第52話 或る夜のキセキ 前編

「わああああっ! 見てお姉ちゃん! すっごくきれいっ!」


 アリスちゃんは歓声を上げて駆けていった。



 その先には、眩いばかりの光がある。


 雪だるまの形をした光、クリスマスツリーの形をした光に、サンタクロースの姿をした光……ウィンターイルミネーションだ。


 アリスちゃんの背中を、私は遠い目で見守る。


 いやー、若いもんは元気じゃのう。なんて思っていると、



「どうしたのお姉ちゃん?」


 私のところに帰ってきたアリスちゃんが、不思議そうに小首を傾げている。


「うぅん、別に。アリスちゃん元気だなーと思って」


 すると、アリスちゃんは「そうかな?」とまた首を傾げた。



「私寒いの苦手でさー。動く気無くなっちゃうんだよね……」


「お姉ちゃん、昔から寒がりだもんね」


 あはは、と笑うアリスちゃんはやっぱり元気だ。寒いのを我慢している、って感じじゃない。


 暑いのはあんなにダメだったのに、寒いのは平気なのか。でも……



「さむ……っ」


 私は寒いのが苦手だ。いや、苦手っていうか嫌いだ。大嫌いだ。


 はあ、と息を吐くと、それは白い煙となって空をふわふわ漂い、あっという間に消える。



 周りを見回せば、ミニスカサンタの格好をした女性が呼び込みをやっているのが見える。


 この寒い中大変だなあ。仕事とはいえ、よくあんな恰好ができるよ、ほんと。


 普段なら、冬はあんまり外には出ないんだけど……



「じゃあ、そろそろ行こっか。イルミネーションは、また後で見よう?」


 言ったアリスちゃんは、私の手をとって歩き出す。



 そう、普段は出ないけど、今日は特別だ。


 だって、今日はクリスマスなんだから。




「お姉ちゃん、クリスマスに予定ってある?」


 一週間前、夕食の途中、アリスちゃんにそう訊かれた。


 訊かれて、私は、


「クリスマス? うーーん……」


 と、記憶を探るような素振りをした。



「あれ、あるの? 予定……」


 すると、予想外の反応が。アリスちゃんは不安そうな顔になってしまったのだ。


 私は素直に白状しようとしたけど、


「どうせあんた予定ないでしょ」


 その前にお母さんにすぐネタバレをされた。



「そうなの?」


「……はい、そうです。予定はありません」


 アリスちゃんに無垢な目で見られ、私はガックリとうなだれて自供する。すると、ため息をついたのはお母さんだ。


「まったく、下らない嘘をつく子ねぇ」


「うるさいな」



 だってクリスマスの予定だもの。


 あるって訊かれて、すぐにないって答えるのは、なんというか……見栄が許さない。私にもプライドがあるし。



「じゃあ、私と一緒にお出かけしようよっ!」


 隣に座っていたアリスちゃんは、私の手をぎゅっと握ってくる。


「あのね、お父さんからクリスマスプレゼントにって、映画のチケット貰ったの。だから一緒に行こ? ……だめ?」


 うぅ。そのお願いの仕方、いつもながらズルい。……ていうか、この子分かってやってるよね。私がそれに弱いって。でも……



「いいの? 海外ってさ、クリスマスは家族で過ごすのが普通なんでしょ? 日本じゃ恋人同士がアレだけど」


「うん。お母さんたちには、お姉ちゃんと過ごすって言ってあるから」


「そ、そう……」


 早手回しだな。でもそういうことなら。



「いいよ。行こっか」


 アリスちゃんのお願いは聞いてあげたいし。それに……どうせ予定もないし……


「やったぁっ!」


 急に抱き着かれて、危うくイスから落ちそうになりつつ、アリスちゃんの体を抱きとめる。


 なんだか、妙に喜んでくれてるなあ。まさか、なにか企んでいるんじゃ……



