第51話 出たっ!

 読んでいた本を閉じ、壁時計を見ると、針は十二時過ぎを指していた。


 いつの間にか結構な時間になってるなー、と思った途端、自然とアクビが出てしまう。


 長編小説を一気に読んだからかちょっと疲れた。どうしよう? 十二月ももう半ば。大学も冬休みに入っているし、夜更かしすることは問題ないけど……



 最近寒くなってきたからなー。よく暖房をつけるから、光熱費が上がったってお母様がぼやいておられるし。


 もう寝ようか、でも普段はもうちょっと夜更かししてるからか、早く寝るのはなんか損する感じ。


 寝るかなーどうしよっかなー、なんて考えつつ、スマホをいじっていると、



 ダダダダダダダダダダダ!



 深夜に似つかわしくない高らかな足音が聞こえてくる。それは私の部屋の前で止まったかと思うと、バン! と勢いよくドアが開けられた。



「えっ!? な、なに!? 何事っ!?」


 ビックリしてドアを見る。そこにはアリスちゃんの姿があって、ちょっと安心できて息を吐く。けど……


「アリスちゃん……?」


 なんか、様子がおかしいような?


「おっ、おっ、おね、おねおねおねおね……」


 なんか、明らかに様子がおかしい。



「あ、アリスちゃん? どうしたの? 何かあったのっ?」


 慌てて駆け寄ろうとするよりも早く、アリスちゃんのほうが私に駆け寄ってきて、胸に飛び込んできた。


 ビックリしておかしな声が出てしまった。それに、ふわりと柑橘系の甘い香りが漂ってきてドキドキしてしまう。


 心臓の音をアリスちゃんに聞かれてるんじゃと思うとさらにドキドキするけど、アリスちゃんが小さく体を震わせていることに気づくと、心配する気持ちが大きくなっていく。



「ほっ、本当にどうしちゃったの? 何があったのかちゃんと話してみて。ね?」


 するとアリスちゃんは、体を震わせたまま何かを言った。けれど、それは小さすぎて聞こえない。もう一度訊くと、今度はようやく聞こえるくらいの声で、


「で……出たの……っ!」


 という返答があった……。




 アリスちゃんは、今日は十一時前には就寝したらしい。


 そしてふと目が覚めたら……



「枕元にね、いたの……」


 アリスちゃんは震える声で言った。


「く、黒光りする、あの、あのあのっ、ののののっののののの……っ!?」


「落ち着いてアリスちゃんっ。ね?」


「だってぇ……!」


 涙声のアリスちゃん。



「もう十二月なのにぃ……何でいるのぉ……っ」


 確かに。十二月に出るのは珍しいかも。


「私、これからお姉ちゃんの部屋で暮らす。不束者ですがよろしくお願いします……ぐすっ」


 私の胸に顔を埋めたまま頭を下げるような仕草をしたので、さらに密着する形になり、またドキドキしてしまう。



「もう、またそんなこと言って……」


「だってだって! アレがいるところになんて帰れないよ……」


 それも確かに。私がアリスちゃんの立場でもそう思うだろう。


「あ、でも、私の部屋からお姉ちゃんの部屋まで来ちゃうかも……ここにいたら安心できない! 私と駆け落ちしてお姉ちゃんっ!」


 なんてアリスちゃんの言葉は、私には前半部分しか聞こえていなかった……




「ど、どう? いる?」


「うーん……」


 私はアリスちゃんの部屋まで来ていた。


 目的は、その……Gの退治である。右手には殺虫剤、左手には丸めた雑誌という装備だ。


 私の部屋に来るかもと考えたら気が気じゃないし、さっさと退治しなきゃ!



