第65話 怒ってないよ

「本を貸してほしい?」


 夜、お姉ちゃんにお願いしてみると、不思議そうな顔をされた。



「明日から学校で、HR前に本を読む時間ができたんだ。そこで読む本が欲しくて」


 事情を説明すると、お姉ちゃんは「いいよ。好きなの持って行って」と言ってくれた。



 私は「ありがとう」と答えて本棚と向き合う。


 うーん、どうしようかなあ。


 なんて悩んでみたけれど、お姉ちゃんが持っているのはそのほとんどが推理小説だ。有名な小説家の作品なら、日本のも海外のも、推理小説じゃないのも少しあるけど……



 結局、私は一冊の本を手に取ったのだった……




 私が借りたのは推理小説だ。


 銃声が聞こえた部屋の中に入ると、そこには瀕死の男性が倒れている。しかも密室状態の部屋には被害者以外誰もおらず、庭の雪にも足跡は一つも残ってはいなかった……


 有名な密室ミステリーだ。私も内容は知らないけれどタイトルは知ってる。



 どんな話なのか、ちょっと気になってたんだよね。寝る前に少し読んでみようっと。


 私はホットの紅茶を用意して、一時間程読書することにした。



 借りた小説は面白い。同じ作家の別の作品を借りたことがあるけれど、なんというか、この作家らしい作品だなー。


 もう少し読もうかと思ったけれど、明日も朝が早いし、そろそろ寝ようかな。


 そう思って立ち上がった時、予想外のことに私は硬直してしまった。



 立ち上がった拍子に、カップを倒してしまったから。



 慌てて本をとろうとしたけれど、遅かった。


 手に持った本は、ぐっしょりと濡れてしまっていた。




 ど、どうしよう……? まさかこんなことになるなんて……


 お姉ちゃんの本を汚しちゃうなんて! こうなったら体でお詫びするしかない! お姉ちゃんの好きなように苛めてもらわないといけないよねっ!



 ……こんなことを考えている場合じゃない。


 とりあえず、新しい本を買わなきゃ。それから、お姉ちゃんに正直に話して謝ろう。


 と思った時だった。



「アリスちゃん、今ちょっといい?」


 お姉ちゃんがドアをノックしてきた。動揺していた私は、ついいつものように「いいよ」と答えてしまった。



「あのね、明日なんだけど……」


 何かを言いかけたお姉ちゃんだったけれど、私の手にある本を見て言葉を止めた。


「あ、あのねお姉ちゃん……っ」


 謝ろうとしているのに言葉が出てこない。お姉ちゃんの沈黙がなにより怖かった。


 何も言うことができない私のもとに、お姉ちゃんは歩いてきて、



「大丈夫? アリスちゃんっ」


 私の手を、優しくぎゅっと握ってくれた。


「……え? お姉ちゃん、どうしたの?」


「どうしたのって……紅茶こぼしたんでしょ? 大丈夫? 火傷してない?」


「う、うん……平気だよ」


 私を目をパチクリさせる。



「お姉ちゃん、怒ってないの……?」


「え、怒るって……どうして?」


「どうしてって……」


 お姉ちゃんがキョトンとした顔になるので、私までキョトンとしてしまう。


「だって、本……汚しちゃった……」


 けれど、本に視線を落とすと、やっぱり気分は落ち込んでくる。


 私、お姉ちゃんが大切にしている本を……



 すると、私の不安を振り払うみたいに、優しいぬくもりが私を包み込んでくれた。


 とてもやさしくて、温かくて、それに懐かしい……


 昔、小さかった頃。


 私が泣いちゃったとき、よくお姉ちゃんはこうして慰めてくれたっけ。


 お姉ちゃんは、そっと私を抱きしめて、頭を撫でてくれる。昔と同じように……うぅん、あの頃よりもやさしく、慈しむみたいに。



「あのね、アリスちゃん。私は、本よりもアリスちゃんが心配なの。全然怒ってないいないないよ」


「ほんとっ?」


「ほんとほんと。私怒っているように見える?」


 私はじっとお姉ちゃんを見下ろす。すると、お姉ちゃんと目が合った。


 お姉ちゃんも、じっと私を見上げていた。


 その目はとってもやさしくて、温かくて……なんだか昔を思い出してしまった。



「お姉ちゃぁああああああああんっ! うぅ~~~~~~っ」


「え? ちょ、やっ……きゃっ!?」


 お姉ちゃんを抱きしめる……と言うより抱きつく。


 すると、バランスを崩したらしいお姉ちゃんと一緒に、私は床に倒れこんでしまった。



「いたた……大丈夫、アリスちゃ……んっ!?」


 ほとんど押しつけるみたいにして、お姉ちゃんの唇を塞ぐ。


 強く、強く、少しでもお姉ちゃんを感じられるように。



「あ、アリスちゃん、どうしていきなりキスするの?」


「お姉ちゃんが好きだから」


「っ! な、何でおしり触るのっ?」


「お姉ちゃんが好きだから」


「っ!? 何でパンツの中に手を入れるのっ!」


「お姉ちゃんが好きだから」


 顔を真っ赤にするお姉ちゃんがかわいくて、愛しくて、ついつい色々とやってしまう。



 好き……


 一度そう思ってしまうと、もう止められそうにない。


 いっつもそう。好きで好きで、ただ傍にいてほしくて、触れ合いたくて……



「お姉ちゃん……お姉ちゃ、ぁんっ……好き、すき、いぃ……っ」


 あふれた思いは、全部お姉ちゃんに向かっていく。


 お姉ちゃんは、いつも受け止めてくれる。全部全部、やさしく。



「ごめんね、お姉ちゃん。本汚しちゃって……」


「いいよ。もともと怒ってないから」


「うん。でもね、汚しちゃったのは事実だし、お詫びがしたいの。新しいの買うから。だからね、明日一緒にお出かけしよう?」


「もちろんいいよ」


「やったぁ。えへへ~。お姉ちゃんだぁい好きぃ~~」


 ぎゅ~~っとお姉ちゃんを抱きしめる。



 やわらかい、いい匂い、気持ちいい、好き……


 どうしよう。また溢れてきた。お姉ちゃん……



「私も。大好きだよ、アリスちゃん……っ」


 吐息まじりに言われたら、もう抑えられるはずもなくて。



 私はもう無心で、お姉ちゃんを求めたのだった――

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