第95話 一番怖いのはだれかさん……という話

「うぅ、おねえちゃぁ~ん……っ! こわいぃいい~~……」


「大丈夫だよ。安心してね、アリスちゃん」


 涙目で私に抱き着いてくるアリスちゃん。そんなアリスちゃんを、私は安心させるようにぎゅっと抱きしめる。


 一度は落ち着いたように思えたアリスちゃんだけれど……



 ガタタッ



「うみゃぁあああああああああああああああっ!?」


 なにか物音が聞こえた途端、アリスちゃんは声を上げてまた私に抱き着いてくる。


「お、落ち着いてアリスちゃん! 風、風だから! 風が窓を叩いただけだよっ!」


 なんとかアリスちゃんを宥めようとしたけれど、



「ちょちょちょちょっとアリスちゃんっ!? どーして私のスカートの中に入ってくるのっ!?」


 混乱しているのか、アリスちゃんは私のスカートの中に頭を突っ込んできた。


「もうやだぁ……こわいぃ……」


「ぁ、アリスちゃっ……や、ぁっ……息、吹きかけちゃ……んんっ」


 しかし、今のアリスちゃんには、私の声は届いていないらしい。


 私は静電気みたいにピリピリした刺激に襲われながら、頭のすみで、どうしてこんなことになっているのかを思い返していた――




「お姉ちゃん、お願いがあるの」


 土曜日の朝。突然アリスちゃんに言われた。


 かなり神妙な顔つきだったので、いったい何事かと思った。


 心配になって「なんでも言って」と答えると、アリスちゃんは意を決してという調子で言った。



 曰く、「幽霊が苦手なのを克服するために、ホラー映画を借りてきた。一人で見るのは怖いから一緒に見てほしい」……というものだった。


 そのくらいならと思って、一緒に見始めたんだけど……



「きゃああああああああっ!?」「出た出たぁあああ! なんか出たぁあああああっ!」「ひぃいいいいいいい! なんでフェイントかけるのぉおおおおおおお!」「ひぃいいいいいいいいいっ!?」



 ……そんな感じで、アリスちゃんは悲鳴を上げながらホラー映画を見ていた。


 最中はずっと私にくっついていて、というか、強く抱きしめられていた。ちょっと痛いくらいだった。


 映画を見終わったあと、アリスちゃんは涙目になっていた。ていうか、ちょっと泣いていた。


 で、



「うぅ、もうやだぁ……」


 今は私のスカートの中に頭を突っ込んで泣いている。


 ……いや、どうしてそうなるんだろう。最後のだけおかしい気がする。



「あの……アリスちゃん? もう大丈夫だから、その……出てきてくれる?」


 視線を下に向けて、スカートの中に呼びかける。


 ……なんか、すごーく変な感じがする。


「あ、アリスちゃん……?」


 返事がないのでもう一度呼びかける。でも、やっぱり返事はなかった。


 どうしたものかと迷ったけれど……



 私は、意を決して自分のスカートをめくり上げた。



 すると、その中からアリスちゃんが、正確にはアリスちゃんの後頭部が出てきた。


 そして、自分の下着も。


 ……や、やば。これ超恥ずかしい。自分のスカートめくるなんて、変態みたい……



「あの、アリスちゃん。えっとね、そこから出てほしいんだけど……」


「やだ」


 涙声で拒否された。


「私、今日からここで暮らす」


 ウソでしょ。



「もう、バカなこと言ってないで、いい子だから出てきて? ね?」


「むりぃ~~……こわいもん……」


「あ、アリスちゃんっ……んんっ、ぁっ……グリグリしないでぇ……っ」


「うぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ」


 アリスちゃんがちょっとでも動くたび、息をするたび、私の体中に、静電気みたいな刺激がピリピリと走る。


 視線を下げれば、私の両足の間には、アリスちゃんがいて……


 なんだか、とてもイケナイことをされているようで、どんどん変な気持ちになっていく。



「お姉ちゃん慰めてぇええええええええええええっ!」


「ぁ、だめぇっ……アリスちゃん……やっ、んん~~~~~~~~……っ!」


 未だ動揺しているらしいアリスちゃんは、私の言葉を聞き入れてはくれなかった。




「……大丈夫?」


 お互いに落ち着いたあと、アリスちゃんに訊いてみる。


 私のスカートの中から出てきたアリスちゃんは、今は私を抱きしめていた。


 コクリ、とちいさく頷いたみたいだったけれど、


「やっぱりだいじょばない。まだ怖い……」


 どうもアリスちゃんは隙間が怖くなってしまったらしい。クローゼットの隙間とか、半開きのドアとか。


 ホラー映画を見ただけでここまで怖がるなんて。ホントに苦手なんだなー。



「大丈夫だよアリスちゃん。私が傍にいるからね」


 それは、安心させようとして言った言葉だ。


 適当に言ったことじゃない。本当にそのつもりだった。ただ……



「あの、アリスちゃん。ちょっとだけ離れてくれない?」


「……私、邪魔なの?」


 後ろから、不安そうな声が返ってくる。


「そうじゃないけど、ちょっと動きにくいかなー……なんて」


 私は、夕食の準備をしている最中だ。


 アリスちゃんはといえば、その私を後ろから抱きしめて、ずっと離れようとしない。



「傍にいてくれるって言ったくせに」


「うっ」


「もう一生離れないって、なにがあっても傍にいるって言ってくれたのに」


「そ、そうだっけ……?」


「お姉ちゃんのウソつき」


 そう言われては、私としては折れるしかなかった。


 ただ……



「待って待ってアリスちゃん! トイレについてくるのはさすがにダメだって!」


「だってだって、ホントに怖いんだもんっ!」


「そ、そう言われても……」


 いくらなんでも、一緒にトイレに入られるのは……


「おねえちゃぁん……っ」


 ウルウルと、大きなサファイアの瞳を潤ませながら懇願してくる。


 ……うぅっ。うぅうううう~~~~~~~~っ!




