第88話 洗濯物注意報

 宮野家では、家事は基本的にはおばさんがやってくれている。


 けれどパートなんかが入っているときは、私やお姉ちゃんがすることもある。


 だから、私は今家事をしているだけなのです。おばさんもお姉ちゃんも留守にしているから、洗濯ものを取り込んだだけなのです。



 だから、私がお姉ちゃんのパンツを握りしめていても、それは普通のことなのです。



 このパンツ、アレだ。昨日穿いてたやつだ。


 昨日、夜につけてたやつ。黒い、バックがレースになっていて、透けてるやつ。


 元々は旅行先でつけるために、お姉ちゃんが買ったパンツ。普段はあんまり派手なパンツをつけないお姉ちゃんが、私のために選んでくれたんだよね。


 お姉ちゃん的には、Tバッグとか、露出の高いものは恥ずかしいから、一応隠しているものをと選んだらしいんだけれど……



 バッグを確認し、私は思わずにはいられない。


 全然、まったく、隠せてないんだよなあ。


 昨日の夜を思い出す。全然隠せてなかった。下着をつけてても、お姉ちゃんのお尻は丸見えだった。


 お姉ちゃんは隠してるつもりなのに隠せてなくて、しかもお姉ちゃんはそれに気づいていなくて……


 おぅ、思い出したらドキドキしてきた……



 ……………………


 ちょ、ちょっとだけなら……


 うん。お日様と洗剤の匂いだ。昨日はお姉ちゃんの匂いがしたのに。


 って、こんなことしている場合じゃない! これじゃ、まるで私が変態みたいじゃん!


 下着をタンスの中に入れようと手を伸ばした、まさにその時だった。



「しじゃまおます~~」


「……あのさ、そろそろ思い付きで喋るの止めたら?」


 こ、このとぼけた会話と声、間違いない! お姉ちゃんと井上さんだ!!


 ま、まずい! お姉ちゃんのお部屋でお姉ちゃんのパンツを握りしめているなんて、お姉ちゃんに見られたら勘違いされちゃう!!


 とりあえずここから出なきゃ! と思ったけれど、すでにお姉ちゃんたちは階段をのぼりっているみたいだった。


 どどど、どうしよう! こ、こうなったら……



「おはようございます~~す……」


「井上ってさ、いちいちボケないと死ぬの?」


「えっ!? 私死ぬの!?」


「いや、それを私が聞いてるんだけど」


 部屋に入りながら繰り広げられるショートコント。


 私は、それをクローゼットの中から眺める…………



 し、しまった! 焦っていたからつい、クローゼットの中に隠れちゃった……


 どうしよう。今さら出ていけないよ……仕方ない、このまましばらく隠れてよっと。


 考えてみたら、この状況悪くないかも。だって、隠れてお姉ちゃんの姿を覗けるなんて! 私が見ていないとき、お姉ちゃんがどんなエッチな……いや、なにをしているのか! それを見れるんだから!


 そんなわけで、私はしばらくお姉ちゃんを観察することにした……




「ねえ、みゃーのさ、昨日アリスちゃんとなにかあったの?」


「えっ?」


「だってさ、今日はすぐにボーッとしてんじゃん。しかも顔真っ赤にして」


 急に訊かれて、思わずちょっと間の抜けた声が出てしまった。


 同時に、脳裏に蘇るのは……



 いやらしい下着をつけて、お化粧もして、左手には、私があげた指輪も付けてくれてたっけ。


 いつもよりも大人っぽい姿をした、アリスちゃん……



「ほら、またボーッとしてる。顔も真っ赤だし」


 呆れた声で指摘されて、コホンと咳払い。軽く頭を横に振って、何とかアリスちゃんの姿を頭の隅に追いやった。


「やー、恋人とのえっろいことを思い出して、一人で悶々としてたんすなあ」


「うるさいっ!」


 このままだとまたからかわれそう。


 会話を途切れさせる意味でも、私は一度部屋から出て、お茶とお菓子を持ってくることにした。



「みゃーのってさー」


 井上は、私がもってきたクッキーをつまみながら、のんびりとした口調で言った。


「アリスちゃんと普段どんなことしてんの?」


「どんなって……なにが?」


「だってさ、いっつもアリスちゃんとイチャイチャしまくってるじゃん。家ではどんなことしてんのかなーって気になってさ」


 イチャイチャと聞いて、思い浮かぶのはやっぱり昨日の出来事。


 私はブンブンと頭を横に振る。



「べつに……なんでもいいでしょ。ていうか、その質問プライベートすぎ」


「ふーん……」


 ちょっとそっけなさすぎかなと思ったけれど、井上は妙に気のない返事をした。


 と思ったら、なにか思いついた顔になって、



「みゃーの、好きだよ」



「うん…………うんっ!?」


 はっ、え!? コイツ今なんて……


「みゃーの、好き」


 囁くように言われ、


 私は訳も分からないうちに、井上に押し倒されてしまった――




 な、な、な、な……


 ななななななななにゃにをしてしているるるるるるるるるるるるるるるるりゅうううううううううううううっ!?


