第101話 アリスちゃんとデート(●●編)

「お待たせ、お姉ちゃんっ」


 休日、駅前でアリスちゃんと待ち合わせをしていると、待ち合わせ時間のすこしまえにアリスちゃんは来た。


「ごめんね。待たせちゃって」


「うぅん、私もついさっき来たところだから」


「そうなの? ならいいんだけど……」



 なんだか、すごくテンプレートなやり取りをしちゃった気がする。


 思わず笑いそうになったけれど、アリスちゃんが私をじっと見つめていたことでそれは引っ込んだ。



「どうしたの? アリスちゃん」


「うぅん、べつに」


 ただね、とアリスちゃんは言う。


「今日のお姉ちゃん、いつもより素敵だなって」


 突然そんなことを言われて、胸がキュンとなるのが分かった。



「あ、お姉ちゃん、今ときめいたでしょ?」


「え、や、そんなこと……はい……」


 恥ずかしさから否定しようとしたけれど……今日のデートのルールを思い出し、うつむき加減で認める。


 アリスちゃんは「やった!」と言って、ちいさくジャンプして、


 つぎの瞬間には、ふわっと甘い香りが漂って、温かくてやわらかな感触に包まれた。


 抱き寄せられたんだって分かったときには、アリスちゃんのきれいな顔が近くにあった。吐息がかかるくらい、近くに。



「まずは一ポイント、だねっ」


 耳元で囁かれる。


 くすぐったさと恥ずかしさで、私はまた胸がときめくのを感じた――




 昨日の夜のこと、アリスちゃんにデートしようって誘われた。


 いいよって答えると、


「デートして、勝負しようっ!」


 よく分からないことを言われた。



「ど、どういうこと……?」


 今までに何度もデートをしてきたから、明日はちょっと特別なデートをしてみたいらしい。


「デートして、どっちがより相手をドキドキさせられるか勝負してほしいのっ」



 いつもとおなじようにデートをする。


 でも、相手の言動にちょっとでもドキドキしたら素直に言う。そうしたら一ポイント。


 デートが終わったとき、ポイントが多かったほうの勝ち。買ったほうは相手になんでも言うことを聞いてもらえる。


 というのが、アリスちゃんの説明だった。


 そんなわけで、私たちは〝ちょっと特別なデート〟をすることになったんだけど……




「……あれ? お姉ちゃん、口紅変えた? なんだかいい匂いする」


 アリスちゃんはくんくんと匂いを嗅いでくる。


「うん。柑橘系の香りがするんだって。つけるの初めてなんだけど……」


 どうかな? と訊くよりもはやく、アリスちゃんは「とっても似合ってるよっ!」と言ってくれた。


「いつ買ったの?」


「ちょっとまえだよ。デートするときにつけようと思って」


「そうだったんだ。とっても素敵だよ。それに、私のために用意してくれたんだって思うと、すっごくうれしい」


「……ドキドキした?」


 恥ずかしいけれど、思い切って訊いてみる。


 だって、私はさっきからドキドキしてばっかりだし、アリスちゃんにもしてもらわなきゃ!



