第92話 甘やかされホリデイ
「ロクな男が、いないっ!」
というのは、ゼミ友達の黒咲の言葉だ。
昼食を終えたあと、私たちは大学の構内にあるコンビニでコーヒーを買って、それを食堂で飲みつつ雑談をしていた。
会話の流れで恋愛の話になり、そこで出てきた言葉だ。
「急にどうしたの?」
「じつはね、また彼氏と別れたのよ」
雑談だしと軽く訊くと、黒咲は思ったよりも神妙な顔で言った。
「昨日呼び出されたと思ったら、いきなり別れてくれって。はぁ……」
疲れたようにため息をついている。いつもしっかり者の黒咲には、こういう態度は珍しい。井上や青山なら、いつものことで終わるんだけれども。
「こんなのばっかり。なんか自信なくしちゃうのよね……ね、宮野から見てなにかない? ここ気を付けた方がいいとか」
「えっ? う~~ん……」
言われて、友人の外見を改めて見直す。
つややかな長い黒髪は、流れるようにキレイだ。肌も白くきめ細やかで、身長は高くはないけれど、姿勢がいいからかシュッとしているというか、凛とした印象を受ける。
性格は穏やかで面倒見もいいし、細かい気配りもできるから、教授からの評判もすこぶるいい。……あれ? コイツ完璧じゃない?
でも……うん、一見して、この友人に欠点らしい欠点はない気がする。素直にそう伝えると、黒咲はちょっと不満そうだった。
「でも、フラれるからには理由があるはずじゃない」
「それはそうだけど」
ていうか、そうだ。フラれてるんだよね。黒咲がフルっていうなら分かるんだけど、フラれるっていうのは正直意外だ。
みんな見る目無いんじゃって思ってしまう。う~~ん……
「ねえ、宮野。お願いがあるんだけど」
思わず考え込んでしまう。その思考を中断させたのは黒咲本人だった。
「お願い?」
「そう。あのね……」
その内容を聞いたとき、私は……
「えぇええっ!?」
思わず声を上げてしまったのだった――
日曜日。私は駅前で待ち合わせをしていた。もうすぐ待ち合わせ時間の十時。そろそろ来ると思うんだけど……
「宮野っ」
と、ちょうどいいタイミング。待ち合わせ相手の声がした。顔を上げると、そこには黒咲の姿が。
相変わらずの艶やかでキレイな黒髪。コンサバ系の服装も相まって、大人っぽい雰囲気だ。
「ごめんなさい。待たせちゃった? 早めに出たんだけど、電車が遅延しちゃって」
「へー。災難だったね」
「大丈夫? 疲れてない? なんならカフェで休んでから……」
「もう、大丈夫だってば」
どうも私を待たせたことを気にしているらしい。黒咲はちょっと申し訳なさそうだった。
「それよりはやく行こうよ。映画の時間もあるんだからさ」
黒咲はまだちょっと考えているみたいだったが、そうだねと答えた……
黒咲の頼み事とは、私たちでデートをして、助言してほしいというものだった。
つまり、普段デートするときと同じように振る舞うから、気になった部分を指摘してくれというのだ。
それでなんだけど……
「宮野、大丈夫? ヒールだし、疲れてない?」
映画館に向かうときはそんなことを訊かれ、
「ポップコーン食べる? 飲み物は? 何飲む?」
映画館ではいつの間にか両方準備してくれて、
「大丈夫? 目、疲れたんじゃない? ちょっとカフェで休憩しましょう」
映画が終わると、私はあっという間にカフェまで連れていかれてしまった。
ていうか、これは……うん。
「黒咲ってさ、デート中は、いつもこんな感じなの?」
カフェで休憩しつつ訊いてみる。すると、黒咲はコクリと頷いた。
「いつも通りにしてるつもりだけど……なに? もしかして、なにがいけないか分かったの?」
心持ち、ちょっと身を乗り出すようにして訊いてくる。すごく気にしているみたいだ。
「いけないっていうか……すごく私のこと気にしてくれてるなあって思ってさ……」
本当に、気にし過ぎじゃない、ってくらい気にされた。
多分……これが原因ってことだよね。干渉され過ぎるのが苦手って人もいるし。それが積み重なってってことなのかな……
本人は良かれと思ってやってることだろうから、ちょっと言いにくいけれど……仕方ない。遠回しに、それとなく伝えよう。そう思ったときだった。
「宮野。はい、あ~ん」
黒咲が、生クリームとハチミツを絡めたパンケーキを、一口サイズに切ってフォークで刺し、私に差し出してきた……
……なんだか、今日はお姉ちゃんの様子がおかしい。うまくは言えないけれど、なんだか違和感があった。気になった私は、後をこっそりつけてきたんだけれど……
お姉ちゃんは、お友達と約束があるみたいだった。あの人はたしか……黒咲さん。お姉ちゃんと同じゼミにいる人だ。まえに一度会ったことがある。
映画を見に行ってカフェで休んで……休日に、お友達と過ごしてるだけだよね。じゃあ、私の違和感は気のせいだったのかな?
