第98話 疲れた身体に●●

「アリスちゃん、ちょっと踏んでくれない?」


 休日。お姉ちゃんのお部屋。


 突然お姉ちゃんにそんなことを言われた私は、えっと息を呑んだ。


 お、お姉ちゃん……やっぱりそういう趣味があったんだね……!


 大丈夫だよ! 私がちゃんと満たしてあげるからっ!



 ……なんて、冗談です。


 分かってるよ。お姉ちゃん本読んでたもんね。何時間も読んでいたから、体が凝っちゃったんだろう。


 前に、井上さんとの会話を勘違いしちゃったし、今度は騙されないっ!



「いいよ。マッサージしてあげるね」


 私が言うと、お姉ちゃんはベッドの上に横になった。


 そんな! 急にベッドに横になるなんて私を誘ってるのっ!?


 ……なんて、冗談です。


 普段ならそういうところだけど、今のお姉ちゃんは本当にお疲れらしい。やめておこう。



 私はベッドに上がって、お姉ちゃんの上にまたがる。


 まずは肩からマッサージしよう……



「どう? お姉ちゃん」


 マッサージをしながら訊ねる。ちょっと強い力で。でも痛くしないように。


 私としてはちょうどいい力加減かなーと思っていたんだけれど、


「うーん……もうちょっと強くしてほしいかも」


 お姉ちゃんはちいさく吐息を漏らしながら言った。


 結構強くやってたつもりだったんだけど……でも、お姉ちゃんのためなら!



「んんぅ……っ!」


 さっきよりも、ちょっと大きな吐息。


 体もビクンと震えたので、私はちょっとビックリした。


「だ、大丈夫? お姉ちゃん」


「うん。大丈夫。それより、もうちょっと強くしてくれない?」


 ……ま、まだ!? もっと強くするのっ!?



 ゴクン……



 知らず知らず、私は唾を飲み込む。



 かなり強くしたつもりだったのに、まだ強くしてってことは……


 まさか、お姉ちゃん……本当にMなの!?


 そっか。それなら、私も覚悟を決めなくっちゃ。



 私は決意を新たにして、ベッドの上に立ち上がった――




「んっ、ぅ……あ……はっ……」


 アリスちゃんのマッサージを受けていると、どうしても声が漏れてしまう。


 長時間同じ姿勢で本を読み続けていたために、かなり体が凝ってしまったらしい。



 でも、アリスちゃんのおかげでだいぶ解れてきた。


 いつまでもやってもらうのも悪いし、そろそろいいかな。


 そう思ったときだった微かな違和感が。


 その後には、ベッドがギシッと音を立てる。視線だけを向けると、アリスちゃんが立ち上がっていた。



「アリスちゃん……?」


 どうしたんだろう? もうマッサージは終わりってことかな? 思っていると、



 ふみっ



 いきなり体を踏まれた。



「ど、どうして踏むのっ?」


「だって、お姉ちゃん好きなんでしょ? 踏まれるの」


 えぇえええええええっ!? な、なんでそんな話になってるのっ!?


 混乱する私をよそに、アリスちゃんは私を踏み続ける。



「ほら、遥香。こういうのが好きなんでしょ? 素直になりなさい」


「アリスちゃん……ま、待って……っ」


「それで抵抗しているつもりなの? ふふ、かわいいっ」


「や……んん……っ」


 や、ヤバい……アリスちゃん、ノリノリだ。


 こうなったアリスちゃんは、しばらく止まらない。


 ていうか、なんでこんなことになってるのっ!? ホントに突然すぎるよ!


 でも……



 な、なんでだろう……やっぱり、ドキドキする。


 べつに私、そういうのじゃないはずなのに。


 アリスちゃんに踏まれて、ぞんざいに扱われて、なんだかドキドキしちゃってる。



「あ、アリスちゃん……」


「なあに、遥香?」


「……も、もっと……強く踏んで……っ」


 言いながら、サッと顔が赤くなるのが分かった。


 言っているのは、さっきとおなじ言葉だけど……その意味はさっきとは違う。


 私、とんでもないことを言ったんじゃ……っ!?



「いいよ。ほらっ」


「んぁっ!?」


 おかしな自分の声を聴いて、慌てて口を押える。


 だけど、もう遅い。アリスちゃんがそれを聞き逃すはずがないから。



「やっぱり、こういうの好きなんだ? ほら、どうしてほしいのか、自分の口で言ってみてよ。ほらっ!」


「ぁん……もっ、もっと強くっ……踏んでくださいぃ……っ!」


「よくできました。ほら、ご褒美だよっ!」


「んんっ! あ、ありがとう……ございます……っ!」


 や、ヤバい……


 こんなことしたらダメなのに、だれかに見られたら勘違いされちゃう……



「……なにしてるの、二人共」



 サッと、血の気が引くのが分かった。


 声を聴いた瞬間、なにが起きているのかを理解できてしまったからだ。


 目を向けると、そこには……



 買い物から帰ってきたらしいお母さんが、引きつった顔で立っていたのだった――




「ふぅ……」


 お風呂から上がって、自分の部屋に戻った私は、湿った髪を拭きながらベッドに座った。



 さっぱりして一息つく……


「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」


 ベッドに倒れこんだ私は、両手で顔を押えてゴロゴロと転がった。



 うぅ、また思い出しちゃった。今日の昼間のこと。


 アリスちゃんと、その……してるところを、お母さんに、お母さんにぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!


