第54話 まだ気づけていない気持ち
「ちょ、ちょっとアリスちゃん、くすぐったいよ……っ!」
「大丈夫だよ。皆運転に集中してるから」
じゃあ私にも集中させて、という言葉が顔に出てたのかもしれない。
アリスちゃんの顔に、いつもの、いたずらっぽい笑みが浮かぶ。
「それに、渋滞で全然動いてないんだから、何にも問題ないよ」
そう言ったアリスちゃんの指が、まるで這うようにして私の太ももへ触れる。
くすぐったさと恥ずかしさから、熱を感じてしまう。
体の震えを押さえながら、私はどうしてこんなことになっているのかを思い返した――
三日前――
「あなたたち、ケンカでもしてるの?」
朝食をとっているときの、お母さんの言葉だ。
「う、うぅん、ケンカなんてしてないよ。ね? アリスちゃん」
「そうだね。お姉ちゃん……」
とは言いつつも、お互いにぎこちないことはお互い分かっている。
それはアリスちゃんも分かっているんだろう。私たちは隣り合った席に座ったままぎこちなく笑い合う。
この三日間、私たちは気まずい時間を過ごしていた。
いや、〝私たち〟っていう言い方は正確じゃないかもしれない。
だって、私がアリスちゃんを避けてしまっているから。だからアリスちゃんも、私との接し方に困っているみたい。
こっそり横目でアリスちゃんを盗み見る。
あの日の夜のことが、ビックリするくらい鮮明にフラッシュバックした。
アリスちゃんと密着して、お互いの吐息がかかるような恰好で、私……
うぅうううううううううっ!!
両手で頭を抱えてブンブン振る。「あんた頭大丈夫?」というお母さんの言葉が聞こえた気がしたけれど、私はそれどころじゃない。
アリスちゃんとしたことを思い出して、瞬間的に体が熱くなる。
あんな……あんな……あああああああっ!
「そうだ! あなたたち、二人で旅行にでも行ってきなさい」
「あ”?」
心の中で悶えていたからだろうか、ちょっとガラの悪い返しをしてしまった。
いや、でも……
「どういうこと?」
疑問は疑問として訊いてみる。アリスちゃんも怪訝な顔をしてるっぽいし。
「ほら、クリスマスはアリスちゃんのお父様から映画のチケットを貰ったでしょ? だから今度はうちがと思って、取っておいたの。私、年末年始はお父さんのところへ行こうと思ってるし」
それ、夫婦で過ごすから厄介払いしようとしているだけでは?
ま、それはともかく……
「行く? アリスちゃん」
アリスちゃんはちょっと驚いたような顔になった。それから阿るように「いいの?」と訊いてくる。
「うん。アリスちゃんがよければ、だけど」
すると、ちょっと躊躇いがちではあったけれど、アリスちゃんは「行く」と言ってくれたのだった……
そして、時間は流れて、
大晦日の朝、私はアリスちゃんを乗せて車を走らせた。お母さんが予約を取ってくれた旅館に向かうためだ。
緊張する。車を運転するのは久しぶりだからっていうのもあるけれど、アリスちゃんと一緒だからっていう理由のほうが大きいかもしれない。
「だ、大丈夫アリスちゃん? 酔ったりしてない?」
「うん。大丈夫だよ」
「そっか……あ、お腹空いたら言ってね?」
「分かった」
やっぱり、助手席に座るアリスちゃんとの会話はぎこちない。
正確には、私一人が、だと思うけれど。
アリスちゃんといると、どうしても思い出しちゃう。クリスマスの夜のことを……
ああ、もうっ! 思い浮かんだ光景を無理やり霧散させる。
このままじゃダメだ。私が避けちゃってるんだから、私から歩み寄らなきゃ!