「絶対だよ! 絶対に後ろ見たらダメだからねっ!?」


 もう何度目になるか分からない言葉を、さらに念押しする。


「うん。分かったってば」


 答えたアリスちゃんは、トイレのドアの方を向いている。



 その後ろで、私は自分のスカートの中に手を突っ込んで、するすると下着を膝のあたりまで下ろして、なるべく音を立てないよう、ゆっくりと座った。


 それでも、ちいさくギシッと音は鳴ってしまって、それが無性に恥ずかしかった。


 結局、私はアリスちゃんと一緒にトイレの個室に入っていた。


 すごくすごく恥ずかしいけれど、断り切れなくて……その代わり、ずっとドアの方を向いているように何度も何度もお願いしたけれど。



「み、耳も塞いでてねっ? ホントにお願いだよ?」


「えっ、耳も? ……分かった」


 一瞬ためらったっぽいけれど、アリスちゃんは素直に聞いてくれた。私としては譲れないところだし、それはアリスちゃんも分かっているんだろう。


 よ、よし、今のうちに済ませなくっちゃ。



 ……人前でするのってなんだか落ち着かない。ていうか、そんなの初めてだし。


 ど、どうしよう。緊張して、なかなか出てこない。でも早くしなちゃ……


 …………んっ。



「ムリムリ、やっぱり怖いぃいいいいいいいいいっ!」


「え、えっ? ちょっ、や……きゃぁあああああああああああっ!?」


 突然身を翻したアリスちゃんが、止める暇もなく私に抱き着いてきた。


「後ろ向いて耳まで塞ぐなんてムリだよ怖いよ私になにかする気でしょ~~~~~~~~っ!!」


「な、なにもしないよ! だからやめて離れて見ないでっ! ていうか聞かないで~~~~~~~~っ!!」


 ……いや、ホント。


 私はお化けなんかより、アリスちゃんのほうが怖いよ……




 夜。自室のベッドで横になりながら、私はやもすれば出そうになるため息をなんとか飲み込んでいた。


 思い出すだけでも、声を上げそうになるくらいに恥ずかしい。


 アリスちゃんに、バッチリ見られちゃったし、しっかり聞かれちゃった。


 私が、その……してるところを……


 うぅっ、ダメダメ!



「アリスちゃん、大丈夫?」


 私はどうしても浮かんでくる光景を無理やり振り払って、自分の腕の中にいる女の子に訊く。


 結局、アリスちゃんはあの後も私から離れようとしなかった。


 お風呂も一緒だった……まあ、それはいつも通りだけれども。



「……うん。ちょっと落ち着いてきた、かも……」


 アリスちゃんは私をちらっと見てから、ちいさく頷いた。


 でも、まだちょっと不安が残っているみたい。それはすぐに分かった。


 それから沈黙があった。なにを言おうかなと考えている間に、アリスちゃんが「ごめんね」と謝ってくる。



「え、なにが?」


「お姉ちゃんに迷惑かけちゃったから……」


 それは、私にはあまりにも予想外の言葉だった。


 一瞬キョトンとなって、それからプッと吹き出してしまう。


「な、なんで笑うのっ?」


 アリスちゃんはちょっと怒ったみたいに言った。



「ごめんね。からかったわけじゃないの。ただ……」


 普段から変なことをして、私を振り回してくるくせに、急にしおらしくなるんだもん。


 らしくないなって、おかしくなってしまった。でも……



 思えば、アリスちゃんは昔からそうだった。


 これで、結構打たれ弱いところがある。


 去年、部活の助っ人に呼ばれたときもそうだったっけ。


 私にいいところを見せようと頑張ってくれて、でもうまくいかなくて……


 でも私は、そういうとことも含めて愛おしいと思える。この子の全部が、私は大好きなんだ。



「ただ、なに?」


 アリスちゃんのサファイアの瞳は、いつもと違って不安な色があった。


 私は安心させるようにニコッと笑って、


「こういうアリスちゃんもかわいいなーって思っただけ。ちっちゃな子供みたいでっ」


 ぎゅ~~っと、アリスちゃんを抱きしめる。


 アリスちゃんは最初驚いたみたいだったけれど、すぐに私を抱きしめ返してくれる。



「まだ、怖い?」


「……うぅん、もう大丈夫みたい。お姉ちゃんといれば平気だよ」


 アリスちゃんは、私を安心させるみたいに笑顔で返してくれた。


 それはとても幸せそうで……ウソじゃないってことはすぐに分かる。



 よかった。ようやく、不安な気持ちは無くなってくれたみたい。


 これで、私もようやく安心して……



「ところでさ、お姉ちゃん」


「なあに?」


「おしっこ、結構長かったね。お水飲みすぎなんじゃない?」



 ……………………



 いや、ホント。


 お化けよりもアリスちゃんのほうがよっぽど怖いよ。

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