第53話 或る夜のキセキ 後編
映画館から出た瞬間、まるで見計らったみたいに、ビュウッ! と強い風が吹いた。
私はコートの裾を押さえつつ、体を震わせる。
……うぅ、寒いぃ……っ。
「大丈夫? お姉ちゃん」
「う、うん……」
心配してくれるアリスちゃんに、私は曖昧に答えるしかない。だって……
今、私はコートの下にミニスカサンタの服を着たままなのだから。
映画が終わった後、着替えようと思ったら、アリスちゃんに「まだ着替えないで」と頼まれた。
もちろん最初は断ったけれど、結局いつもみたいに押し切られてしまった。
さっきは「仕事とはいえあんな服を着るなんて大変だなー」なんて、他人事みたいに思ってたのに。
まさかその服を自分が着ることになるなんて。しかも、あの人たちが着てたのよりも、露出が多いものを……
「ね、ねえ、アリスちゃん……これ、ほんとに着なきゃダメ……?」
アリスちゃんは妙に真面目な顔でじっと私を見てくる。かと思ったら、唇の端がちょっと緩んで、いたずらっぽい笑みになった。
「だーめっ」
言葉と共に、私の腕に自分の腕を絡めてくる。そして私の手を、自分のコートのポケットに入れた。
「ほら、こうすれば温かいでしょ?」
「っ!」
体をくっつけられて、アリスちゃんの髪がふわりと広がる。
やわらかな感触と一緒に柑橘系の香りも漂ってきて、自分の顔が赤くなっていくのが分かる。
温かいっていうか、これは……
「ちょっと暑い、かも……」
「え、なぁに?」
無意識のうちにポツリと呟いた言葉に、アリスちゃんは小首を傾げている。
私は独り言だからと言うと、急ぎ足で歩き出した。
――お姉ちゃん、もっとゆっくり歩こうよ。
突然、アリスちゃんが言った。
私としては、早いところイルミネーションを見て、家に帰ろうと思っていた。
だから早歩きをしていたんだけれど、私の目論見はアリスちゃんの言葉であっさり崩れてしまった。
「せっかくのイルミネーションだよ。もっとゆっくり見たいなぁ」
「いいけど……」
じゃあ服を着替えさせて、とはここじゃ言えないし。同意するしかない。
言葉の通り、今まで私に合わせてくれていた速さを緩めて、今度は私がそれに合わせることになった。
「わあ、見て見てお姉ちゃん! すっごくキレイだよっ!」
イルミネーションを見て歓声を上げるアリスちゃん。
「ほんとだね」
たしかに、イルミ自体はキレイなんだけど……
お、落ち着かない……!
私の格好はパッと見普通だけど、コートの下はアレな格好なわけで。べつに裸ってわけじゃないのに、なんだかすごくドキドキする。
今の格好を誰かに見られたら、絶対に勘違いされちゃう。変なやつだって思われるだろうし、それに……
こんな、恋人にしか見せないような恰好で、外を歩くだなんて……うぅっ。
ダメだ……
なるべく考えないようにしているのに、そうすればそうするほど考えちゃう。
ていうか、人がいっぱいいるからっていうのもあるよ。
アリスちゃんはキレイだから皆見てるし。
だから私も、自分に向けられたものではないと分かっているのに、視線を感じてしまって……
そうだ。じゃあ、人目のないところに行けば、少し落ち着くかも。
そう考えて、アリスちゃんに提案してみると、
「うんっ。もちろんいいよ!」
思っていたより元気な答えが返ってきた。
それに、気のせいかな? アリスちゃん、とっても嬉しそう。
……なんか、変な感じがするけれど……大丈夫だよね?
大通りから外れると、だんだん人通りも少なくなってくる。
小さな公園まで来ると、私たちの他には一人の姿もなかった。
「よかった。ここなら誰もいないみたいだね」
「うん……うん?」
なんか引っかかる言い方だな。やっぱり、何か様子が……っ!?
「……んっ……んぅ、ちゅ……っ……」
変だな、と思うよりも早く、アリスちゃんは私の顎を以って上を向かせ、唇を重ねてきた。
それだけならよかった。
でも、アリスちゃんの手は私のコートの中、もっといえば、サンタ服のスカートの中に入ってきた。
「ちょっ、何するの……!」
コートの上からアリスちゃんの手を押さえると、なぜかキョトンとした顔をされ、その後でイタズラっぽい笑みを浮かべられた。
「何って……ふふっ、変なの。お姉ちゃんから誘ったくせに」
「誘ったって……」
なんの話?
視線で尋ねると、アリスちゃんは答えずに笑みを浮かべたまま、今度はおしりに手を回してきた。
「あ、アリスちゃん! ダメだってば……!」
下着をずらされいよいよ焦る。身をよじって逃げようとすると、無理やりに抱きしめられた。
やわらかな感触が押し付けられ、柑橘系の匂いが鼻梁を刺激し、私はまた首から頬までが真っ赤に染まるのが分かった。
パサッ
……ぱさ?
何の音だろう……? 首を傾げて、唐突に気づく。
スカートの中が、妙にスース―していることに。視線を下にむけると、そこには……
下着が落ちていた。
白い、寮のサイドを紐で結ぶタイプの下着。今はその片方が解かれていて……
「っっ!!??」
まるで瞬間湯沸かし器みたいに、自分の顔が赤くなるのが分かる。
「あ、アリスちゃん……っ!!」
「えへっ。手が滑っちゃった」
「ぜったいうそじゃんっ!」
ど、どうしようっ? これはマジでヤバいよ!
だってだってこんなの……うぅ、とにかく何とかしなくっちゃ!
