第49話 痛くないもんっ!

 痛い……


 最初は無視していたけれど、今はもう無視できないくらいに大きくなっている。


 どことは言わないけれども、痛い。ズキズキと……こう、頭に響く感じの痛みだ。



「大丈夫? 小岩井さん」


 昼休み。お昼ご飯を食べている途中。


 痛みのせいでボーっとしてしまったみたい。星野さんが心配そうな顔をしてくれている。


「うん。大丈夫らよ」


 答えはしたけれど、ちょっと舌足らずな感じになってしまった。



 でも、それも仕方ない。


 歯が……歯が痛い……!


 もうほんっっとに痛いっ! ほんの少しの衝撃でも痛い! 喋るだけでも痛むんですけど!



 左側が傷むので、なるべく右側で食べる。


 うぅ、それでも痛い……いや待って、痛くない。


 痛いと思うから痛くなっちゃうんだ。だから痛くないと思うことにしよう。



 痛くない、痛くない、痛く……


 いや、普通に痛いです、うん。



 どうしよう……歯医者、行かなきゃダメかなあ……




「いや、行かないっ!」


 帰宅した私は、玄関で堂々宣言。決意を新たにする!


 だって、そう……忙しいし。色々と。ご飯とか作らなきゃだし……って、あれ?



 なんかいい匂いする? 何の匂いだろう?


 クンクン匂いを嗅ぎながらリビングへ行くと、そこにはお姉ちゃんの姿があった。正確にはキッチンに。


「あ、お帰り、アリスちゃん」


「ただいま……何してるの?」


 ご飯作ってるんだー、とお姉ちゃん。



『ルエ・パウゼ』のオーナーさんから、差し入れで栗を貰ったらしい。それで炊き込みご飯を作るから、ついでに今日のお夕食はお姉ちゃんが作ってくれるんだとか。


 お姉ちゃんが……お姉ちゃんがご飯を作ってくれるなんて! 嬉しい! 生きててよかった! でも……



 歯が……歯が痛い……!


 うぅ、あんまり食べられないかも……



「アリスちゃん。いつものお礼に一生懸命作るから、たくさん食べてね?」


「もちろんっ!」




 とは言ったものの……


「ど、どうかな……?」


「うん。おいしいよ」


 嘘じゃない。お姉ちゃんが作ってくれたんだもん! おいしくないわけがない!


 ただ……痛い……歯が痛いよぅ……



 でもおいしいなあ。お姉ちゃんが作ってくれた栗ご飯。……お姉ちゃんの栗ご飯…………いや、これやめよう。


 えっと、秋鮭……そう、秋鮭のバター焼きもおいしい。添え物にレモンがあるからさっぱりしてるし。


 おばさんも「あんたちゃんと料理できたのねー」なんて言いながら食べてる。


 でも、歯……歯がぁ……



「アリスちゃん?」


 気を取られ過ぎたのかも。いつの間にか、お姉ちゃんが私の顔を覗き込んでいる。


 その顔は、心配そう……というより、不安そうだった。


「ひょっとして、あんまりおいしくない?」


「うぅん! すっごくおいしいよ!」



 慌てて否定する。


 すると、お姉ちゃんは「そっか」と言った。よかった、信じてくれたみたい。


 でも……ああ、ズキズキする。


 お姉ちゃんには悪いけど、あんまり食べられないかも……



「アリスちゃん。はい、あーん」


「いただきますっ!」


 ああ、もう……ああ、ああ、もうっ!


 何でこういう時に限って! タイミング悪すぎだよ……




 夜。お風呂からもあがって、あとは寝るだけというような時間。不意にドアがノックされた。


「アリスちゃん。今ちょっとだけいいかな?」


 外から、お姉ちゃんの控えめな声が聞こえてくる。大丈夫だよと言うと、ドアが開いてお姉ちゃんが入ってきた。



「どうかしたの? お姉ちゃん」


「アリスちゃんとお話ししようと思って……いい?」


「もちろんいいよ。クッションどうぞ」


 カエルのクッションを渡すと、お姉ちゃんは私の近くに座る。


 同時に、ふわりと甘い香りが漂ってきた。



 お風呂上りなのかなあ。髪がちょっと湿っぽくて、それに、パーカーとキャミソール、ルームウェアのショートパンツ……


 目の保養、兼、目の毒というか……なんて隙だらけの格好なんだろう。うーん、襲いたい。



「あのさ、アリスちゃん。何かあった?」


「え!? べっ、別に!? 襲いたいなんて思ってないよ!?」


「おそ……え!? な、なに!? なんの話!?」


 お姉ちゃんは身をよじって、両手で胸を隠すような仕草をする。


 そういうの、余計に……いや、違う。こういう考えがよろしくない。



「にゃ、何でもにゃいよ。だいじょーぶだからっ」


 急に大声を出したからか、ズッキン! ときた。平静を装いつつ何とか言うけれど、


「ほんとに? なんか様子変だよ。ご飯食べてるときもそうだったけど……」


 大丈夫大丈夫、と繰り返す。


 だって、歯が痛いなんて言えないしね。もし言ったら歯医者さんに行くことになっちゃうし!



