第72話 あなたがいてくれるから

 朝起きると、まだ半分眠ったままの頭で、スマホを手に取った。


 ……いや、朝っていうのは正確じゃないかも。午前中とはいえ、もう十時過ぎだ。



 とはいえ、今日の大学はゼミだけ。まだ行くにも時間がある。


 最近は課題やらなにやら忙しかったし、なんか疲れちゃったなー。



 お母さんがいると早く起きなさいって言われるけど、今日はパートでいないし。


 あとちょっとこのままダラダラしようっと。


 ああ、この微睡ながら温かいベッドの中にいるのが、最高に幸せ……




 ――――



 ――――――――




 ヤバい!


 私は飛び起きて、ベッドから飛び降りる。


 ヤバいヤバい! ちょっとのつもりだったのに全然ちょっとじゃ済まなかった。


 ふと時間を見たら、針がヤバい時間をさしていた。



 急がないと大学に遅れちゃう!


 私は未だ半分眠った頭で急いで準備を済ませると、家を飛び出したのだった。




「はぁ……」


 ゼミが終わって、私の口からは安堵のため息が出た。



 大学には何とか間に合った。ほんと、ギリギリだったけど。


 今日は研究発表会だったから、遅刻したらほんとヤバかった。



 発表会も終わったし、みんなで遊びに行こうかーって話になった。


 なったんだけど……


 結局、ランチを取っただけで解散になった。みんな恋人との約束があるらしい。……はんっ。



 井上にメッセージを送ってみたら、奴も約束があるっぽい。


 どいつもこいつも色ボケめ。



 まだお昼過ぎ。このまま帰るのもアレだし、適当にぶらついてから帰ろう。


 と思ったんだけど……



 なんか、アレだな。


 恋人と約束が~って話を聞かされ続けた所為かもだけど、妙にカップルが目に付く。


 考えてみれば、もう二十歳になったっていうのに、私は誰とも付き合ったことがない。


 一応、告白はされたことあるけど……



 なんか、付き合うっていうのが分からないんだよなー。


 誰かを好きになるっていうのが、いまいち分からない。


 前、井上にそれとなく聞いたことがあるけど、ぜんっぜん、ビックリするほど参考にならなかったし。



 私も、いつか誰かを好きになる日が来るのかな……って、


 いやいや! なんか変なこと考えちゃってるよ私! 恥ずかしいこと考えてない私!?


 無駄に感傷的というか、柄にもなくロマンチストになってしまい、慌てて考えを中断する。でも……



 気になるのは本当だ。


 私が誰かを好きになって、一緒に出掛けたりするとか想像できない。それに……


 もしそうなったら……き、キスとかもするのかな。それ以上のことも……


 いやいやだからこういうところだってば! 中学生みたいなこと考えちゃってるよ。



 でも、考えちゃうってことは、興味はあるってことだよね。


 私も、いつか、誰かと……



 そんなことを考えながら、家に帰り、リビングの扉を開けると、



「お帰りなさい、お姉ちゃん」


 一人の女の子が、私を出迎えてくれたのだ……



 あの日、アリスちゃんが家に来て、私の世界は一気に変わった。


 キスされて、結婚しようって迫られて、恋人になって。


 今では婚約者になった。それに、キス以外のことも……




「――お姉ちゃんてばっ!」


 ハッとなって見ると、目の前にアリスちゃんがいた。


「ど、どうしたの?」


「どうしたのじゃないよ、もう! さっきから呼んでるのにボーッとしちゃってるじゃん!」



 アリスちゃんの部屋。壁に掛けられたかわいらしい時計を見ると、もう夜の九時前だった。


 ボーッとしていた所為でアリスちゃんの言葉を聞き逃しちゃったらしい。


 ごめんごめんと謝って、何の話と訊く。



「春休み、一緒に旅行に行こうよ」


 そっか、春休み。もうそんな時期か……


 アリスちゃんが家に来て、もう一年経とうとしてるんだ。



「お姉ちゃんっ?」


 今度は、アリスちゃんはちょっとムッとした顔になっていた。


 頬をぷくっと膨らませていたので、つい指で突いてしまう。



「もう、お姉ちゃんっ!」


「ごめんごめん。大丈夫、ちゃんと聞いてるよ」


 さらに怒らせてしまったけれど、頭を撫でるとアリスちゃんは大人しくなった。


 なんだか気持ちよさそうに目を細めている。



「そうだね……行こっか、旅行」


「ほんとっ?」


 ぱぁ、と輝くアリスちゃんの顔。


 太陽みたいに明るい顔は、見ているだけで嬉しくなる。



「うん。でもどうしたの? 急に旅行だなんて」


「別に深い意味はないよ。お姉ちゃんと色んなところに行きたいなーって思ったの。だって、就活とか始まったら忙しくなるだろうし」


「う”っ」


 先行き不安なことを思い出してしまった。


 そうそうそうだよ。就活ね。そういうのもあるんだったね。


 大丈夫かなあ、私……



 はあ、とため息をついてしまいそうになるけれど、それは飲み込むことにした。


 弱気の虫は追い払わなきゃ。アリスちゃんのためにも、就活も頑張らなきゃ!



 そう……


 これからも、私たちはずっと一緒にいるんだ。


 そう考えるのが、もう自然になっている。


 そのことが、妙に嬉しくて、けどちょっと照れ臭い。



「ありがとう、お姉ちゃん」


「えっ?」


 急にお礼を言われて、目を瞬く。


 一体、何に対するお礼だろう? 旅行に行くことかな? それとも……



「私、今とっても幸せだよ。そう思えるのはお姉ちゃんのおかげだから」


 だから、と言って、アリスちゃんは微笑んだ。


 まるで美しい絵画みたいで、私は目を奪われた。



 きれい……


 アリスちゃんは本当にきれいだ。


 こんなにきれいな子が私の婚約者だなんて、未だに信じられない。


 アリスちゃん……



 アリスちゃんを見ていると、体の芯から熱くなってくる。


 思いはあっという間に溢れて、そして、



「んっ、ちゅ……ぁ、っ……」



 溢れた気持ちは、アリスちゃんへと向かう。


 けれど、その分だけアリスちゃんの気持ちも私の中へ入ってきて、結局また溢れてしまって、私たちの感情が混ざり合っていく……



「……っは」


 唇が離れたとき、私たちの舌は唾液の糸でだらしなく繋がっていた。


 みっともなくて、恥ずかしくて、それでまた熱が上がっていくのが分かる。



 アリスちゃんの顔も真っ赤だ。


 吐息が当たるたび、くすぐったくて体が震えてしまう。


 アリスちゃんの白魚みたいに細くてきれいな手が私の頬に触れ、びくっと大きく震えてしまう。


 そんな私を見て、アリスちゃんはクスリと笑った。



「お姉ちゃんかわいいっ」


「アリスちゃんだって、かわいいよ……っ」


 えへへっ、と甘えたように笑うアリスちゃん。



「ねえ、お姉ちゃん……」


 アリスちゃんは私の手を握り、指を絡めてくる。


 そして、コツンと自分の額を私の額に当てた。



「結婚、しようね」



 いつかと同じ、でもちょっと違う言葉。


 それは私の体に、心に、染み込むみたいに広がっていく。



「うん。結婚しよう……アリスちゃん」



 想いを確かめ合うみたいに、唇を重ねる。



 今年は去年より、来年は今年より、もっともっと、きっとあなたを好きになる。


 愛しいあなたといるだけで、私はこんなにも幸せなのだから。



 ――結婚しよう。



 心の内で、そっと呟いて、



 世界で一番愛しい女の子を、求め続けたのだった――

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