第77話 ひっくちゅ!
何度か体を震わせた後で、お姉ちゃんは「うー」と低い唸り声をあげた。
「大丈夫? お姉ちゃん」
「うん。だいじょ……ひっくちゅ!」
まだ大丈夫じゃなかったみたい。
お姉ちゃんはくしゃみをして、また苦しそうな声を出すのだった……
四月も半ばを過ぎた頃、お姉ちゃんは花粉症に苦しんでいた。
花粉症……
植物の花粉が原因で、くしゃみや鼻水なんかのアレルギー症状が起きる病気らしい。
お姉ちゃんは日本ぐらいにしかないと思っていたらしいけれど、実は花粉症はイギリスにもある病気だ。
私はちょっと目が痒くなるくらいだけど、
「っ……くっちゅ! ひっくちゅ!」
お姉ちゃんは重症らしく、朝からくしゃみを繰り返していた。
ていうか、
「……なに笑ってるの?」
隠せてたと思ったけど顔に出ていたみたい。お姉ちゃんはちょっと怒った顔で私を見ている。
「ごめんね。からかってるわけじゃないの。ただ、かわいいなあって思って。お姉ちゃんのくしゃみ」
すると、お姉ちゃんはとっても複雑な表情を作った。
「なんか褒められてる感じしなっ……ひっくちゅ!」
「大丈夫? 今年は花粉量多いんだっけ」
コクコク頷きながら、またお姉ちゃんはくしゃみをした。
お姉ちゃん苦しそうだなあ。何とかしてあげたいけど……
花粉症って何か対策あったっけ、と考えてみる。
マスクは外出するときはしてるみたいだけど。う~ん。
あ、そういえば、
「花粉症って、ヨーグルト食べるといいらしいよ」
「うん。毎朝食べてるんだけどね……」
お姉ちゃんが沈んだ声で言った。
うぅ、こんなに元気のないお姉ちゃん、初めて見たかも。
ここは私が何とかしなくっちゃ!
「任せてお姉ちゃん! 私がしっかり面倒見るからね!」
私は決意を新たに宣言するのだった。
……なぜかお姉ちゃんは、警戒するような顔で私を見ていたけれど。
「うぅ~~……」
相変わらず、くしゃみが出る。出まくる。外に出るときはマスクをする時もあるけど出る。
ホント、この季節は辛すぎる。早く終わらないかなあ。
家に帰るとマスクを取り、洗面所のごみ箱に捨てる。
鼻をかんで、それからふぅとため息をついた。
くしゃみは辛いけれど、ため息をついたのは違う理由からだ。
最近、アリスちゃんがスゴイ。
アリスちゃんの世話焼きが、スゴイ。
私がくしゃみをしそうになったらティッシュをくれるし、ここ最近は花粉症対策になる料理を私の為に作ってくれている。
キノコや海藻類、お豆腐やお野菜なんかを使った料理だ。こういうのはありがたいしうれしい。うれしいんだけど……
(――「お姉ちゃん! 帰ったらすぐにお着換えしなきゃダメだよ! お部屋に花粉を持ち込むことになるんだから!」――)
と言って私を無理やり着替えさせることだ。
それがちょっと……困る。だって、服だけじゃなくて下着まで脱がそうとしてくるし。
それはちょっと……うん。イヤじゃないけど恥ずかしいし。私、べつに無理やりされるのが好きってわけじゃないし。
ちょっと……ちょっとだけドキドキはするけど……
そんなことを考えながら部屋のドアを開ける。と、
「っ!?」
ギョッとなった。
私の部屋にだれかがいた。だれかは分からない。だってそいつは、ガスマスクを着けていたから。
……え、どういうこと!? 何なのコイツ!?
まさか変質者!? 確かにカギを掛けていったはずなのに、どうやって入ったの!?
そ、そんなことより、早く逃げなきゃ!!
「……っ!?」
気ばかり急いて、私は転ぶ……というより、その場に尻もちをついてしまった。
構わず、そのまま廊下を這うみたいにして逃げようとするけれど、
「だ、大丈夫っ!?」
後ろから抱き着かれるみたいにして体を触られた。
「ひっ!?」
誰とも分からない奴に触られ、体が強張り鳥肌も立ったけれど……
……あれ? この触り方……
「……アリスちゃん?」
「なあに?」
恐る恐る呼んでみると、声が聞こえた。
それは私の後ろからで、よく聞いた声で……
後ろを見ると、謎の人物はガスマスクを取る。
その下にあった顔は……
「アリスちゃん……?」
思った通りアリスちゃんだった。だったけど……
それが分かった途端、全身から力が抜けていくのが分かった。
「もう、急にどうしたの? ビックリしちゃった」
「そ、それは私のセリフだよっ!」
私の声は、自分でも分かるくらいに上ずっていた。
「帰ってきたら部屋にガスマスク着けた人がいるんだもん! ほんとに、変質者かと思って、怖かったんだから……」
「ごめんね? ビックリさせるつもりはなかったの」
アリスちゃんがシュンとしてる。本当に反省しているみたいだ。
何とか気分を落ち着かせながら、
「なっ、何でそんなの付けてるの?」
「これ? お姉ちゃんの花粉症対策にどうかなって」
アリスちゃんは言った。
「あのね、私考えたの。マスクや眼鏡で対策するなら、隠す範囲の多いガスマスクがいいんじゃないかって! だからね、はいコレ、お姉ちゃんにプレゼント」
と、ガスマスクを渡される。
アリスちゃんは大真面目。でも私はどんな反応をしていいのか分からない。
「……ありがとう」
とりあえずお礼を言っておく。
なんか、ダメだ。さっきのことが忘れられない。
すっごく怖かったのに、アリスちゃんだって分かった途端に、なんか……
って、いやいやいや! 何考えてるの私! 無理やりされるのなんてヤだよ! 私は優しくされる方が好き!
「お姉ちゃん、付けてみて?」
えー、と思いつつも付けてみる。すると、
「かわいいかわいい! お姉ちゃん、すっごく似合ってるよ!」
「そ、そう……?」
正直微妙です。
だって、顔は全部隠れてるだろうし。
それに、私自身そう思っちゃったけど……
「ただいまー。遥香、そろそろマスク切れそうだって言ってたでしょ? だから新しいの買ってきてあげたから……」
見計らったようなタイミングで帰ってきたお母さんは、
ガスマスク姿でアリスちゃんと向き合う私を見て、
「もしもし警察ですか」
「待って待って待って!!」
人間忙しくしていると、くしゃみをすることも忘れちゃうらしい。
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