第55話 気づいた気持ちは……

 正直言って、アリスちゃんと旅行に行くってなった時点で、こうなることは予想してた。


 してた、けど……



「お姉ちゃん?」


 気づくと、アリスちゃんのサファイアの瞳が、鏡越しに私を見つめていた。


「どうかしたの?」


「うぅん、何でもないっ」



 答えて、ゆっくり息を吸って吐く。すると、ちょっと気分が落ち着いた。


 アリスちゃんは「そっか」と答えて、また寄りかかってくる。


 肩に、確かな重みを感じた。温かくて、心地のいい重みだ。



 アリスちゃんは私に身を任せて、そっと寄りかかっている。


 目を瞑っているその顔は、心地よさそうに見える。安心しきってるって感じ。でも……


 鏡に写ったアリスちゃんは、同時にとても儚い印象を受けた。


 私に身を任せて、そっと目を閉じ、宝石のように輝く金色の髪を洗われる少女……


 指先だけでも触れれば、まるで鏡が割れるように砕け散ってしまいそうなほどに、儚い。


 だから私は彼女を決して傷つけないよう、そっと指を動かしつつ、どうしてこうなっているのかを思い返した――




「見て見て、お姉ちゃんっ。なんか、旅館! って感じの部屋だ!」


 渋滞を抜けて、旅館についた時にはもう夕方になっていた。


 私は運転……というより、別の理由から疲れちゃったけれど、アリスちゃんは元気そう。部屋に入ったアリスちゃんは、ちょっと変わった感想を言った。



 その後も、床に転がって「いい匂いー」とか言ってて、何だか妙にテンションが高い。


 案内された部屋は和室だった。部屋の中央には背の低いテーブルが置かれていて、その周りには座布団があった。


 落ち着いた内装は確かに旅館っぽいかも。和室ってところも。


 家には和室ないもんなー。イギリス暮らし長いアリスちゃんには珍しいんだろう。おじいちゃんの家にはあったけれど……



「お姉ちゃん! 温泉入ろう!」


「い、いきなりだね……」


 さっきまで寝ていたアリスちゃんに詰め寄られ、勢いに押されてちょっと身を引く。


 すると、その分だけアリスちゃんはまた身を寄せてきた。



「だって旅館に来たんだもん。一緒に入ろうよ。……だめ?」


 うぅ、またその頼み方。ズルいよほんと。


 私が断れないこと、知っててやっているんだから……




「ズルい」


「え、なにが?」


 目を開いたアリスちゃんが、また鏡越しに私を見つめる。



「うぅん、何でもない。痛くないかなーと思って」


「大丈夫だよ」


 答えてから、アリスちゃんはくすぐったそうに目を細めた。


「人に髪の毛洗ってもらうって、ちょっと変な感じだね。くすぐったくて、優しい感じ」


「そう、だね……」



 確かにそうだ。


 目を閉じて、私に寄りかかって体を任せるアリスちゃん。こんなの、相手を信頼していないとできない。


 だってこんな、一糸纏わぬ姿で……っ!?