 とはいえ「何企んでるの?」なんて訊けるはずもない。


 一抹の不安を感じつつ、私は宝石のようにキラキラ輝く、アリスちゃんの金色の髪を撫でた。




「おお……」


 無意識のうちに私の口から出たのは、感嘆の入り混じった、ため息のような声だった。



 アリスちゃんに連れられ向かった場所は映画館だった。正確には、映画館内にある個室だ。


 床には重厚な絨毯。壁には絵画がかけられていて、正面の壁を切り取ったところには大きな窓がはめ込まれている。その前には、二人掛けのソファーが置かれていた。



「なんか、すごいね。チケットって言うから、普通のかと思ってたのに……」


 カップルシートってやつだろうか、私が想像していたのとは全然違う。


「でもね、最初はイギリスに帰ってこいって言われたんだ。よければお姉ちゃんも一緒にって」


 と、ここで初めて聞く話が。


「結局、それは大変だろうからって、ここのチケットを取ってくれたの」



 そうだったんだ。


 イギリスには興味あるから、ちょっと残念なようなそうでもないような……



「はい、お姉ちゃん。これあげる」


 一人でウームと唸っていると、アリスちゃんに紙袋を手渡された。


「なに? これ」


「クリスマスプレゼントだよ。受け取ってくれる?」


「え、私にっ?」



 ちょっとビックリ。


 いや、正直くれるかもなあと思って、私も準備しておいたけど。


 ありがとうと言って受け取ると、アリスちゃんはじっと私を見ている。どうしたんだろうと思っていると、「今開けてみて」と言われた。



 ……なんだろう、イヤな予感。


 アリスちゃん、なんか企んでる……?


 いやいや、まさかね。だってプレゼントなんだし、おかしなことがあるわけ……



 あった。


 紙袋の中、キレイに包装された箱に入っていたのは、服だった。


 赤いワンピースと、肘くらいまでの長さのある、赤い手袋。これって……



「ミニスカサンタの衣装だよ」


 私の心の内をなぞるように、アリスちゃんが笑顔で言った。


「お姉ちゃんに着てほしくて買ったんだ」


「そ、そうなんだ……」



 予想外過ぎるプレゼントだけど、それでも私の為に買ってくれたわけだし。


 だから、うん……ここは喜ばなきゃ……


 と、自分の顔が引きつるのが分かる。



「あの、アリスちゃん……これは?」


 折りたたまれたワンピースの中に隠すように入っていたのは、下着だった。


 白い下着だ。両のサイドを紐で縛ってある下着。縛ってあるように見えて縫ってあるってやつじゃなく、本当に縛ってあるやつ。



「下着だよ。かわいいなーって思ったから、お姉ちゃんにつけてほしくて買ったんだ……」


 恥ずかしそうにモジモジしているアリスちゃん。


 ……いやいや! 反応おかしいでしょ!



「きっと似合うと思うの」


「あのさ、アリスちゃん」


「つけてくれるでしょ?」


「いや、それはちょっと……」


「サンタさんの衣装着て、その下にこの下着つけてね」


「だからさ、その……」


「ねえ、いいでしょ? 私へのクリスマスプレゼントだと思って……だめ?」


 うぅ、またその顔……ほんとズルいよなあ。


 仕方ない。今日はクリスマスだし、このくらいはね。それに……


 前に貰ったTバッグよりはマシだもんね。



「じゃあ、私が脱がせてあげる!」


「けっこーーですっ!!」


 こういうのはマジで困るけれども。




 結局押し切られる形で、私はアリスちゃんの要望に応えることにした。


 最初は「私の前で着替えてくれる?」なんて言われたけれど、それは流石に無理! だって下着も変えるってことは裸にならなきゃなんだし! まあ、もう裸は見られてるわけだけども。