 部屋をぐるりと見まわす。


 アリスちゃんはと言えば、私の背中にしがみついたままだ。どうやら、自分で部屋を見る勇気がないらしい。



「いない……あ、いた」


「うへぇあっ!?」


 思っていたよりあっさり発見したら、アリスちゃんは頓狂な声を上げて私に体を押し付けてくる。


「っ!?」


 薄い寝間着越しに柔らかな感触と体温を感じたせいで声を上げてしまいそうになったけど、



 カサカサカサカサカサカサカサカサ



「うわああああああああああああああああっ!?」


「いやああああああっ!? なになにどーしたのぉ!?」


 別の意味で声を上げてしまうと、つられてアリスちゃんの悲鳴も聞こえてきた。



「び、ビックリした、急に動くから……」


「えぇっ!? ど、どこに行ったの……?」


「アリスちゃんのベッドの下」


 ひゅう……っ、と空気が抜けるみたいな声が聞こえた。すぐには分からなかったけれど、それはアリスちゃんの悲鳴だ。



「だ、大丈夫だよ! 私が退治するから。ねっ?」


 私もGは苦手だけど(そもそも得意な人はいないだろうけれど)、アリスちゃんのためだ。そうも言っていられない。



 ベッドに向かって歩くけど……


 足取りが重い。ゆっくりとしか歩けない。うぅ、急にベッドの下から出てきたらと思うと……



「きゃあああああっ!! おっ、おねおねおねおねっ!」


 背中に当たる感触がまた強くなる。心臓が一層高鳴るのを感じて、頬も赤くなっていくのを感じるけど、



 カサカサカサカサカサカサ



 壁を動き回る〝それ〟を見て、私は自分の顔が青ざめていくのを感じた。



「ひぃいいいいいいいいいいいっっ!?」


「きゃーー! きゃーーーー! きゃーーーーーーっ!!」


 まずい。何かアリスちゃんが半狂乱になっている。


 ビビってる場合じゃない、さっさと退治しなきゃ! そう思った時だった。



「二人とも何を騒いでるの? ご近所に迷惑でしょ?」


 眠そうな顔をしたお母さんが登場した。



「おっ、おばばばばばば!?」


「お母さん、あれ!」


 未だ半狂乱のアリスちゃんに代わって私がGを指さすと、お母さんの視線も奴を指した。


 すると、殺気でも感じたのだろうか、奴は……



「うひぃいいいいいいいいいいいいい!? トンデル跳んでる飛んでるぅうううううううっ!?」


 アリスちゃんの白く細い指が示す先、黒光りするGが飛翔している。……お母さんにむかって。


「危ない!」


「逃げてくださいいいいいいいいいいいいい!!」



 動揺して抱き合っていた私たちが見守る中、お母さんは、


 バシンッ!