 ひとしきり転がった私は、また一息つく。ちょっと落ち着いた。


 もうずっとこれを繰り返してる。思い出して恥ずかしさで死にそうになって、ふとした瞬間に落ち着く。


 ああ、ああもう……なんでよりにもよって。ていうか、なんで私あんなこと言っちゃったんだろう……



 また始まったゴロゴロを止めたのは、ドアをノックする音だった。


「お姉ちゃん? 入ってもいい?」


 聞こえてきた声に、ビクンと体が震えた。反射的にベッドに身を起こす。


「う、うん。いいよっ」


 微妙に上ずった声で答えると、アリスちゃんがおずおずと言った様子で入ってきた。


「あの……そっちに行ってもいいかな?」


 いいよと答えると、アリスちゃんはやっぱりおずおずと言った様子で歩いてきて、私の隣に腰かけた。



 ふわっと、甘い香りが漂ってくる。


 アリスちゃんも私とおなじで、お風呂上りみたい。


 みたいっていうのは、今日は一緒にお風呂に入らなかったから。


 なんだか恥ずかしくて、一緒に入ることができなかった。どうしたって、昼間のことを思い出してしまう。


 そして、それは多分アリスちゃんも一緒だ。だって、今日は一緒にお風呂に入らないことを、簡単に承諾してくれたし。



 隣に座ったきり、アリスちゃんはなにも言わない。


 普段は沈黙だって心地いいのに、今は恥ずかしいだけだ……


 でも、いつまでもこのままじゃダメだよね。なにか、なにか言わなくっちゃ……!



「「あのねっ」」



 私たちの言葉は完全に被った。


 二人で顔を見合わせて、



「あ、アリスちゃんどうぞっ」


「うぅん、お姉ちゃんどうぞ!」


「アリスちゃんがさきでいいよっ!」


「お姉ちゃんこそさきでいいよっ!」


 二人して譲り合う。結局、折れたのは私だった。



「今日はごめんね。変なこと言っちゃって。忘れてねっ」


「やだ」


 答えはすぐに帰ってきた。


「えっ?」


「ヤだよ! だって、あのときのお姉ちゃんすっごくかわいかったもん!」


「えぇっ!?」


「もっと踏んでくださいって、気持ちいいですって!」


「待って待ってやめてやめて思い出させないでぇっ!!」


 ていうか、気持ちいいとは言ってないよ!? 思っただけで!


 ……あれ? 言ってないよね?



「お姉ちゃん……イヤだったの?」


「そ、そういうわけじゃないけど……」


 私はやっぱり口ごもってしまう。


 どうしても見られたときのことを思い出してしまうから。


「アリスちゃんは、恥ずかしくないの? だって、その……」


「恥ずかしいに決まってるよ!」


 また、答えはすぐに帰ってくる。



「恥ずかしいけど、でもそれ以上にお姉ちゃんが好きなの! お姉ちゃんともっともっといろいろなことがしたいの! お姉ちゃんは違うのっ!? ひどいよ!」


「えぇえええええええっ!? なんで怒るの!?」


 理不尽過ぎない!?


 なぜか怒るアリスちゃんを前に、私はちょっと冷静になれた。



 正直、今日したことはイヤじゃない。それどころか、楽しかったっていうか……うん、好き。


 でも、人に見られたら恥ずかしいし……いや、見られなくても恥ずかしいけれど。


 それより、私は――



「優しくされたほうが、好き……だよ……」


 声は、自分でも驚くくらいにちいさかった。


 聞こえなかったんじゃって不安だったけれど、それはすぐに杞憂に終わる。



「好きだよ。お姉ちゃん」


 囁くように言われたかと思うと、そっと口づけをされた。


 甘い香りと味が、ゆっくりと、しっかり私の体に染み渡っていく……


 両手を後ろに回して、ぎゅっと抱きしめる。そしたら、アリスちゃんもおなじように私を抱きしめてくれた。


「うん。私も好き」



 やっぱり、こっちのほうが。


 優しくされるほうが、私は好き。優しいアリスちゃんが大好き……



「ねえ、遥香。言い忘れてたけど、アイス買ってきたからアリスちゃんと食べていいから……」


 ノックをして、私の返事を待たずに入ってきたお母さん。


 ドアをそっ閉じしたお母さん。


 色々と言いたいことはあるけれど……



 タイミングが悪いのは大嫌いだ。

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