「あのね、アリスちゃんっ」
車を停め、アリスちゃんと話し合おうとすると、
「お姉ちゃん!」
急にアリスちゃんに手を握られた。
「きゃあああああっ!?」
自分の行動に、自分でビックリしてしまった。
私はアリスちゃんの手を弾くようにして離してしまっていたから。
「あっ、ごめんアリスちゃん。その……」
自分で自分をフォローしようとするけれど、うまく口が動いてくれない。
どうしよう、と困っていたその時だった。
「ふぇ……っ」
聞こえてきた声にまたビックリする。
私の見間違い、聞き違いでなければ、アリスちゃんは泣いていた。
「えっ、ちょ、アリスちゃん!? ど、どうしたの!?」
「だって、だってぇ……おねえちゃんがぁ……」
これはアレかな。やっぱり私が手を離しちゃったから、だよね。
「おねーちゃんに嫌われたら、私滅んじゃうよぉ……っ」
「滅んじゃうの!? お、落ち着いてアリスちゃん。ねっ?」
頭を撫でで落ち着かせようとすると、アリスちゃんは私の胸に顔を埋めてぐりぐりと動かして、クンクン匂いを嗅いできた。
「ちょ……っ!?」
……まさか嘘泣きじゃないよね? と疑ったけれど、どうやら泣いているのは本当らしい。
アリスちゃんの体はちょっと震えているし、すすり泣く声も聞こえてきたから。
「だ、大丈夫だよアリスちゃん。私、アリスちゃんのことを嫌ったりしないから」
「ほんとっ?」
「うん。ほんとほんと」
「じゃあ結婚して」
「それはちょっと話が違うかな……」
この流れ久しぶりな気がする。
それも当然か。ここ数日、ろくに離してもいなかったんだから。
「ごめんね、アリスちゃん」
アリスちゃんの頭を撫でながら、あやすように言う。
「私、クリスマスの夜のことを思い出すと、どうしてもドキドキして、変な気持ちになっちゃって……それが何だか怖くて……」
「私とおんなじだね」
え、とアリスちゃんを見ると、彼女は潤んだ目で私を見上げていた。
「私もね、あの時を思い出すと、すっごくドキドキするの。だから怖いことなんてないよ。これって、普通のことなんだから……」
「普通……?」
「そうだよ」
私が体を震わせてしまったのは、アリスちゃんがまた私の手を握ったからだ。彼女は、今度はそれを自分の胸へとあてる。
手のひらから感じる、確かな温かさとやわらかさ。瞬間的に熱を感じて、でも私にはどうすることもできなかった。
「ほら……ね? 分かるでしょ? 私がドキドキしてるの……」
うん、と言おうとしたのに、何故だか喉が熱くて言葉が出てこない。なんとか、小さく顎を引くようにして、ほとんど強引に肯定の意を示した。
「ふふっ。だから、お姉ちゃんにはもっとドキドキしてほしいな。そうしたら私も、もっともっとドキドキできると思うから」
「うん」
さっきが嘘みたいに、その言葉は私の喉からするりと出てきた。
「私も、アリスちゃんと一緒にドキドキしたい」
ふふっ、とアリスちゃんは笑う。
けど、それはいつものイタズラっぽい笑みでも、意地悪な笑みでもない。年相応の、純粋な笑顔だった。
「いっぱいドキドキしようね、お姉ちゃん」
久しぶりに重ねた唇は、温かくて、やわらかくて……いつもより甘い味がした。
それにしてもさー、とアリスちゃんは、妙に明るい声で言った。
「お姉ちゃんて、運転できたんだね」
ちょっと失礼なことも。
でも無理はないのかも。私、アリスちゃんの前で運転するの初めてだし。
「普通免許は持ってるんだ。十八歳になったときにね、お父さんに取っておいた方がいいって言われて」
「もっと早く言ってほしかったなー。私、お姉ちゃんに色々なところに連れて行ってもらいたい!」
「あはは。ごめんごめん」
正直、運転はあんまりしたくないんだよなあ。結構疲れるから。
もっとも……
「なんか、完全に停まっちゃったね」
「うん……」
今疲れている理由は、別のことからだけど。
もう、かれこれ一時間はろくに車を動かせていない。完璧に渋滞につかまっちゃったなあ。
こうなると、普通に運転しているよりかずっと疲れる。やば、眠くなってきたかも……
「……んぁっ!?」
突然刺激を感じて飛び上がりそうになった。
「お姉ちゃん。私、何だか飽きちゃった。だから遊んでほしいなあ」
言いながら、アリスちゃんは私の太ももを撫でてくる。
アリスちゃんの手が触れるたび、私の体は静電気を流されたみたいにビクビク震える。
時々声も出そうになって恥ずかしい……はずなのに……
私の脳裏には。またクリスマスの夜の出来事がフラッシュバックする。
さっきまでは恥ずかしさばかり感じていたのに、いまは……
「アリスちゃん、くすぐったいよ……っ!」
「大丈夫だよ。皆運転に集中してるから」
アリスちゃんの顔に、いつものイタズラっぽい笑みが浮かんだ。
「ん……っ!?」
アリスちゃんの指がきわどいところに触れる。
瞬間的に顔が熱くなり、また、クリスマスの夜の光景が……
「あ、アリスちゃん……! 今は困るよ……っ」
「じゃあ、やめる?」
耳元で囁かれて、くすぐったさから体が震えて、
「やめないで……」
それが刺激になったのか、私の口からポツリと零れた言葉。
それは自分でもビックリしてしまう声だった。
こんな、吐息みたいな、甘えるみたいな声……
「あとちょっとだけ、ちょっと……なら……」
自分がこんなこと言うなんて、思ってもみなかった。
でも……仕方ないよね。ここは車の中。まさか逃げちゃうわけにもいかない。アリスちゃんは運転できないんだから。
だから、私はそう言うしかないから……
「いいよ。お姉ちゃんの好きなようにしてあげる」
もう、自分が何を望んでいるかも分からずに、
ただ、アリスちゃんに身を任せることしかできなかった――
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