第86話 アリスちゃんと●●に旅行 前編
「お姉ちゃん、一緒に旅行行こうっ!」
ある日、バイト中の休憩時間、アリスちゃんがそんなことを言った。
いつものことながら脈絡がない。いきなりどうしたの、と訊いてみると、今度の連休を利用して旅行に行きたいと言う。
なんでも、旅行の計画をしているカップルの話を偶然耳にして、急に行きたくなったらしい。
「ねえ、いいでしょ? お姉ちゃんっ。お姉ちゃんてば~~~~」
「な、なんでスカートの中に手を入れてくるのっ!?」
床に座っている私を後ろから抱きしめていたアリスちゃんは、またまた変なことをし始めた。
「ねえ、行こうよお姉ちゃんっ。ねえってば~~~~っ」
「わ、分かったってばぁ! だから変なとこ触らないでっ!」
……なんにしても、旅行は名案かも。私もちょうどどこかに行きたいなあと思っていたから。
「アリスちゃんはどこに行きたいとかあるの?」
「んー? お姉ちゃんと一緒ならどこでもいいよ! お姉ちゃんと一緒ってだけで幸せだもんっ」
「そ、そっスか……」
さすがに照れる。
嬉しいとかそういうことを言われると思ってたのに。幸せ……いや、私も幸せなんだけどさ。
嬉しそうな笑顔で言うアリスちゃん。
要するに、これは行き先は二人で決めようってことだ。雑誌を読んだりサイトを見たりして。
行き先を決めるっていうのも結構楽しいんだよね。どんな感じなのかなーって想像したりして。好きな人とするっていうなら尚更だ。
とはいえ、
「私もアリスちゃんと一緒ならどこでもいいんだけど……うーん、どうしよっか……」
「ほんとっ? お姉ちゃんと私と一緒で幸せ?」
「えっ!? 幸せっていうか、その……」
照れくささから口ごもってしまう。
するとアリスちゃんは、
「お姉ちゃん、幸せじゃないの……?」
不安そうに言われた。
「うぅん、とっても幸せだよっ!」
「よかった! 私も幸せだよ! 大好き~~っ」
私に抱き着き、うりうりと顔を埋めてくる。
かわいいなー。やっぱり私は、アリスちゃんの笑顔が大好きだ。この笑顔を見るためなら、私は何でもしたくなる。
私も大好きだよと言って、私はアリスちゃんを抱きしめた。
「あ、なんかこのノリ、私も慣れてきたかも……」
「でしょー? いやー、人間ってのはてーしたもんだ」
そんな、井上と青山の会話が聞こえた気がしたけれど……なんの話だろ?
二人で話し合って旅行先が決まった。
予約を取って、後は準備だ。そこは温水プールがあるから、一緒に水着を買いに行こうって話になったんだけれど、
「実はさ、また大きくなったみたいで、今持ってるのはもう着れないんだよね」
と言うアリスちゃんの言葉は聞かなかったことにした。
「まあ! 本当にきれいなお姉さんですね! まるでお人形みたいっ!」
……店員さんの言葉はもっと聞かなかったことにした。
「遥香はどんな水着買うの?」
「え? う~ん……」
どうしよっかな。私は着れると思うんだよね、去年の。もう成長止まってると思うんだよね。
でもなあ。どうせ着るんだから、新しいの欲しいかも……って、あれ?
「アリスちゃん……?」
「こら遥香。ちゃんとお姉ちゃんて呼ばなきゃダメでしょっ」
コツン、と私のおでこを軽くついてくる。
「いや、あのさ……」
「お姉ちゃん、でしょ?」
アリスちゃんはジーっと私を見てくる。大きくて奇麗なサファイアの瞳は、期待にキラキラ輝いている……ような気がする。
「……ぉ、お姉ちゃん……」
うぅっ。うぅううううううううううう~~~~~~~~っ!!
何コレ何コレ。なんか超照れる超恥ずかしいっ!
ちらっとアリスちゃんを見ると、
「うへへへへへへへへへへ~~~~っ」
なんか、めっっっっっっっっちゃ顔がゆるんでいらっしゃる。
……そ、そんなに嬉しかったのかな……?
「お姉ちゃんっ」
試しにぴとっとくっついてみると、
「うぇへへへへへへへっ」
またまた顔がゆるんでいらっしゃる。
と思ったら、
「なあにぃ遥香~~~~。お姉ちゃんがなんでもしてあげるからねぇ~~」
ぎゅ~~~~っと抱きしめられて頭を撫でられる。
「も、もうっ。子ども扱いしないでよ……!」
言ってから気づく。あれ? これじゃほんとに私が年下みたいになってない?
「そうだよねそうだよねっ! 遥香ももうお姉ちゃんなんだもんね! ごめんねぇ~~」
うりうり~と甘やかされて、恥ずかしさに顔が真っ赤になっているのが自分でも分かる。
恥ずかしい。恥ずかしいけど、なんか…………いやいやダメだって! ちょっといいかもなんて言ったら、ことあるごとに同じことされちゃう!
「遥香の水着は私が選ぶからね! どんな水着がいいかなぁ。遥香はとってもかわいいから、きっとどんな水着も似合うよっ」
アリスちゃんは私の手を引きながら、水着売り場を進んでいく。
「ま、待ってアリ……お姉ちゃん! 選んでくれるのはいいけど、あんまり変なの選んじゃイヤだよ? その……イヤらしいのとかは人前で着るの嫌だよ!? ほんとにイヤだからね!? ねえってば! 聞いてる!?」
今度の旅行は、始まる前から不安なことだらけだった――。
そしてその不安は、思わぬ形で的中することになる。
「す、すごいね。お姉ちゃん……」
アリスちゃんが言った。
「うん。ほんと、すごいね」
同意する私。
うん、本当にすごい。雨が。あと風が。
三連休に、台風が直撃した。
おかげで予定は全部キャンセルするハメになった。せっかく色々準備したのになあ。
部屋の窓から外の様子を見て、思わずため息が出る。
なんて、悲しんでいられない。この間は「お姉ちゃん」なんて呼んじゃったけれど、年上は私なんだから! アリスちゃんを悲しませないようにしなきゃ!
「よしっ!」
と、これは私じゃない。アリスちゃんだ。
見ると、アリスちゃんは何かを決意した顔をしていた。そして言う。
「お姉ちゃん! 旅行行こうっ!」
「えぇっ!? む、ムリだよ。この台風だし、それにもうキャンセルしちゃったんだから……」
「大丈夫! 私、いいこと考えたの。だから、全部私に任せてね?」
そう、アリスちゃんに言われて、
私はコクリと頷くしかなかった。
……中止になっても、結局不安は残っちゃった。
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