 やば、見ちゃった。


 意識しないようにしてたのに。一度意識してしまったらもうダメだ。


 まるで重力に引き寄せられるみたいにして、私の視線は鏡に薄ったアリスちゃんの白い肢体へとむいてしまう。



 いつもは雪みたいに白い体が、今は朱を散らしたように赤い。もともとの肌が白いからか、余計にそう感じる。


 細いのに、確かな重みと温かさがあって、それを意識すればたちまち自分の体温が上がっていく。それに……


 自然と見てしまうのは、その二つの双丘だ。



 年下なのに、私よりも大きなふくらみ。


 とってもやわらかくて、気持ちよさそう……


 いいなあという羨望と、触りたい、すきにしたいという欲望。


 二つの感情がせめぎ合って、目を離せない……



「お姉ちゃん?」


「うぇっ!? な、なにっ!?」


 見ているのがバレたのかと思って、声が上ずってしまった。


「……えっと、次は私がお姉ちゃんの髪を洗ってあげるねって言ったんだけど……」


「あー、うん。あー、そう……」


 興奮冷めやらず、おかしな返答になった。



 アリスちゃんが「変なお姉ちゃん」と言って笑うので、恥ずかしさでまた体温が上がる。


 私は恥ずかしさを誤魔化すように、そっとシャンプーを洗い流した。



「じゃあ、今度は私が洗ってあげるね」


 笑顔で言うアリスちゃんは私が見ていたことには気づいていないみたい。


 安心して息を吐いて、



「……いいけど、変なところ触ったらイヤだからね」


「…………」


「なんでここで黙るの!?」


 すぐに詰めた。




 夕食は七時からだ。


 テーブルの上には、色とりどりの料理が並べられていく。


 魚料理やてんぷら、お吸い物……かと思ったら、年越しそばだった。中にはそばとかまぼこ、エビの天ぷらが入っている。



「はい、お姉ちゃん。あーんして」


「あ、あーん……」


 いつものように、アリスちゃんが料理を口元まで運んでくれる。



 最初は対面に座っていたはずのアリスちゃんは、いつの間にか私の隣に座っている。


 私はアリスちゃんを見て……でもすぐに視線を逸らしてしまう。そしてふうと息を吐いた。



「どうかしたの?」


 キョトンと首を傾げているアリスちゃんに「何でもない」と答えて、天ぷらを一口食べる。


 ……うん、おいしい。サクッとした衣に、何もつけずに食べているからさっぱりした風味も広がる。やっぱり、スーパーとかで売ってるのとは違うなあ。


 なんて考えていると、どうした訳か、アリスちゃんはニンマリと笑う。



「もしかして、さっきのこと思い出してる?」


「ち、違う……よ?」


 言われたせいで思い出してしまう。


 他に人もいたから、流石にあんまり変なことはされなかったけれど、ちょっと……うん。


 でも、私が視線を逸らした理由はそうじゃない。そうじゃなくて……



 アリスちゃんの、格好のせいだ。



 今私たちは、浴衣を着ている。


 私は、まあ何というか、なだらかとまでは言わないけれども、言わないけれども! でも、敢えてどちらかといえば、スレンダーな体格をしている。


 対するアリスちゃんは、モデル顔負けのスタイルの良さだ。


 年下なのに、私よりも膨らみが大きくキレイな形をしている。つまり何が言いたいのかって言うと、



 目のやり場……目のやり場に困る……っ!!



 浴衣って何でこう……こうなんだろう!


 胸元が……胸元がぁ……


 二つの大きなふくらみは、アリスちゃんが動くたびに揺れ、零れ落ちそうなほどだった。



 ダメだ。


 一度意識し始めたら、余計に意識しちゃう。


 なんか、胸が痛くなってきたかも。それに喉が熱い……


 潤そうとして唾を飲み下すと、熱は一気に全身に広がって、もう冬だっていうのに汗をかきそうなくらい熱くなった。



「お姉ちゃん、見てるでしょ」


 いきなり言われて、ドクンと胸が大きく音を立て、それに引きずられるようにして体がビクンと震えた。


「えぁっ!? うん、その……見てるよ…………料理を。おいしそうだよね。そうだっ、今度は私が食べさせて……」


「えいっ」



 突然のことに、頭が真っ白になった。


 お箸を取ろうとした私の手を掴んだアリスちゃんは、それを自分の胸に押し当てた……



 えぇええええっ!!??


 ど、どどどどーいうことっ!?


