第104話 カフェに来た星野が、水を一杯くれと言った。
――わっ!
私の視線のさきで、アリスちゃんがそんな感じの行動をした。
実際に声は聞こえなかったけれど、なんとなく、宮野を驚かせている気がする。
今は比較的すいているから、二人は店の奥でカップを拭いているんだけど……
え、なになに、バイト中にケンカ?
と思ったら、今度はアリスちゃんは、宮野を後ろから抱きしめていた。
宮野は最初驚いた様子だったけど、されるがままだ。ケンカじゃない……のかな?
ていうか、なんで私はあの二人を盗み見てるんだっけ……?
「ねっ? ねっ? どうですか青山さん! あの二人、ずっと見守っていたくなりますよねっ!」
そう言ったのは星野さん。アリスちゃんの友達らしい。
日曜日。私が『ルエ・パウゼ』でアルバイトをしているところにやってきた星野さんは、私が宮野の友達と知ると、
(――「小岩井さんたちのバイトでの様子を教えてくださいっ!」――)
と言ってきた。
聞けば、井上さんもよくおなじ質問をされるという。
正直めんどくさいけど、今はお客さんだしあんまり無碍にもできない。仕事に支障が出ない程度に答えてからの、さっきの言葉だ。
言われて、私は首をかしげる。うーん、見守りたいかなあ……
二人のイチャイチャにはもう慣れたけど、見守りたいかと訊かれても正直困る。宮野は友達だし、応援したいとは思うけどね。
正直に答えると、
「えぇ~~……そうですか……」
めちゃめちゃガッカリされた。……なんか、そんな反応されると、悪いことした気分になるな。
「ま、まあでも、仲いいのはいいことだと思うよ、うん……」
「ですよねですよねっ!」
罪悪感に負けて言うと、星野さんはたちまち目をキラキラさせて前のめりになった。
「私、あの二人を見守るのが生きがいなんですっ!」
いや、もっと他にあるでしょうよ。
「見てるだけで、それだけで……えへへっ、ふぇへへへへへへへへへ~~~~っ!」
おぅ。ほんのちょっと呆れている間に、星野さんがヤバいことになってる。
……いや、ほんとヤバい。人前でして大丈夫なのってくらい顔が緩んでる。
「青山さん、これ差し上げます! 二人のやり取りをノートにまとめたものです!」
「はっ? いや、そんなの渡されても……」
「あとこれ、二人をモデルにして私が書いた小説です! 読んで感想聞かせてくださいっ!」
「や、だからさ……」
「へへへへへっ! 小岩井さぁん……っ!!」
ヤバいよヤバいよ。
人ってこんなに緩んだ表情で着るんだ。ある意味スゴイ。
私は渡されたノートを抱え、立ちつくしてしまうのだった――
とはいえ、私もちょっと気になる。いや、べつに星野さんみたいな理由からじゃなくて……
さっきの二人は、なんだか様子が変だったし、一応確かめといたほうがよさそうだ。
そう思ったときに、いきなりアリスちゃんがテーブルを叩く姿を見つけたんだ……
え、なになに、バイト中にケンカ?
と思ったら、今度はアリスちゃんは、宮野を後ろから抱きしめた。
宮野は全然抵抗してない。それどころかうれしそう。まあ、二人は婚約してるらしいし、当然なのかもだけど……
ど、どういうことなんだろう? 私は物陰に隠れて、必死に頭を働かせる。
怒ったと思ったら抱きしめるなんて、いったい……ハッ!?
分かった。分かっちゃった。
これ、DVだ。
宮野は、DVを受けてるんだ!!
怒った後に急に優しくなるなんて、典型的なDVじゃんっ! ……多分。
ど、どうしよう。気づいちゃったからにはなにかした方がいいよね。
でもなにをしたら? 宮野は幸せそうだし。うーん。
ちょっと迷ったものの、私はついさっき知った驚きの事実を、星野さんに報告した……
「――はっ?」
突然言われた言葉に、私は目を丸くしてしまう。
「ですから、あの二人はいつもああしてるんですよ」
繰り返された言葉に、私はやっぱり驚きを隠せない。
いつもああしてる? いつもDVを受けて、それでも関係を終わらせないなんて、まさか……
宮野ってMなのっ!?
そっか。そういうことだったんだ……
「お待たせしました」
とそこに、タイミングを見計らったように宮野が来た。
どうやら、星野さんが注文したイチゴタルトを持ってきたらしい。
まじめに仕事をしている宮野に、私はついつい、言ってしまった――
「宮野、そんなまじめそうにしててもMなのか……」
「は?」
いきなり青山に意味不明なことを言われた。
コイツまじめな顔でなに言ってるんだろう?
「え? 違うの?」
「そんなわけないじゃん。まったく、なんでそんなこと……ヒック」
あ、ヤバ。
一度収まったと思ったのに、またヒャックリが出ちゃった。
「ヒック……うぅ、ん……ヒック」
「大丈夫ですか?」
星野さんが心配そうに訊いてくれる。
「うん、大丈夫。ありが……きゃっ!?」
ビックリした。いきなり、うしろで「わっ!」という大きな声が聞こえてきたから。
それはアリスちゃんの声だ。
「どう? 止まった?」
結局私のヒャックリは止まらず、静かに首を横に振る。
さっきからアリスちゃんは、私のヒャックリを止めるために色々としてくれている。
大きな音を出したり、後ろから抱きしめたり……
それでも、私のヒャックリは止まらなかった。
アリスちゃんは大きなサファイアの瞳でそんな私を見ていたけれど、やがてなにか思いついたような顔になった。そして――
ちゅ。
突然唇を塞がれた。
ほんの一瞬の、軽く触れあうようなキスだった。
けれど、不意を突かれた私は、ドキッと胸が高鳴る。
「あ、アリスちゃんっ。こんなところで……今バイト中だよ……っ?」
「へーきだよ。今星野さんしかお客さんいないし」
「で、でも……」
ダメ、と思ってるのに、思えば思うほど、私の頭はアリスちゃんで一杯になっていく。
「じゃあ、ちょっとだけ……」
うん。すこし、すこしだけなら、いいよね。
私は背伸びをして、そっとアリスちゃんと唇を重ねたのだった――
「ふへっ! ふへへっ! サイコーですよね青山さん! セロトニンとドーパミンがドーバドバ!!」
「なに言ってるの!? サイコーって言うかもうサイコだよっ!」
いや、もう……私にはついて行けそうもない。色んな意味で。
一人取り残された私は、大きくため息をつくのだった。
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