 でもね、アリスちゃんの前で裸になるっていうのはね、ちょっとね、アレだからね……



 個室の中にある化粧室で着替えているんだけど、


 お、落ち着かない……


 アリスちゃんが着替えを覗きに来るんじゃって思うと、ソワソワする。ドアを気にしつつ着替えを進めて……



 鏡のまえで下着を広げて固まる。


 うぅ、これほんとにつけなきゃダメかなあ。


 恥ずかしいけど……いつまでも半裸じゃいられない。早く着替えなきゃね。




「お姉ちゃんすっごくかわいい!」


 着替えを済ませて戻ってきた私を見たアリスちゃんの第一声だ。


「そうかな……?」


「そうだよ! とってもかわいいよっ!」


 言いながら、今度は詰め寄ってきたので、反対に私は身を引いてしまう。


 それに……



「アリスちゃん、すごくキレイだよ」


 自分でも驚くくらい自然に、言葉が出てきた。



 今アリスちゃんは黒のドレスを着ていた。


 肩が大きく露出した、スラリとした、ロング丈のドレスだ。


 宝石みたいに輝く金髪に漆黒のドレスという装いは、まるで小説の中から飛び出してきたかのような非現実感がある。


 でも彼女は実在していて、こんなにキレイな子が私と一緒にいて、しかも褒めてくれるなんて。



「ありがとう! お姉ちゃんに褒めてもらいたくて、頑張って選んだんだぁ」


 だから部屋を出てきたときからコート着てたのか。


「お姉ちゃんもキレイだよ! それにほんとにかわいい!」


「ど、どうも……」



 褒めてくれるのはうれしいけど……やっぱ恥ずかしい。


 こういうカッコをするのが、初めてだからっていうのもあるけれど。


 肩から胸元まで完全に露出しちゃってるし、スカートは思ってたより短いし……


 必死に裾を引っ張ると、今度は胸が見えちゃいそうになるし。


 結局、左手でスカートを引っ張って、右手で胸元を押さえて、みたいなカッコになって……



「えいっ」


「きゃああああっ!?」


 突然のことに、自分でもビックリするような悲鳴が上がった。


 アリスちゃんが、突然私のスカートをめくってきたから。



「いっ、いきなり何するの!」


「私がプレゼントした下着、ちゃんとつけてくれてるかなーって思って」


「だからっていきなりめくらないでよ……」


「ごめんなさぁい」


 なんて謝っているくせに、アリスちゃんは私のスカートをめくりあげたまま離してくれない。


 必死に裾を押さえようとするけど、アリスちゃんは力が強くて全然意味がない。それどころか、何だか変な気持ちになってくる。


 しゃがみ込んで、じっと私の下着を見て……



「もういいでしょ……? ちゃんとつけてるよ。アリスちゃんがくれたやつ……」


 アリスちゃんは何も言ってくれない。聞こえなかったのかな? 羞恥から声が小さくなってるのかも……



 クンクンっ



「ちょ……っ!?」


 思っていた以上にアレなことをされ、顔が引きつるのが分かった。


 離れようとするけど、私の意志に反して体は動いてくれない。


 な、なにこれ……体ピリピリする……っ! まるで、軽い静電気が体に流れているみたい……



「あ、アリスちゃんっ。やめて……っ」


「だーめ、ジッとして」


 懇願しても、アリスちゃんは私を見上げて意地悪な笑みを浮かべているだけ。結局やめてはくれない。


 体に流れる電流は次第に大きくなっていって、一度ビクッと震えてしまった。



 それがいけなかったのか、体からどんどん力が抜けていく。


 相変わらず体はピリピリしたままで、ついには膝までガクガクしてきて……


 ピリピリが強くなって、思わず目を瞑る。すると、一層刺激が強くなった気がした。


 これ、やば……頭真っ白になってきて……倒れっ



 唐突に刺激が止まった。


「アリスちゃん……?」


 目を開けると、いつの間にか、アリスちゃんは私から離れていた。


 どうしたんだろう、と思っていると、



「そろそろ映画始まるみたいだよ。一緒に見よう?」


 アリスちゃんは何事もなかったみたいに、ソファーに座って私に手招きしている。


 さっきまで、私にあんなことしてたくせに。



 何だか変な気持ちになっちゃってるけど、私から言えるはずもなく、大人しくアリスちゃんの隣に座るしかなかった。




 映画は二本立てで、どちらも古典映画だった。


 一つは、偏屈で意地悪な老人がクリスマスの奇跡で無垢な少年時代を思い出し善人になる、という作品。


 二つ目は、自殺を決意した男性が『もし自分が生まれていなかったら』という架空の世界を見せられる、という作品だ。



 正直、上映中にイタズラされるんじゃないかって思ってた。


 今までも、テレビを見ているときにキスしてきたり、触ってきたりなんてことは何度もあったし。でも……



 こういう時に限って、アリスちゃんは何もしてくれない。


 私はもやもやした気持ちのまま、映画を見る羽目になったのだった……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る