第106話 ●●の秋

「それでね、星野さんとそのお店に行ったんだけど……」


「ふーん」


「だからさ、今度一緒に行こうよ。お姉ちゃんが好きそうな雑貨もたくさんあったよ」


「うん。そうだね……」



 …………。


 なんか、反応が薄い。さっきから生返事しか返ってこない。


 せっかくの日曜日だっていうのに、お姉ちゃんは朝から本を読んでいる。


 私が話しかけても「うん」とか「へー」とか、そんなのばっかり……


 そんなお姉ちゃんもかわいいっ!


 ……っていやいや、そういうことじゃなくって!



「お姉ちゃんてば! 私の話聞いてよ~~~~っ!」


「はいはい、聞いてるってば」


 言いつつも、お姉ちゃんの視線は本から離れていない。完全に生返事だ。


 日本では「読書の秋」なんて言葉があるみたいだけど、ここまで来るともっとべつな感じ。


 こういうのなんて言うんだっけ。えぇっと、たしか……そう、



「本の虫だよなぁ……」


 あ、そうだ。


「お姉ちゃん、肩に虫がついてるよ」


「えぇえええっ!? う、ウソ……!?」


 慌てて肩を見るお姉ちゃん。そんなところもかわいい。


「なんちゃって。ウソだよ。驚いた?」


「もう、アリスちゃん! 驚かせないでっ!」


 そう言うと、お姉ちゃんは私からプイと顔を逸らしてしまった。


 その顔は、ちょっと厳しい表情だった。



 あ、あれ? ホントに怒っちゃった? どうしよう……


 ていうか、そんなに怒らなくってもいいのに! 全然私に構ってくれないし! 私だってもう怒ったんだから!


 お姉ちゃんとおなじように、私もプイと顔を逸らしたのだった。




 ――ふと目を覚ますと、辺りは薄暗かった。


 時計を見ると……もう六時過ぎだ。どうやら本を読んでいる間に、うたた寝をしてしまったらしい。


 いけない。今日はお母さんが遅いから、私がご飯準備するんだった。そろそろやらなきゃ!



 身を起こすと、私の体からなにかが滑り落ちた。


 ちょっと体が軽くなって、それに……うぅ、肌寒い。


 手に取ると、落ちたものは毛布だった。私が居眠りしちゃったから、アリスちゃんがかけてくれたのかな?


 そう考えると、なんだか胸が温かくなった……



 って、ご飯作らなきゃなんだった!


 ていうか、アリスちゃんどこ行ったんだろう?


 たしか、私の部屋にいた気がしたんだけれど……


 そう思いながら、私は部屋を出てキッチンに向かった。




 リビングに入ると、キッチンにアリスちゃんがいるのが見えた。


「ご、ごめん、アリスちゃん! ご飯作ってくれてるんだ?」


「…………」


 あ、あれ?


 アリスちゃんが返事をしてくれない。顔もプイと逸らされてしまった。


 聞こえてないってことはないよね? たぶん。でも……じゃあ、どうして返事してくれないんだろう?



「あ、アリスちゃん? どうして返事してくれないの?」


「聞こえないからです」


「聞こえてるじゃん」


「ぷーん」


 アリスちゃんは頬を膨らませ、また顔をプイと逸らした。



「えいっ」


 ぷにっと頬に突くと、プッと口から空気が抜けた。


「もう! やめてっ!」


 怒られた。しかも結構本気っぽい。


 うぅっ、なんでそんなに怒ってるんだろう……?




 アリスちゃんが作ってくれてるのはシチューだった。


 最近肌寒くなってきたし、ちょうどいいかも。だけど……


 返事をしてもらえないから、私もしゃべらなくなって、私たちの間にはさっきから沈黙が――



「あちっ」


 それを破ったのはアリスちゃんの声だった。


 それが短い悲鳴だって気づくのには、ちょっと時間がかかってしまった。



「ど、どうしたのっ?」


「うん……ちょっと」


 言って、アリスちゃんはベロを出した。


「思ってたよりも熱くって、火傷しちゃったみたい……」


「大丈夫?」


「うん。そんなに痛くないから、軽くだと思う」


 私はホッと息を吐いて、それから、アリスちゃんには口に水を入れて、口内をゆすいでもらうことにした。



「ごめんね……」


 シチュー作りを引き継ぐと、ポツリと声が聞こえてきた。


「お姉ちゃんのこと、さっきから無視しちゃって」


「う、うん。いいけど……でも、どうして?」


「だって、お姉ちゃん全然私に構ってくれないんだもんっ!」


 アリスちゃんは、ちょっと頬を膨らませて言った。



「私が話しかけてるのにずーっと本読んで、全然聞いてくれないしっ!」


 やっぱり怒ってる。けれど……


「構ってくれない? 話しかけてるのに? な、何の話……?」


 訳が分からずに、目を瞬く。すると、アリスちゃんは頬をフグみたいにぷくーっと膨らませた。



「もう! もう! お姉ちゃんっ!」


 ぺちぺち叩いてくるアリスちゃん。


「ご、ごめん! ごめんてば! 私、本に集中してて気づかなかったみたい!」


 そういえば、話しかけられたような気がしないでもないような……?


 しばらくぺちぺち叩いていたアリスちゃんだけど、やがてそれはピタリと止まった。



「私、すごく寂しかった……」


 うぅ、悲しそうな顔のアリスちゃんを見ると、心が痛んでしまう。


 ……よ、よしっ!



 私は決めるや否や、ちゅ、とアリスちゃんの唇を塞いだ。


 アリスちゃんの舌を、私の舌で絡めるようにして、優しく、優しく……



「あ、あのね」


 唇が離れたとき、私の口から出たのは吐息みたいな声だった。


「その、舌を火傷したときは、唾液で消毒するみたいな話、聞いたことあるから……お詫びに、私が火傷、治してあげるね」


 不意を突かれたらしいアリスちゃんは、ちょっと驚いた顔をしていたけれど……それは一瞬のこと。


 すぐに甘い声で、


「私、まだ治ってないよ」


 囁くみたいに言ってくる。


 そんなふうに言われたら、私……



「じゃあ、ジッとして。治るまで、動いちゃダメだよ」


「うん……」


 アリスちゃんはそっと目を瞑る。



 唇を合わせた瞬間、私に伝わってきたのは、やわらかい温もり。


 私の世界から雑念は消えて、大好きな女の子の温もりに包まれて、胸がいっぱいになった。


 アリスちゃん……アリスちゃん……っ!


 もう一度唇が離れると、私たちの舌は唾液で繋がっていて、アリスちゃんの唇の端からは液体が垂れていた。



「まだ……」


 アリスちゃんの薄いピンク色の唇がちいさく動く。


「まだ……まだ、治ってないよ……」


「うん。大丈夫だよ、ちゃんと治すから」


 そして私たちは、もう一度唇を重ねたのだった――



 人間、集中しすぎると、周りが見えなくなってしまうらしい。


 例えば、シチューを焦がしてしまうくらいに……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る