておりますからね。 私どものようになることが、神の仕打なのか自然の摂理なのか、それはわかりません。しかし、決して人間より神に近づいたわけではない気はします。それは、身にしみてわかるのです。だからといって悪魔に近づいたかと言うとそうでもありません。ま、いづれにしろ私は貴方と、話すことを選びました。


 告白しましょう、理由は二つあります。一つは、もちろん貴方と言う私のマークした獲物を逃したくなかったからです。そしてもう一つ、私は貴方の、自殺を止められる気がしたからです。マークしていたからわかるのです。いまは、死に強く惹かれているかもしれない、しかしこの現実を知れば貴方はもう少し生きていられる気がしたのです。


 ルール違反かもしれないんですよ。こうして、お止めすることは。でも私、死なないですからね。

何も怖くないんです、はい。さあ、わかったらもう少し生きてみてください。まだ、あなたには帰るべき場所がある。そしていつの日か神におなりなさい。そしたら、私どもの処遇についてもご一考願えますと幸いです。あ、匂いがすっかり消えてしまいました。

集まったオーディエンスの仲間たちもすっかり引きあげでしまいました。




 パチン!



 男は、自らのほっぺたを叩いた。

手のひらには黒赤い血でともに一匹の蟲の死骸が貼り付いていた。すっかり自殺する気が失せていた。誰かと話した気がする。気のせいかもしれない。

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自殺蟲 郭廉讎 @kakulensyu

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