第89話 幸せ撮影会
「小岩井さーん、こっちに視線貰えますか?」
「ありがとうございます。じゃあ次は……」
そんな言葉と共に、カメラのフラッシュがたかれる。
その先にいるのは、アリスちゃんだ。純白のドレスを着た、アリスちゃん。
ウエディングドレスを着たアリスちゃんが、やわらかな笑みを浮かべてカメラのフレームに収まっている。
私は、どうしてこんなことになっているのかと、記憶の糸を手繰り寄せた――
「モデル、ですか?」
二週間前、オーナーから初めて話を聞かされた時、アリスちゃんは大きなサファイアの瞳をパチパチと瞬いた。
「ええ。ウエディングコラボのモデルにって。私の友達が広告会社で働いてるんだけど、この間お店に来た時に、小岩井さんに目を付けたらしいの。イメージにぴったりだって」
お店にとってはいい話だし、あなたにもいい経験になるんじゃないかしら、と言うオーナー。
アリスちゃんはちょっと考える素振りを見せてから、お受けしますと答えた。答えるまえ、ほんの一瞬、私にチラリと視線を向けたような気がしたんだけど……気のせいかな?
そして撮影当日。
普段は営業時間だけれど、貸し切りってことにして店内で撮影することにした。
「やー、アリスちゃんのドレス姿かー。楽しみでんなー」
井上はいつも通りの、かるーい口調で言う。
「確かに。あの子キレイだもんね。ドレスとか超似合いそう」
青山も、いつもより楽しそうな口調だった。
私はと言えば……ソワソワソワソワ。
店内には撮影用の装飾が施され、豪華なケーキの設置された。もうすぐアリスちゃんも来ると思うんだけれど……
「ねえね、みゃーの的にはどう? やっぱ楽しみ? アリスちゃんのドレス」
「…………」
「みゃーの? おーーいっ」
アリスちゃんのドレス姿……
気になる。一体どんな姿なんだろう。
気になる。気になるぅううううう~~~~っ!?
「な、なにっ!?」
急に首筋に変な感触が着て、私は飛ぶようにしてその場を離れた。同時に後ろを向く。するとそこには、
「おっ。すっご、バッタみたい」
驚き半分監視半分といった表情を私に向けているのは井上だった。
「いきなりなにすんの!」
「だって呼んでも返事してくんないからさー。やっぱみゃーのはいい反応するねぇ」
うひひ、と笑いながら手をワキワキさせている。
「お、楽しそう。井上さん、私も参加していい?」
「いいともいいとも。二人でみゃーのを辱めようぜぇー」
うひひ、と笑いながら手をワキワキさせ近付いてくる二人。
辱めるって……
不穏な単語。ていうか、そんなこと初めて言われた。人生でそんなこと言われる機会があるだなんて思わなかった。
とはいえ……
井上はマジで変なことをやりかねない。青山も結構ノリと勢いに身を任せるところがあるし。こいつら、コンビ組んじゃいけないやつらだ。
ちょっと身の危険を感じ、両手で体を隠すようにして後退る。
ジリ……ジリ……と二人も近づいてくる。
これどうしよう、と考え始めたその時、
「モデルさん、入られまーす」
撮影スタッフの人の声が割り込んできた。
数名のスタッフとオーナーも入ってきて、そしてその後ろには……
アリスちゃんがいた。
純白の、ウエディングドレスを着たアリスちゃん。
プリンセスラインのドレスには、スカートには華やかなフリルがたくさんついている。
胸元にはシンプルだけどキレイな装飾。長いリボンがついたプーケも、とっても素敵だ。
息をするのも忘れるくらいに素敵で、私はその姿に釘付けになった。
「おお。キレイなんだろうなーとは思ってたけど、まさかここまでなんて。いや~すんごいねぇ、みゃーの……みゃーの? お~~いっ」
「わー、すごい集中力。ゼミでもここまで集中してるとこ見たことないよ」
二人の会話が、やけに遠くに聞こえる。
ていうか、そんなことはどうでもよかった。
アリスちゃん、本当にキレイ……
