第74話 もう一度あなたと 後編
緑川に連れていかれた場所には、大きな人だかりができていた。
何だろう、とは思わない。以前にもこういうことはあったし、それに、私を訪ねてくる美少女なんて、一人しか心当たりがない。
「あ、お姉ちゃーーんっ!」
やっぱり、予想は当たっていた。
私に気づいた制服姿のアリスちゃんが、人だかりの中から手を振ってくる。
まったく当然の流れとして、アリスちゃんに群がっていた人たちの視線も私に向く。
一瞬たじろぎ、でも逃げるわけにもいかず、私は手を振りつつアリスちゃんのもとへ。すると、彼女も人だかりから抜けてこっちに来た。
「もう、来るなら連絡くれればいいのに。何かあったの?」
「え~。何かなくちゃ来ちゃダメなの?」
「そういうわけじゃないけど」
「ただお姉ちゃんに会いたかっただけだよ。えいっ」
と言って、アリスちゃんは私に抱き着いてきた。
「ちょ、ちょっとアリスちゃん……っ」
自分の顔が瞬間的に赤くなるのが分かる。
うれしさと、羞恥からきているのも分かってる。けれど、恥ずかしい理由は……
相も変わらずアリスちゃんのほうが身長が高いから、私が抱きしめられてる感じになっているからだ。
学友たちの前でこれは恥ずかしい! 井上の前ではされたことあるけど、それはそれこれはこれだ。めっちゃ恥ずかしいっ!
「照れなくてもいいのに。会いたかったよお姉ちゃ~~んっ!」
頬ずりをされ、ピリピリと静電気みたいな刺激が体に走る。
心地のいい刺激に、私はアリスちゃんを抱きしめ返して、小さく声も上げそうになり……
「っ!!」
唐突に状況を思い出した。
ここは大学の構内で、学友たちにガン見されているんだった。
「アリスちゃん落ち着いてっ? みんなが見てるから」
「やぁだ。ずっと会いたかったんだもん。うりうり~」
けどアリスちゃんはやめてくれず、私をぎゅっと抱きしめ頬ずりを繰り返した。
恥ずかしいけど引き離すわけにもいかず、されるがままの私は、
「ねえ、宮野」
後ろから声を掛けられハッとなった。
「その子、あんたの知り合い? 妹……ではないよね?」
黒咲の怪訝な声。
「うっわ、すっごいキレーな子。しかも超スタイルいい」
その後で、青山の驚いた声が続く。
「いやいや、それよりもさー」
最後に、緑川のちょっと間延びした声が、
「二人って、どういう関係なの?」
単刀直入に訊いてくる。
どう答えようかな、と私が考えている間に、
「お姉ちゃんのお友達の方々ですか? 初めまして、私、アリスといいます。お姉ちゃんの従妹で婚約者です!」
アリスちゃんに答えられた。
丁寧な自己紹介だったけど、みんなの耳に残っているのは……
「婚約者ぁっ!?」
その一言だけだ。
彼女らは私たちを取り囲むと詰め寄ってくる。
「ま、マジデェ!?」
「婚約者!?
「いいなぁ……」
三者三様に驚く(?)青山、黒咲、緑川。
そういえば、井上には知られてるけど、ゼミではそういう話してなかったもんなあ。
「マジですよ。高野山じゃなくて婚約者です」
ねー、お姉ちゃん。
と言って、アリスちゃんは私の頬にキスをしてきて……!?
「あ、アリスちゃん!?」
まさかここでされるとは思わず、照れてる暇がないくらいに驚いてしまう。
けど、アリスちゃんはどこ吹く風だった。
「お姉ちゃん照れてるの? かわいいっ」
「そ、そういうわけじゃ……ただビックリしただけだよ」
「でも顔真っ赤だよ? んっ」
ちょっ!? と短い悲鳴と共に体が強張る。けどそれは一瞬で、すぐにほぐれた。
アリスちゃんは私の頬に自分の頬をくっつけて、スリスリと頬ずりしてきた。
「やっぱり。肌熱くなってるよ」
肌が擦れあい、私の体には静電気のような刺激が流れる。
「んっ、アリスちゃ、ん……っ。くすぐったいよ……」
「えへへ~。お姉ちゃん柔らかぁいっ」
それに、アリスちゃんの柑橘系の甘い匂いに包まれて、私は愛しい婚約者の香りに酔いしれ……
「「「……………………」」」
視線を感じて向けると、かち合った。
ゼミ仲間たちが、私たちに唖然とした顔を向けている。
「なんか、アレだね。見ちゃいけないものを見てる感じがするね」
青山が目をパチパチさせている。
いつもお調子者のこいつがこんな反応を取るところ初めて見た。
「珍しく賛成。見てるこっちが恥ずかしい」
そういった黒咲はちょっと頬を赤くしている気がする。
「宮野って男っ気ない奴だなーと思ってたけど、こういうことかぁ」
緑川は納得した様子でうんうん頷いている。
「なになに? 何かあったの?」
聞き覚えのある声が入ってきたので見ると、そこには井上の姿があった。
「ああ、井上さん久しぶり。じつは宮野がさ……」
黒咲が井上に説明すると、自分から訊いたくせにそれほど興味なさそうに「ふーん」と答えた。
「この二人いつもそんな感じだからにゃー。いちいち驚いてたら疲れちゃうぜ」
「いつもあんななんだ……」
黒咲は呆れた様子。
一方、アリスちゃんは何故か誇らしげな様子。