 履いていたスリッパを脱ぐや否や、思い切り叩き落とした。



「「おおーーっ」」



 我が母ながらすごい動体視力だ。感心して、私たちはパチパチと拍手する。


 どうやら、無事に解決したみたいだ。



「よっと」


「ああーっ! 私のマグカップがぁ……っ」


「ごめんねー。新しいの買っておくから」


 お母さんがミニテーブルに置かれていたアリスちゃんのマグカップで奴を閉じ込めたこと以外は。




 自室に戻ってきた私は、はあ、と小さくも深いため息をついた。


 何だかどっと疲れてしまった。寝ようかどうか迷っていたはずなのに、とんでもないごたごたに巻き込まれてしまった気がする。



「どうしたのお姉ちゃん?」


 聞こえてきた声に、ちょっと体が震えてしまった。


 部屋に戻った私は、疲れからかすぐにベッドに横になったんだけど……



 視線を動かすと、すぐ傍にアリスちゃんの顔がある。


 アレが出たところで眠りたくないと言って、私の部屋までトコトコついて来たからだ。


 それは別にいいんだけど……



 やっぱり、シングルベッドに二人は狭い。


 ただ横になっているだけなのに、お互いの頬が触れ合いそうだし。ていうか、吐息はちょっとかかってるし、寝間着越しとはいえ肌もすこし触れ合ってて、



「ん……っ」



 アリスちゃんが少し動くたび、柑橘系の甘い匂いが漂ってくる。


 うぅ、落ち着かない……ドキドキして眠れない。眠いのに、どんどん目が冴えていってる……



「お姉ちゃん」


「な、なにっ?」


 吐息がかかって、くすぐったさから体が震える。



「さっきはごめんね? 何だかみっともないところ見せちゃって……」


 すっかり落ち着いたらしい。さっきまでのキャラブレ半狂乱ぶりはどこへやら、アリスちゃんは申し訳なさそうに、それでいてどこか恥ずかしそうに言った。


「ほんと、さっきはビックリしたよ。あんなアリスちゃん初めて見たもん」


「うぅっ、お恥ずかしい……」


 ちょっとからかうつもりで言ってみたら、アリスちゃんは頬どころか耳まで真っ赤に染めていた。



「私、ああいうの本当に無理で。見た瞬間にもう、もう……あぁぅ……」


 両手で体を抱くみたいにして震えるアリスちゃんを見て、私は思わず笑ってしまった。


「ま、見たらビックリしちゃうよね。それも起きたら枕元にだなんて」


「ほんとだよ、もうっ」


 アリスちゃんは体を震わせて、イヤなものでも見たみたいに顔を顰めていた。


 そんなアリスちゃんを見て、私は、



 ぎゅっ



 そっと、アリスちゃんを抱きしめた。



「お姉ちゃん?」


 アリスちゃんは私がそうするとは思っていなかったんだろう。不思議そうにしている。


「こうしてれば、大丈夫……?」


 ぎゅっと、抱きしめる力を強めてみた。すると、今度はアリスちゃんも私を抱きしめ返してくれた。


 二つのやわらかい感触が、私のものへと押し付けられる。また、私の鼻梁を柑橘系の甘い香りがくすぐる。


 ……またドキドキしてきた。けど、これもアリスちゃんのためだ。



「ありがとう、お姉ちゃん」


「どういたしま……しぇっ!?」


 突然のことに、おかしな声を上げてしまう。



 私の背中に回っていたアリスちゃんの手が、急に私のおしりを掴んだから。



「ちょっ、アリスちゃん……!?」


 一気に体が強張って、さっきまで感じていた甘い匂いとやわらかな感触が薄らいでいく……うぅん、違う。


 上書きされてるんだ。くすぐったさと、羞恥に……



「お姉ちゃぁん……」



 耳元で、甘えた声で囁かれる。


 それがおしりを触られていることよりも恥ずかしいことのように思えて、私は顔どころか首まで赤くなっていることを感じた。



「私ね、とっても怖い思いをしたの。だから、慰めてほしいなぁ……」


「な、慰めるって……」


 どうやって? なんて訊いてしまったのは、私のミスだった。



「お姉ちゃんの好きなようにして欲しいな。例えば……」


 そこで一度言葉を区切って、


「こうしたりっ」


「ひゃっ!?」



 アリスちゃんは指先で、そっと、私の太ももをなぞってくる。


 指が動くたびに私の体は電流を流されたみたいにビクビク震えた。声を出さないように気を張って、アリスちゃんの寝間着を掴んで……



「んぁ……っ!?」


 太ももをなぞり続けていた指が、唐突にショートパンツの中に入ってきた。


 今度は下着の上からおしりを撫でられ、私のアリスちゃんの寝間着を掴む力が次第に強くなっていく。



「いいよ。辛かったら、私につかまってね」


 また耳元で囁かれて、羞恥かくすぐったさか、それとも別の感情か……私は体がどんどん熱くなっていくのを感じた。


「あ、アリスちゃん……やめっ……その触り方、や……っ」


「こうやって触ると、気持ちいいでしょ? ほらっ」


 アリスちゃんは私の言葉が聞こえているのかいないのか、いたずらっぽくクスッと笑う。


 優しく撫でまわしたり、焦らすみたいに指先でつついたり……



「ね? お姉ちゃんにも、おんなじように触ってほしいなあ」


「そ、そんなこと言われて……」


 自分が触られているだけでも恥ずかしいのに、同じように触るなんて、そんなの……



「お願いお姉ちゃん。……だめ?」


 間近で、潤んだ目で見つめられる。……うぅ、これやっぱりズルいよ。そんなふうに頼まれると……



「……んっ」



 その声は、最初は私のものだと思っていた。でも、違う。これは……



「……んん……ぁっ」


 アリスちゃんの、声……


 なんだろう? なんか、変な感じ。


 いつもと違う、吐息みたいな、それに艶めかしい……



 もっと、もっと聞きたい。


 そんな考えが頭に浮かんだ。途端、私の手は無意識のうちにアリスちゃんの体に触れていた。


 触れたり、指先でなぞったり……


 その度、アリスちゃんは身をよじって、体を小さく震わせる。



「おね、ちゃ……っ」


 また、吐息みたいな声が。


 上気した頬で、潤んだ青い瞳で私を見つめる女の子。


 桜色の唇からは小さく息が漏れていて、自然とくぎ付けになった。



「おねぇちゃん……」


 甘えたような甘い声に体を震わせてしまったのは、くすぐったさからか、それとも……


 求められていることを察してか……



「……んっ……んぁ、ちゅ……っ」



 一体どちらからなのか、いつの間にか、私たちは唇を重ねていた。


 お互いの背に手を回して、体を擦り合わせるみたいにして密着させる。まるで、唇だけじゃ物足りないみたいに。



「おねえちゃん、だぁい好き」


「……うん。私も、大好き」


 顔を見合わせて、ちょっと照れたように笑う。



 さっきは寒くなってきたって思ったけど……


 なんだか、今は温かい。

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