「アリスちゃん、そろそろ帰ろ? ね? もう暗いし寒いしさ」
「やだ」
短い否定の言葉。
どんな感情からか、私の体はビクッと震えた。
「だって、お姉ちゃんが言ったんだよ? 人気のないところに行こうって。望んでたんでしょ? 私に、こういうことをされるの」
「そんなこと……ぁんっ」
耳を甘噛みされて、静電気みたいな刺激と羞恥から、声を上げてしまう。
それで余計に恥ずかしくなって、ますます頬が熱くなった。
「ふふっ、お姉ちゃんかわいい」
からかうように笑われて、私は視線をそらしてしまう。
「そんなこと、あるでしょ?」
耳元で囁かれ、私はまたアリスちゃんを見た。
「分かってるんだよ。さっきからソワソワしてるの。映画館で最後までしなかったから、物足りないんでしょ? だから私を誘ったの。分かってるんだから」
耳元で、一言一言、ゆっくり、甘く囁かれ、だんだん頭がボーっとしてきた。
……あれ? そうだっけ? 私……何で二人になりたいって言ったの?
アリスちゃんの言うとおり、物足りないから? そうかも……だって、映画見てるときも、ずっとソワソワしちゃったし。
何かしてくるかもって思ったのに、アリスちゃんは何もしてくれなくて……
そうだよ、そのせいで私、ずっと……
そっか。じゃあ、じゃあ……アリスちゃんの言うとおり、私、アリスちゃんに触ってほしくて……
ガサッ
突然、物音が聞こえた。
それほど大きな音ではないと思うけど、何故か私にはとても大きな音に聞こえた。
まるで黒雲を切り裂く雷鳴みたいに、ぼやけていた思考は一気に晴れた。
「こっち」
晴れた思考に、一番最初に届いたのはアリスちゃんの声。
彼女は私の手を握ると、手を引いて一緒に遊具の中に隠れた。
「ねえ、アリスちゃ……」
「しっ。声をあげないで」
抑えたアリスちゃんの声はまるで吐息みたいで、とてもくすぐったく感じる。
軽く顎を引くみたいにして頷くと、少し余裕ができたのか、真っ暗だった視界が少しだけ明瞭になった。
なって、危うく声をあげそうになる。
私は狭い遊具の中に押し込められ、アリスちゃんはその上に覆いかぶさるようになっていたからだ。
暗闇の中でも宝石のように輝く金色の髪は、まるで繭みたいに私を包み込んでいる。
アリスちゃんのサファイアみたいに青い目は、じっと私を見つめていて、恥ずかしさから顔を背けると、アリスちゃんの髪から何かいい匂いが漂ってくる。
香水……かな? 私の好きな香り……
恥ずかしくなって目を瞑ると、別の感覚が研ぎ澄まされて余計に恥ずかしくなり、結局目を開く。
暗闇の中、アリスちゃんがクスリと笑ったような気がした。
その証拠に、私の耳には押さえたような、少し籠った声が届いてくる。
くぐもった、吐息みたいな声……
あれ……?
違う。これ、アリスちゃんの声じゃない。
だってこの声、遊具の外から聞こえてくるし。それに……
聞こえてくる声は二種類ある。
そっか、誰かが、私たちみたいにやってるんだ。
さっきの音は人が出したもので、だからアリスちゃんは私と一緒に隠れたんだ……
そんなことをぼんやりと考えている間にも、外から聞こえてくる声は次第に大きくなってくる。
……ど、どうしよう。なんか、変な気持ちになって来たかも。
だってこれ、私の格好も悪いよ。
私は今、アリスちゃんに押し倒されているような恰好で、しかもだらしなく足を開いてしまっていて、その間にアリスちゃんが挟まっているような状態だから。
そっ、それにアリスちゃん、いつの間にコート脱いでるの……!
この状態でドレス姿のアリスちゃんを見たら、なんか、変な気持ちに……
「……んっ」
突然全身を駆け巡った電気みたいな刺激に、体が大きく震える。
「あ、アリスちゃん……動いちゃダメ……っ」
「えー? だって狭いんだもん。我慢してもらわなきゃなぁ」
そう言いながらも、アリスちゃんは動くのを止めてくれない。
こ、これ……マジでヤバい。
今私は下着をつけていないから、刺激が、直接……っ!
「アリスちゃん……! ほんとに困るって……」
「私、今動いてないよ」
「え……?」
思ってもみない言葉に、ポカンとしてしまう。
「だから、私もう動いてない。気づいてないの? お姉ちゃん、さっきから自分で動いてたんだよ。私が止めた後も、一人で」
「う、うそ。そんなの噓だよ……」
「信じないの? まあいいけど。代わりに……」
アリスちゃんはクスクス笑うだけ。それ以上食い下がってこなかった。
そっと、私の太ももを撫でてくる。体がビクッと震えて、また敏感なところが擦れて、それでまた体が震えて……
声が出ないように口を噤んで、反射的にアリスちゃんの手を握った。
「サンタさん、クリスマスプレゼントくださいな」
いつもみたいに、どこかからかうような口調。
けれど、何故かお願いを聞いてあげたい気分になった。
それは、多分クリスマスの奇跡……っていうのは大袈裟だけれど。雰囲気が、そう思わせているのかもしれない。
無言で目を瞑って、そっと、唇を重ねる。
重ねているだけなのが絡み合うに変わって、舌も絡め合って、指も、肌も……どんどん広がっていく。
――熱い。
寒いのに、熱い。
恥ずかしい、気持ちいい、嬉しい……
色々な感情が混然一体となって、あっという間に私を飲み込んでしまった――
アリスちゃんに脱がされた下着を拾い忘れていることに気づいたのは、しばらく後のことだった。
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