「じゃあ、次はこっちに視線を貰えますか? 笑顔お願いしまーす……じゃあ、最後に目の前に相手がいるつもりで表情作ってもらえますか?」
「好きな人……」
今までスムーズに要求に応えていたアリスちゃんが、さっと顔に朱を散らした。そして、
あ、今目が合った。アリスちゃんはまた顔を赤くして、照れたみたいな、でも嬉しそうな、幸せそうな表情になって……
「おっ、いい表情ですね~~。ホントにいいモデルだわぁ~~」
スタッフさんはご満悦。
そんな感じで、撮影は進んでいったんだけど……
正直、私はドキドキしすぎて、よく覚えていない。
「――お姉ちゃんっ」
呼ばれて、ハッとなった。まるで夢から覚めたみたいに、一気に意識が覚醒する。
見ると、目の前にはアリスちゃんの姿があった。ウエディングドレス姿のアリスちゃんが。
「大丈夫? なんだかボーッとしてたみたいだけど」
「う、うん。大丈夫」
答えつつ、周囲の状況を確認する。
いつの間にいなくなったのか、ホールには私とアリスちゃんしかいなかった。私はまだメイド服を着て、ソファーの客席に座っている。
「撮影、終わったの?」
「うん、今日はね。また別の日に続きを撮るんだって」
言いながら、アリスちゃんは私の隣に座ってきた。
「そっか……」
「ねえお姉ちゃん。私のドレス姿どう?」
アリスちゃんはジッと私を見て、期待するような顔をしている。
「うん。とってもキレイだよ」
「ほんとっ!? よかったあ」
安心したように言ってから、アリスちゃんはいたずらっぽく笑う。
「なーんて、本当はね、井上さんから聞いてたんだ。でも、やっぱり直接聞きたくて」
アリスちゃんは本当にうれしそうだ。
着ているドレスは〝かわいい〟と言うよりは〝キレイ〟で、大人っぽい感じがする。けれど、そうやって笑っている姿は子供みたいで、かわいらしい。また見惚れてしまい、私は誤魔化しもかねて訊く。
「そういえば皆は?」
「井上さんたちなら帰ったよ。オーナーとスタッフの人たちは、写真の確認してるみたい」
「そっか」
どおりで静かだと思った。
それから、私たちの間には沈黙が降りた。カチコチと時計の秒針の音が妙に大きく聞こえる。
「ねえ、お姉ちゃん」
不意に、沈黙が破られた。
「二人きりだね……」
その意味に気づいた途端、私は自分の顔が真っ赤に染まるのが分かった。
「う、うん……」
カチコチという音は、いつの間にかドキドキに変わっていて……
「まっ、待って……」
唇が触れ合う直前、私は顔を逸らした。
「お姉ちゃん?」
アリスちゃんは不思議そうな顔をしている。
「キス、嫌だった?」
次に悲しそうな顔をされ、私は慌てて否定する。
「ちっ、ちがう! ちがうよっ! そうじゃなくって……」
これ言うの、ちょっと恥ずかしいかも。でも、ちゃんと言わなきゃ。
「アリスちゃん、今ウエディングドレス着てるでしょ? 私、その、ドレス着ながらのキスは、あの、結婚式の時がいいなって思ってて……だから……」
「お姉ちゃーーーーーーーーーーんっ!!」
言葉を遮るみたいにして抱き着かれた。
急だったので倒れそうになってしまい、なんとか踏ん張る。
「ねえお姉ちゃん。お姉ちゃんて、どうしてそんなにかわいいの?」
「えっ? わ、分かんないです……」
「そっか、そっか……えへへっ」
アリスちゃんは、うれしそーーーーに笑っている。
「それなら……うん、そうしよっ」
「ありがと……」
「お礼なんていいよ! でも……」
ぎゅっと、私を抱きしめる力を強めてくるアリスちゃん。
「こうしてるのはいいでしょ?」
「……うん」
私も、アリスちゃんの背中に手を回す。
ぎゅっと抱きしめると、それだけで胸が温かくなった。
ドキドキと聞こえてくる音は、私のものか、それともアリスちゃんか。
鼓動さえ混じり合いそうな時の中で、私たちはお互いを感じ合った。
叶うなら、この時間が一秒でも長く続きますように――
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