ていうか、あの二人、ちょっと距離近くない? それも気のせいかな?
すこし離れた場所から様子を窺っていた私。でも、いつまでも盗み見てるのは悪いかなと思って、そろそろ帰ろうと席を立ったときだった。
黒咲さんが、お姉ちゃんにパンケーキを……
「お姉ちゃんっ!」
突然呼ばれてびっくりした。
「あ、アリスちゃんっ? どうしてここに……」
もしかして、アリスちゃんも星野さんとかとお出かけしてたのかな? それで私を見つけて声をかけてくれたとか?
あれ? でもそれにしては、ちょっと怒っているような……
「ひどいよお姉ちゃん! 私がいながら浮気するなんて……浮気するなんてぇ……っ!!」
…………ゑ?
「えっ? デートの助言?」
黒咲からされた頼みごとについて説明すると、アリスちゃんは大きなサファイアの瞳をパチパチと瞬いた。
「そうだったんだ……ごめんね。私、勘違いしちゃったみたい」
私の隣に座ったアリスちゃんは、青山にもぺこりと頭を下げる。
「いいよいいよ。気にしてないから。……えぇと、アリスちゃん、だったよね?」
「はい! 小岩井アリスといいます! お姉ちゃんの従妹で婚約者ですっ!」
アリスちゃんは、私の腕をぎゅーっととってきた。
「あはは。二人は本当に仲がいいのね」
黒咲は微笑ましそうに笑った後で、
「それで、どう? 気になったところがあれば、教えてほしいんだけれど」
「えっ? うーん……」
言うべきか迷ったけれど、結局、考えていることをそのまま伝える。
すると、黒咲の表情はちょっと曇った。あまりしっくりきていないらしい。
「そうなのかな……でも、相手のことを気にするのって、普通じゃない? ほら、二人だって……」
言って、私たち二人を見る。
私にぴとっとくっついて幸せそうなアリスちゃんと、そのアリスちゃんの頭をなでなでしている私を。
「はいっ。だって、私はお姉ちゃんの婚約者ですから! 私、お姉ちゃんをぎゅ~~ってするの大好きなんですっ!」
その言葉を証明するように、アリスちゃんは私をぎゅ~~っと抱きしめてきた。
「ちょ、ちょっとアリスちゃんっ。人がいるんだから……」
「このくらいいいじゃん。それとも……私に抱き着かれるのキライ?」
「そ、そんなことないよ! 好き! 大好きだからっ!」
「えへへっ。よかったぁ。じゃあお姉ちゃん、ぎゅ~~~~っ」
「はいはい。ぎゅ~~~~っ」
「ほらほら、それだよ」
黒咲はそれ見たことかと言いたげな口調だ。
「そういうのが普通っていうなら、私のしてることだって……例えば」
対面に座っていた黒咲は、いきなり私の隣に移動してきた。
「はい、あ~ん」
さっきと同じようにパンケーキを出しだしてくる。
あまり深いことを考えず、反射でパンケーキを食べる……うん、おいしい。
「こういうのだって普通じゃない? 宮野だって普通に食べたじゃん」
「そうだけど……」
私たちは女同士っていうのもあると思うし。普段からアリスちゃんにされて慣れてるっていうのもあるかもだけれど。
こういうのだけじゃなくて、黒咲はすこし気にしすぎなんじゃないの? そう言おうとしたときだった。
「あーーーーーーーーーーっ!!」
アリスちゃんの声が、私の思考を遮った。
「な、なにっ? どうしたの?」
二人でビックリしてアリスちゃんを見る。すると、アリスちゃんは頬をぷくっと膨らませていた。
「ダメですよ、黒咲さんっ! お姉ちゃんにあーんするのは私の役目なんです! とらないでください!」
「そっ、そうなの? ごめんね」
黒咲がちょっと引いてる。珍しい、コイツ物怖じしない性格なのに。
と思ったら、
「でも、フリとはいえ、今は私とデートしてるんだし、そのくらい大目に見てくれない?」
黒咲のアーモンド形の大きな目に、キラリといたずらっぽい光が宿ったと思えば、ぴとっと私にくっついてきた。
「ちょっ!?」
右側からアリスちゃん、左側から黒咲に抱き着かれた格好になった。
「ダメです! お姉ちゃんは私の婚約者なんですから! 絶対にダメですっ!」
