第107話 イシンデンシン

 朝、リビングに入ると、すぐにアリスちゃんの姿を見つけた。


「おはよう、アリスちゃん」


 まだすこしボーッとしてる頭で話しかける。すると、


「…………」


 あ、あれ? 返事がない。



 思い起こされるのは、つい先日のこと。


 私が読書に集中しすぎたせいで、アリスちゃんが怒ってしまった。


 でも、それはもう仲直りできたはずだし、ほかに心当たりだって……



 困っていると、アリスちゃんも困っている様子なことに気づいた。


「アリスちゃん? どうかしたの?」


 また答えてもらえなかったらどうしよう……と心配したけれど、それは杞憂だった。


 数秒の沈黙のあとで、アリスちゃんは答えてくれる。



「がぜひ”い”だみ”だい”」


 普段からは想像もつかないようなガラガラ声で。




「……ですので、今日は学校はお休みさせてください。はい、失礼します……」


 軽く息を吐いて、私は電話を切った。


 アリスちゃんが風邪をひいたってことを高校に電話した。……固定電話、ひさしぶりに使ったなあ。最近はスマホで足りるから。



 お母さんは、今日はパートがあるらしい。


 アリスちゃんの看病のために休もうかと申し出たけど、アリスちゃんが申し訳なさそうに辞退した。


 だから、アリスちゃんの看病は私がする。でも……



 アリスちゃんが、つんつんと私をつついてきた。


「どうしたの?」


 コクンと頷くアリスちゃん。


 それからカレンダーの、今日の日付を指し、自分の歯を指し、歯をイーっとし、天井を指し、窓の外の木を指し、にっこりと笑った。



「……今日、は、イー、天、木……だねっ……?」


 コクコクと頷くアリスちゃん。どうやら合っているらしい。


 今日はいい天気だね……話のするのも回りくどくなってしまった。



「大丈夫だよ」


 私はアリスちゃんの手を取って言う。


「アリスちゃんの言うことなら、私なんとなく分かるから。だから、無理しないでね」


 じ~~んっ。


 マンガならそんな擬音が書かれそうな、感動した様子のアリスちゃん。


 が、感極まったらしく私に抱き着いてきたのだった――




 ――アリスちゃんの言うことなら、私なんとなく分かるから。だから、無理しないでね。


 そう言われて、胸からこみあげてきた感情はあっという間に溢れてしまった。


 なんだか、お姉ちゃんがいつもより優しい気がする。たまには風邪ひくのも悪くないかも。


 なんて言ったら怒られるだろうなあ……っ!?



「きゃっ!?」


 悲鳴を上げたのはお姉ちゃんだ。


 抱き着いたら、勢い余ってお姉ちゃんを押し倒してしまったから。


 ……うぅん、ていうより、これは……



 頭痛い。それに、気のせいかな? 体も熱っぽいような……


「だ、大丈夫っ!? アリスちゃんっ」


「らいじょーぶ、らいじょーぶ……」


 どうやら、本格的に風邪をひいてしまったみたい。




 お姉ちゃんに肩を貸してもらって自分の部屋まで戻る。


 ちょっと待っててねと言って、お姉ちゃんは行ってしまった。おかゆを作ってくれるらしい。


 うーん、熱が上がってきたのかな? ちょっと苦しい……ハッ!?



 熱のおかげで思いついた。ていうか、思い出した。


 そうだ、アレがあったんだ! えぇと、たしかここに……


「お待たせ、アリスちゃん」


 いいタイミングでお姉ちゃんがおかゆを持って戻ってきてくれた。



「どうしたの? 寝てなくちゃダメだよ」


 ごめんね、と私は両手を合わせて謝る。


 それから、手に持っているものをお姉ちゃんに差し出した。


 お姉ちゃんはおかゆを置いて受け取ると、「なにこれ」と眉をひそめる。



「これ……ナース服?」


 コクコクと頷く私。


 そう、以前買って、私が着たナース服だ。


「ひょっとして、私に着てってこと……?」


 コクコク! 大きく頷く私。


「やだ!」


 即座に拒絶するお姉ちゃん。


 私はシュンとなってしまう。……お姉ちゃんのナース姿、見たいのになあ……



「うっ……も、もう。今日は特別だからね?」


 しょうがないなあ、と言いたげのお姉ちゃんの言葉に、私はバッと顔を上げた。


「ほ、ほんとに今日だけだよっ!? 明日からは着ないからね!」


 頷くと、お姉ちゃんは私の部屋から出て行こうとしたので、その手をぎゅっと掴む。



「どうしたの? 着替えてくるから、ちょっと待っててね」


 フリフリと首を横に振る。


「……まさか、ここで着替えてって言ってる?」


 コクコクコクコク!