「したよ。でも……」


 アリスちゃんは一度言葉を切って、大きなサファイアの瞳で、私をジッと見てくる。


「キスしてくれたら、もっとドキドキするかも」


「っ!」



 ど、どうしよう……


 アリスちゃんをドキドキさせようと思ったのに、また私がドキドキしちゃってる。



「お姉ちゃん、またドキドキしてるでしょ? 分かるよ……」


 呟くように言ったアリスちゃんは、私の胸にそっと手を触れてくる。


 なんだか私ばっかりドキドキしてる。


 くやしいから、否定したくなっちゃったけど……アリスちゃんに見つめられていると、とてもできそうにない。


 それに、そんなことしたくない。


 だから私は、無言で、ちいさく頷くしかなかった……




 アリスちゃんと〝ドキドキデート〟をしているうち、気づけば日は傾いていた。


 結果を言えば、私の完敗だった。私は今日一日中、ドキドキしっぱなし。


 それも当然だよね。だって、好きな女の子とずっと一緒にいて、私がときめくことをしたり言ったりしてくれてるんだから。


 でも……



「はい、お姉ちゃん。あーん」


「あむ……じゃあ、アリスちゃんも……な、なに?」


 カフェに入って昼食を食べているとき。


 私が差し出したパンケーキを見つめながら、なにやら笑っているアリスちゃん。


 気になったので訊いてみると、アリスちゃんはうれしそうに言う。



「うぅん、もう普通にやってくれるんだなーと思って」


 うっ。そういえば、まえにもこんなことを言われた気がする。


 アリスちゃんとこういうことをするのは、私にとってはもう当たり前のことなんだ。


 でも、だからこそ……



 ちょっと、慣れちゃってる……かも。


 好きな女の子とのスキンシップだし、もちろんドキドキはするけれど。


 なんていうか……うーん……



「お姉ちゃん」


 私の思考を破ったのは、どこか甘いアリスちゃんの声だった。


 なあにと答えようとして、顔を上げたら、



 いきなり、唇を塞がれた。ここまでならいつも通りだけど……


 その直後に、なにか液体が流れ込んできた。反射的に飲み込んでしまう。


 甘くて、それにミルクの味もする……これ、カフェオレだ。そういえば、アリスちゃんが注文してたっけ。


 そっか、アリスちゃんが口に含んで、そのまま私に……



 なにをされたのか分かった途端、顔が一気に赤くなるのが分かる。


 く、口移しでなんて、すごく大胆なことされちゃった。


 私は舌を伸ばす。残ったカフェオレを舐めとるようにして。


 感じたのは、カフェオレじゃなくて、アリスちゃんの舌。お互いを求めるようにして絡み合う。


 アリスちゃんの舌は、カフェオレの味がした。けれど、感じるのはそれだけじゃなくて……



「おいしい……?」


 訊かれて、私は軽くあごを引くようにしてコクリと頷いた。


 体だけじゃなくて、頭の奥までじんじんしていて、うまく喋れそうにない。


「じゃあ、また一ポイント、だねっ」


 耳元で、あまーいささやき声が聞こえる。


 私はなにか見えない力に引っ張られるみたいに、コクリと頷いた。



 なんだか私ばっかりドキドキしてる。ほんと、デートが始まってからドキドキしっぱなしだ。


 でも私だって!



「は、はい、アリスちゃんっ」


 私はショートケーキの上に載っていたイチゴを半分口に入れ、そのままアリスちゃんのほうを向いた。


 どっ、どうしよう……これ、すっごく恥ずかしいっ! 自分の心臓の音が聞こえるくらい、ドキドキしてる。


 やっぱりやめようかな……



 ちゅっ



 ふと、唇にやわらかくて温かい感触が押し当てられた。


 それだけじゃなくて、ちょっと甘い……


 キスされたんだって気づいたときには、私もアリスちゃんを求めていた。


 お互いを求めあって、一つのイチゴを一緒に食べる。唇の端からなにかが溢れ出て、じゅるっていう音が聞こえた。


 それがとてもいやらしい音のように思えて、私の心臓はまたドキドキを増す。


 そして、



「お姉ちゃ~~~~~~~~んっ!!」


 アリスちゃんに抱きしめられた。


 とてもうれしそうで、幸せそうな感じだった。


「んぷっ……ど、どうしたの? アリスちゃん」


「とってもかわいくて素敵なお姉ちゃんを抱きしめています。私はとっても幸せです」


 なぜか英語の訳文みたいな言い方だった。



 とまあ、そんな感じで、私がなにかをすると、アリスちゃんはとても喜んでくれた。


 ちょっと大げさなくらいに喜んでくれて、私もうれしかった。うれしかったけど……




 結局、ポイントはアリスちゃんのほうがずっと多い。


 買ったほうは負けた方に好きなことを頼める。


 これが今回のデートのルールだ。



 アリスちゃん、私になにをする気なんだろう?