「はいっ。私、お姉ちゃんを愛しているので、いっつもラブラブです!」
アリスちゃんが私をぎゅーっと抱きしめてきたので、私の体温はまた上がってくるのが分かった。
衣服越しとはいえ、アリスちゃんの柔らかな感触も、体温も、しっかり伝わってくる。
そのせいで直接触れ合った時のことを思い出してしまい、余計に体が熱くなってきた。
「お姉ちゃん……?」
私がなるべく意識しないようにしているのを、どう勘違いしてしまったのか、アリスちゃんは不安そうな顔だった。
「お姉ちゃんは? 私のこと……」
「す、好き! 大好き! あ、愛してる……よ」
ほとんど反射で答えていた。
「ほんとっ? やったぁ!」
途端に、アリスちゃんの顔には満開の花が咲いた。
よかった。
アリスちゃんの悲しい顔なんて見たくない。
この子にはいつも笑っていてほしいし、それに……
アリスちゃんのこと、あ……愛してるし。
笑っているアリスちゃんを見ていると、自然と私まで笑ってしまう。
これも、この子の魅力の一つだ。この子がいるだけで場が華やぐ。みんなを笑顔にしてしまう。
私の大好きな子は、そういう素敵な子だ。
「お姉ちゃん。ぎゅーーってして?」
「はいはい。ぎゅーーっ」
「えへへへへ~。お姉ちゃんだぁい好き~」
またアリスちゃんにスリスリされて、私は優しく頭を撫でるのだった……
「ね? 黒咲、すぐこうなるんだよこの二人」
「なるほどね……」
「そっか~。宮野がね~。分かんないもんだね、青山」
「いや、ホント。マジビックリだわ」
……友人たちの呆れた視線を遠くに感じながら。
「でもさ、ホント急にどうしたの? 大学まで来るなんて、すっごい久しぶりじゃない?」
帰り道、気になったので訊いてみた。
すると、アリスちゃんは「えっとね」と前置きして、
「私、お姉ちゃんと同じ大学に進学しようと思うの。だから改めて見て見たいなーって思って」
「え?」
予想外の言葉に、思わず足を止めてしまう。
「決めるの早くない? まだ二年生の四月だよ。もっと自分のしたいこととか、他の大学も見学したほうが……」
「うぅん、お姉ちゃんと同じ大学に行きたいの」
「でも……アリスちゃんが入るころには、私卒業してるよ?」
「それでも行くの! もう決めたんだもん!」
アリスちゃんは一歩も引く気配がない。
確かにちょっと強情なところあるけど、何もここで意地を張らなくたって……
「お姉ちゃんの大学って、獣医学部があるんでしょ? 私ね、前から興味があって、将来はそういう仕事に就きたいなって思ってるんだ」
「そうだったの? 初めて聞いた」
「お姉ちゃんはどうなの? こんな仕事がしたいなーとか」
「うーん…………」
またまた予想外の話に。
将来かあ。ヤバい、全然考えてない。
私の志望動機なんて、家から近いからだったしなあ……
「私はその……将来よりも今を大切にしたいなあ……みたいな?」
「お姉ちゃん……」
い、いかん。
アリスちゃんが、珍しく私を呆れた目で見ている!
あ、でも、すぐに決心した顔になった。
「心配しないで! お姉ちゃんは私が養うから! だから安心して専業主婦になってね!」
「……私、もうちょっと真剣に考えるよ」
従妹に養ってもらうのはね、流石にね、プライドがね。
はあ、とため息をついて落ち込んだ気持ちをリセットする。
「そういうことなら別の日においでよ。案内したげるから」
「うんっ。ありがとう」
アリスちゃんは嬉しそうに、私の腕に自分の腕を絡めてきた。
こういうとこも可愛いよな~
「お姉ちゃん」
「なあに? アリスちゃ……んむっ!?」
いきなり顎を指で挟まれ、上を向かされたかと思うと、直後に唇に柔らかな感触が。
ほんの一瞬強張った体はすぐにほぐれて、甘くて少し酸っぱい味が、私の全身を満たしてくれる。
「ど、どうしたのアリスちゃん……?」
「キスしたくなったの。だって、春休みが終わってから、あんまりお姉ちゃんとイチャイチャできないんだもん」
「そういえばそうかも」
学校が始まるとどうもなあ。休みの時より一緒にいる時間減っちゃうし。
「アリスちゃん……んっ」
ちょっと背伸びをして、今度は私から唇を合わせる。
アリスちゃんの薄くてピンク色の唇は、瑞々しくて、それに柔らかい……
薄暗い街の中。
頬が触れ合うくらいすぐ傍にアリスちゃんの顔があって、時折かかる吐息がくすぐったくて恥ずかしい。
こうしていると、世界で二人きりになった気持ちになる。
でも、まだそうじゃないから……
「あ、アリスちゃん。私、その……」
「うん。帰ろう、お姉ちゃん。今日はお姉ちゃんのお部屋に行きたいな」
「う、うん……」
気持ちを見抜かれ、顔どころか首元まで朱が散っているのが分かる。
けど、それ以上に嬉しさもあって……
叶わないなあなんて思いつつ、
私はアリスちゃんと一緒に家路を急いだのだった――
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