 なにをしてるのあの人! こんなそんなあんなはしたない!!


 突然お姉ちゃんが押し倒された! 私はもういてもたってもいられず、すぐに出ていこうとしたんだけれど、



「ふざけんなっ」


 それを制するように、お姉ちゃんが井上さんのほっぺをつねり上げた。


「いひゃいいひゃい……っ」


 井上さんはすぐに元の位置に戻って、大げさに頬をさすっている。


「ひどいよみゃーの。痛いじゃんか」


「いきなり変なこと言うからでしょ。まったく……」


 お姉ちゃんは呆れたように言っている。……なんか、二人とも妙に慣れてるなー。


 ハッ!? まさか、この二人普段からこんなやり取りしてるの!? それだけでも私、嫉妬に狂いそうなんですけど!?



「でもさ、こういうところもだよ」


「? なんの話?」


「みゃーのって、こういう冗談、前は全然通じなかったじゃん。下ネタも苦手だしさー……あ、そういえば、前にふざけてみゃーののスカート捲ったときめっちゃ睨まれたっけ。あれ結構怖かったんだよね」


「そもそもスカート捲んな」


 そうですよ! お姉ちゃんのスカート捲っていいのは私だけなんですからね!!



「真面目な話、私は今のみゃーのが好きなんよ。別に前がキライってわけじゃないけどさ、前はちょっと一線引いてるっていうか、クールなところがあったじゃん?」


「……いや、知らないけど」


「でも、今はなんだかんだ言って毎回冗談にも付き合ってくれるし。接しやすいっていうか……うん、やっぱり私、今のみゃーの好きだよ」


 お姉ちゃんはなにも言わなかった。私も、思わず聞き入る。


 ……井上さんは、私が知らないお姉ちゃんを知ってるんだよね。なんかなあ! なんかなあ! う~~……モヤっとする。



「アリスちゃんはね、私の憧れなの」


 お姉ちゃんの言葉は、私にとって全く予想外のものだった。


 心持ち顔をうつむけて、頬が赤くなっているように見える。


「キレイで、でもかわいくて、勉強やスポーツもできて……そういうところもだけど、一緒にいると楽しくて、幸せで、私と違って行動的だから、すごく世界が広がるの。それで……」



 お姉ちゃんはまだ言葉を続けているみたい。けれど、私にはもう聞こえていなかった。


 お姉ちゃんが、お姉ちゃんが、私をそんな風に思ってくれていたなんて……


 思わず涙ぐむ。その間もお姉ちゃんの言葉は続いていたみたいだけれど、



「やー、あのさ、みゃーのさ、悪いんだけどさ、べつにそこまで聞いたわけじゃないんだよね」


「うっ」


 お姉ちゃんは顔を赤くしていたけれど、


「と、とにかくっ! 私はアリスちゃんといるだけで幸せなの! いいでしょ、べつに、なにしてるとかさ」


 私も幸せ過ぎて、お姉ちゃんの言葉がやけに遠くに聞こえていたのだった――




 井上を見送って、部屋に戻る。さて食器を片付けようと思った、その時、



 ガタッ



 クローゼットの中から、何か物音が聞こえた。


 ビックリして食器を落としそうになる。……な、なに? 気のせいかな……



 ガタッ



「っ!?」


 ま、また……。気のせいじゃないみたい。


「だれ? だれかいるの……?」


 まさか、泥棒?


 なんだか怖い。けれど、その感情とは裏腹に、私の手はクローゼットへと伸びていく。一気に引き開ける。すると、そこにいたのは……



「う、ぅうっ、うぅううううううううう~~~~……っ」


 アリスちゃんがいた。


 なんか、号泣してるアリスちゃんがいる。


「な、なにしてるの? こんなところで」


 状況が呑み込めずに、音の正体が分かってからのほうが混乱する。



「お姉ちゃんっ! 私、ぜったい、絶対お姉ちゃんを幸せにするからねぇ……っ!」


「っ!? アリスちゃん!? なんで私のパンツで涙拭ってるの!?」


「愛してるよおねえちゃぁんっ!」


「なんで私のパンツで鼻かむのっ!?」


 いや、もうほんと、わけが分からない……




 世界が広がる。


 お姉ちゃんは、さっきそう言ってくれたけれど……



 私の世界を広げてくれたのだって、お姉ちゃんなんだよ。



 お姉ちゃんが私の手を引いてくれたから、私の世界は広がった。お姉ちゃんがいなかったら、今の私はきっといない。だから、


 二人一緒に、お互いの世界を広げていけたらいいね……

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