 さすがお姉ちゃん! 私の言いたいことが分かってくれるなんて! 大好きっ!



「やだよ! 自分の部屋で着替えてくるから!」


 そ、そんな……


 このときの私は、多分マンガなら「ガァ~~~~ン」みたいな擬音がついていたと思う。


「衝撃受け過ぎじゃない!?」


 私だけでなく、お姉ちゃんも衝撃を受けていた。


 どうしてダメなのと目顔で尋ねると、お姉ちゃんは頬を赤らめて、



「だ、だって、恥ずかしいもん……」


 お互いに服脱がせっこしたりしてるのに。何度か目のまえで着替えてくれたこともあるのに。


 うぅ、どうしてもダメかなあ……


 またシュンとなっていると、お姉ちゃんはまた困ったような声を出して、



「き、今日だけ、だよ……」


 顔を上げてお姉ちゃんを見ると、頬は真っ赤になっていた。


「ほんとに、ほんとーーーーーーーーに、今日だけだからねっ!」


 とっても優しいお姉ちゃん。私は感動のあまり、涙を流して喜ぶのだった……




 着替えを済ませた私は、ちいさくため息をついた。


 見られながら着替えるって、やっぱり恥ずかしい。最初は体を隠すように着替えてたけれど、途中から諦めて普通に着替えた。


 でも、着てるときも恥ずかしかったけれど、着てからも恥ずかしいなあこれ。なんだか落ち着かない。パンツ見えてないよね……?


 今日はアリスちゃん調子悪いみたいだし。大人しくしてもらって、はやく風邪を治してもらおう。



「着替えたよ。これで……きゃっ!?」


 いい? と訊くよりもはやく、アリスちゃんに抱きしめられた。


 ……似合ってるってこと、かな?


 すごく恥ずかしかったのに、褒められたら喜んじゃうんだから、私ってやっぱり単純だ。



「はい、あ~ん」


 食べさせてと(多分)頼まれたので、おかゆに息を吹きかけて冷ます。


 私の考えは合っていたらしく、アリスちゃんはおかゆを食べてくれる。


「おいしい」


 そう言ってくれた気がする。声は出ていないけれど、そんな顔をしてた。


 と思ったら、急に身を乗り出したアリスちゃんは、そのままベッドに倒れてしまう。



「ちょ……だ、大丈夫っ!? 急にどうしたの!?」


 どうやら、抱き着こうとしたらふらついてしまったらしい。


 さっきもそれで倒れちゃってたし、さすがのアリスちゃんも普段通りとはいかないらしい。



「……え? なあに?」


 アリスちゃんがなにか言ってる。


 注射器? を持って、ポーズをとって、写真撮らせて……


「なんでっ!? やだ!」


 またシュンとなるアリスちゃん。うぅ……



「もう、今日は特別だよ」


 パァ、とアリスちゃんの顔が明るくなる。


 アリスちゃんの言う通り、ポーズをとって写真を撮られる。



 え、座ったらパンツ見えちゃうのに……うぅっ。


 今度は足開いてって……も、もうっ!



「調子に乗らない! 風邪ひいてるんだから大人しく寝てなさいっ!」


 軽くデコピンする。


 アリスちゃんも悪ノリしすぎたことが分かっているらしく、「ごめんなさ~い」という感じに謝ってきた。


 まったく……



「ねえ、アリスちゃん」


 私の声は、わがままな子供を叱る親みたいだった。


 実際、ちょっとそういう気持ちはある。あんまりおふざけしないで、静養してほしい。私を心配させないように、いつもどおりに振る舞おうとしてくれているのは分かるけれど。


「ゆっくり休んで、ちゃんと風邪治してね。じゃないと、その……いつもみたいなこともできないでしょ……?」



 あ、あれ……? なんか返事が来ない。


 な、なんか体が熱くなってきた。私、すっごい恥ずかしいこと言ったんじゃ!? と思ったけれど……


 アリスちゃんは両手を胸に当てて、感動的な表情で私を見ている。


 じ~~~~ん。そんな擬音が後ろに見える……気がする。



 感極まったらしいアリスちゃんが、私に抱き着いてこようとして……またベッドに倒れこんだのだった。


「もうっ! だから寝てないとダメだってば!」


 風邪をひいても、やっぱりアリスちゃんはアリスちゃんだった。

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