アリスちゃんは本気っぽい。
黒咲もそれを察したのか、あっさり腕組みを解いて元の席に戻る。
「過干渉か……そうなのかな……」
コーヒーを一口飲んで、ポツリと独り言ちる。
「今まで付き合った人たちはさ、たまたまそういうのが苦手だったんじゃない? もうちょっと……距離を取ることもいいのかもよ」
黒咲は、しばらく「うーん」と悩んでいたみたいだけど、結局、納得したように頷いた。
「そうだね。今までは、浮気をさせないためにスマホのやり取りを確かめたりなるべくずっと一緒にいたり後をつけたり他の女の子と会話しないよう見張ったりしてたけど、そうちょっと距離を取ることも大切なのかもね」
……うん。いや、うん。
それでしょ。原因。
黒咲と別れたあとの帰り道。
「……ねえ、アリスちゃん。なんか、怒ってる?」
アリスちゃんは、私のまえをスタスタと歩いている。さっきから話しかけても、あまり答えてはくれなかった。
心当たりは……ある。多分……いや、絶対、黒咲とのことだよね。それしか心当たりはない。
「あのね、アリスちゃん。黒咲とのことは……」
「やだ」
アリスちゃんの声は、決して大きな声じゃなかったのに、私の言葉をさえぎって、妙にハッキリと耳まで届いた。
「やだやだやだやだ! 私以外の人とデートしちゃヤダっ!!」
言いながら、さっきとは反対に、私に詰め寄ってきた。
「どうして黒咲さんとデートしちゃったの? お姉ちゃんは私の婚約者なのにっ!」
「ご、ごめんね。デートっていうか、フリみたいなものだし、友達だし、助言が欲しいって頼られちゃったからさ……」
「よくないもんっ! お姉ちゃんは私の婚約者なの! 私以外の人とデートしちゃダメ! あーんもダメなのっ!」
「う、うん。ごめんね。もうしないよ」
アリスちゃんは私の服を掴んで、ジッと私を見下ろしている。まるで、なにかを求めるみたいに。
どうしたの? と訊くほど、私だってバカじゃない。
「……んっ」
背伸びをして、そっとアリスちゃんの唇に触れる。
ビクッと震えたのは、私の体……うぅん、アリスちゃんのかも。
「お姉ちゃん、あーんして」
「うん……」
ちいさく口を開ける。今度はアリスちゃんから、唇を重ねてきた。
「んっ……もう一回、あーんして」
またアリスちゃんから唇を重ねてくる。
「はっ、ちゅっ……もう一回……」
今度は、二人同時に。
啄むみたいな短いキスに、舌を絡ませる濃厚なキス。
どんどん体温が上がってきて、なんだか熱いくらいだ。どうしよう、私、なんだか……
「アリスちゃん、あーん……んんっ」
唇が重なって、舌が絡み合う。唾液が唇の端から零れ落ちた……
「じゅるっ」
聞こえたのは、ちょっと下品で、イヤらしい音。
それがアリスちゃんが唾液を飲み込んだ音だと分かると、恥ずかしさと訳の分からない感情が津波みたいに押し寄せて私を飲み込んだ。
うぅっ、どうしよう……私、ホントにもう、なんか……アリスちゃん! アリスちゃん……っ!
唇が離れると、目の前にはアリスちゃんの赤く上気した顔があった。
肌が白いからか、余計に目立って見える。赤くて、それに……息が熱いくらい……
「約束、だよ……」
唇から、吐息交じりに声が零れ落ちる。
「うん。約束する。もう、絶対にアリスちゃん以外とはデートしないから。だから、そんなに悲しそうな顔しないで……」
もう一度唇を重ねる。
お互いを感じ合えるように、もっと近くで感じられるように。もっと、もっと……っ!
アリスちゃんて、思っていたよりもずっと嫉妬深いみたい。
でも、そういうところも愛おしいと思える。嫉妬してもらえてうれしいとも思える。
でも、ここが町中ということは、もっと早く思い出すべきだったかも。考えてみたら、それも今さらではあるけれど。
……一番過干渉なのは私たちだと、黒咲が考えていたことなど、私たちには知る由もない。
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