 わ、私の手がアリスちゃんの胸に当たって……ていうか、触って……



「こうしたかったんでしょ?」


 アリスちゃんにさらに手を押し当てられると、胸に沈んでしまった。


 ……大きいと、そうなっちゃうんだ。そういえば、温泉では浮いてたっけ……


 うぅ、ヤバっ。また思い出しちゃった。



「私知ってるんだよ」


「な、なにが……っ?」


「私の胸、見てるよね。ずぅっと」


 き、気づいてたんだ。


 そんなにジロジロ見ちゃってたのかな……



「温泉でもチラチラ見てたから、こうしたいのかなあって思って」


「チラチラ……」


 そういう言われ方をすると、何だかなって感じだ。



 指先から伝わった熱は、あっという間に私の全身へと広がった。


 温かくて、それに信じられないくらいにやわらかい……


 自分のものとは全く違う感触に、頬どころか首元まで真っ赤に染まっているだろうことが分かる。


 それをアリスちゃんも分かっているのか、その顔に、いつものイタズラっぽい笑みが浮かぶ。



「いいんだよ、お姉ちゃんの好きにしてくれて。ね?」


 好きに……


 アリスちゃんを、私の……



 私の中に、どす黒い欲望が渦巻く。


 アリスちゃんは、きっと私が何をしても受け入れてくれる。


 言葉通り、私の好きにさせてくれる。それなら……


 黒い感情に呑まれそうになった、その時、



 突然、聞こえてきた音に跳びあがってしまう。


 私のスマホの着信音だ。


 機先を制された形となり、何故か私は逃げるようにしてスマホを取るのだった……




「はぁああああ~~……」


 大きく深いため息をついてしまうと、何だか余計に疲れてしまった気がした。



 ベランダに出た私は夜空を見上げる。


 そうすれば、沈んでしまった気分も上がるんじゃないかと思ったから。


 残念ながら、効果はないみたいだけれど。



 電話をかけてきたのはお母さんだった。


 私たちの様子を心配しての電話だ。


 気遣い自体はありがたいんだけども、タイミングはありがたくなかった。



 アリスちゃんに誘われて、


 あんな感情初めてだった。まるで、自分が自分でなくなっちゃうみたいな……


 あのとき電話がかかってこなかったら、あのまま続けていたら、どうなっちゃってたんだろう……



「アリスちゃん……」


「なあに?」


 まさか返事があるとは思わなかったのでビックリした。


 振り返ると、いつの間にかアリスちゃんが立っている。



「お部屋に戻ったら? 風邪ひいちゃうよ」


 言って、アリスちゃんは私の肩にコートをかけてくれた。


 ありがとうと答えて、私は両手で肩を抱く。すると、ふわりと私を包み込んでくれるものがあった。



 同時に、後ろから柑橘系の甘い香りが漂ってきた。


 反射的にドキリとして、それを発端として見る見る鼓動が早くなっていく。


 それは香りだけが原因じゃない。背中に、例の二つのふくらみを感じたからだ。



「あ、アリスちゃん、あの……」


「んー? なあに?」


「その……当たってるんだけど」


「知ってます」


 と、背中に感じる感触がさらに強くなる。


 こ、これってぇ……っ!



 ヤバいヤバい、落ち着かなきゃ。


 話変えた方がよさそう。えぇと……



「あのさ、アリスちゃん。よかったの?」


「なにが?」


「その……クリスマスも私と一緒だったじゃない? だからお母さんたちはいいのかなあって」


 たまには家族で過ごしたほうがよかったんじゃないかな?



「大丈夫。さっき電話したし。十分だよ」


 随分淡泊だな。



「私ね、お姉ちゃんと一緒に年越ししたかったの」


 続けられた言葉に、私の考えはすぐに霧散してしまった。


「それで、誰よりも早く『おめでとう』って言いたかったから……もしかして迷惑だった?」


「うぅん、そんなことないよ! 私もアリスちゃんと一緒に過ごしたいし!」


 よかった、とアリスちゃんは笑ってくれた。つられて私も笑う。



 笑って、でもすぐに引きつってしまう。


 背中に当たるやわらかな感触のせいで。


 また鼓動が早くなっていく。体もどんどん熱くなっていって……


 ああ、あの時とおんなじだ。寒いはずなのに、熱い。



 あの日以来、どうにもアリスちゃんを意識してしまう。


 これって、やっぱりそういうことだよね。まるで異性を意識するみたいに、アリスちゃんを……



「ありがとう、お姉ちゃん」


 私の思考は、後ろから聞こえた声に遮られた。


 とても不思議な声だった。大きいわけじゃないのに、よく聞こえて、体の奥まで染み渡っていくような……



「実はね、日本に来る前、ちょっとだけ不安だったの。でも、すっごく楽しかったよ。そう思えるのはお姉ちゃんのおかげ。だから、ありがとう」


「うん……」


 そうだよね。昔住んでいたとはいえ、たった一人で違う国へ来るんだから。不安じゃないはずがない。


 実際、初日は結構緊張してたっぽいし。



「もっともっと楽しむために、私もっともっと頑張るから! 来年こそは、お姉ちゃんに結婚してもらえるように! だから……」


 来年もよろしくね。


 言葉の余韻が残っているうちに、唇が重なって、それは私たちの間で溶け合っていく。



 来年……


 そう、もう年が明けるんだ。


 文化祭で、アリスちゃんとの関係を進めてみようと決心したけれど、それでも、まだ答えは保留にしちゃってる状態だ。


 けれど、いつまでもこのままってわけにもいかない。



「こちらこそ、よろしくね。アリスちゃん」


 うん。やっぱり、私アリスちゃんが好きだ。


 ずっと一緒にいたい。ずっと私だけを見てほしい。


 それに、色々なことをされたり、したりも……



 私が抱いた感情は、ほとんど欲望に近かった。


 なんだか恥ずかしくなってしまい、思わず目を逸らしてしまったけれど、


 それは逸らせないくらいに大きな感情で、無視なんてできそうになかった――

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