 ちょっぴり不安。でもそれ以上に、なにされちゃうんだろうっていう、期待もあって……



 もう今回は仕方ないかな。


 でも、最後にもう一か所、私には行きたいところがあった。




 アリスちゃんに訊いたらいいよと言ってくれたので、私たちはそこへ向かう。


「アリスちゃん、もうちょっとだからね」


「うん。でも、どこに行くの?」


 私は「ついてからのお楽しみだよ」と答えて、アリスちゃんの手を引いてさきに進む。


 大通りから裏道に入って、何度か角を曲がって、そして――



「わぁ……」


 ついた途端、アリスちゃんの口から、ため息のような声が漏れた。



 私たちの目の前に広がるのは、一面の夕焼けだった。


 裏道から分け入った場所にある、ちいさな公園。といっても、遊具はなにもない。ベンチが二つ置いてあるだけだ。


 そこからは、ビルやマンションで景色が遮られることもなく、広い広い空を見ることができる。


 地元の人でも知っている人はあまりいない、隠れた名所だ。



「この景色を、アリスちゃんと一緒に見たかったんだ」


「私と?」


 私は「うん」と頷いて、アリスちゃんと向き合う。そして、



「お誕生日おめでとう。アリスちゃん」


 今日、ずっと言おうと思っていた言葉を口にした。


 アリスちゃんは、ポカンと驚いたような顔をしている。



「こ、この景色を、あなたに捧げます……な、なんちゃって……」


 アリスちゃんはまだポカンとしたままだった。


 それどころか、私の言葉を聞いてよりポカンとした気がする。


 私はといえば、顔が真っ赤に染まっているのが自分でも分かる。それは、もちろん夕日に照らされているからだけじゃない。



 わ、私、今すっごく恥ずかしいことを言っちゃったよねっ!?


 なんちゃってって誤魔化したけど、メチャメチャ恥ずかしい! 恥ずかしくて、アリスちゃんの顔を見れなくなってきた……



「お姉ちゃん」


 呼ばれて、吸い寄せられるように視線がアリスちゃんに戻る。



 ちゅっ



 そして、唇は柔らかな、温かい感触で包まれる。



 アリスちゃん……


 それだけのことで、私はアリスちゃん以外のことはなにも考えられなくなった。


 好き、大好き……アリスちゃん……アリスちゃん……っ!



「ありがとう」


 聞こえてきたのは、とても短い言葉だった。それなのに……


 どうしてだろう? なんだかキスに負けないくらい、甘い声だ。


「こんなに素敵なプレゼント、初めてもらったよ。ありがとう、お姉ちゃん」


「うん。どういたしまして」



 よかった。喜んでくれて。


 大好きな女の子が喜んでくれると、私まで幸せな気持ちになれる。



 アリスちゃんにそっと身を委ねる。


 その胸からは、大きな音が聞こえている。


 私のしたことで? それとも私といるから? 両方なのかな?


 私も……



「大好きだよ、アリスちゃん」


 気づいたときには、私の視線はまたアリスちゃんを向いていて、そう言っていた。


「うん、私も。愛してるよ、お姉ちゃん」


 背伸びをして、アリスちゃんと口づけを交わす。



 甘い……


 とろけそうなくらいに甘い味が、あっという間に私の全身を包み込んだ。


 もっと、こうしていたい……できることならずっと……アリスちゃんと一つになりたい……



 さっきまで聞こえていた、アリスちゃんのドキドキは聞こえなくなって、代わりに自分の心臓の音が、うるさいくらいに聞こえている。


 ドキドキ……ドキドキ……


 でも、それは私だけじゃない。きっと、アリスちゃんもおんなじで……



 私たちは、お互いにドキドキと音を聞いたまま、


 もう一度口づけを交わしたのだった――

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