「アリスちゃんっ」


「なあに、お姉ちゃ……んっ」


 言い終わるより前に、またふわりと、甘い香りが漂ってきた。甘くて温かい、私が大好きなにおい……


 うぅん、匂いだけじゃない、味も……



 私が応えたら、お姉ちゃんはそれよりも強く応えてくれる。だから私の思いも、どんどん強くなっていく……


 文化祭以来、お姉ちゃんからしてくれることが多くなった。ふふっ、なんだか嬉しいなあ。唇と唇が絡み合って、唾液が混ざり合って、気持ちも一つになっていくような……



 つん



「っっっっ!!??」


 突然の痛み。まったくの不意打ちというか、身構えていなかったので、私は床を転がりまわってしまった。


「あ、アリスちゃんっ!?」


 お姉ちゃんがビックリしているのが分かる。無理もないよね、私自身もビックリしちゃったし。



「だ、大丈夫!? どうしたの!?」


「らっ、らいじょーぶらいじょーぶ。なんれもないよっ」


「とてもそうは見えないけど!?」


 うぅ、心配してくれてる。やさしいなあ、お姉ちゃんは。でも、なんとか誤魔化さないと!



「ホントに大丈夫? ていうか、もしかして……」


「な、なに!? 歯なんてちっとも痛くないよっ!」


 …………


 ……………………



「……あ」


 恐る恐るお姉ちゃんを見ると、察したような顔をしていた。


「アリスちゃん……」


「ちっ、違うよ! お姉ちゃんが考えてるようなのじゃないから!」



 …………



 ……………………



 つん



「くぁwせdrftgyふじこlpっ!?」


 ほっぺを突かれ、再び床を転がってしまう。


 うぅ、痛いぃ……いや、違う。痛くない。



「もう、やっぱり痛いんでしょ」


「痛くないもん……」


「全然説得力ないよ」


 お姉ちゃんはちょっぴり呆れ顔だった。仕方ないよね、私は頬を押さえたままなわけだし……



「ねえ、アリスちゃん。ちゃんと歯医者に……」


「行かないよだって痛くないもんっ」


 私は普通に言ったつもりだったけど、ちょっと変な感じになっちゃったかも。お姉ちゃんはジトっとした目で私を見てくる。



「ダメだよ! 虫歯はほったらかしにしたら危ないんだから!」


「虫歯じゃないの! そういうんじゃなくて、ただちょっと歯が傷むだけだから!」


「虫歯じゃん!」


 お姉ちゃんは「はあ」とため息をついた。



「どうしてそんなに否定するのさ。ひょっとして……歯医者が怖いとか?」


 からかうみたいに言うお姉ちゃん。その顔は、いたずらっぽい笑顔になっていた。


「怖いわけないじゃん! ただその……歯の治療って、ドリルを口に突っ込むわけでしょ? もし治療の最中に私がクシャミしたらどーするのさっ!?」


「大丈夫だよ。現代医学を信用して」


 うぅ、お姉ちゃんが冷たい。こうなったら……



「お姉ちゃん。私、どうしても歯医者さんに行きたくないの。……だめ?」


 目を潤ませてお姉ちゃんを見る。


 お姉ちゃんもじっと私を見つめ返してくれて、そして……


「だめ。明日予約の電話して。アリスちゃんがしないなら私がするから」


「お姉ちゃんが代わりに行ってくれるの?」


「それじゃ意味ないじゃん! アリスちゃんの予約!」



 ダメもとだけどダメだった。


 やっぱり行かなきゃダメかあ。行きたくないなあ……



「じゃあ、さ。こう考えてよ」


 と、さっきまでの様子から一転、お姉ちゃんは口ごもりつつ口を開く。


「私の為に歯医者に行くの。それなら……どうかな?」


「お姉ちゃんの……?」


 すると、お姉ちゃんはコクリと頷く。



「このままじゃ、その……できないでしょ? だから、私とキスするために、歯医者に行くの。うぅん、行って欲しい。……ダメ、かな?」


 顔を真っ赤にして、モジモジしつつ言うお姉ちゃん。そんな姿に、私は……私は……



「お姉ちゃーーーーんっ!」



 思い切り抱き着いた。



「行く! 行くよ! 私、お姉ちゃんの為ならどこへだって行くからっ!」


「う、うん。じゃあ、そうして……」


 お互いに見つめ合って、そして……


 また私は、甘くて温かい味に包まれていって……



 つん



「くぁwせdrftgyふじこlpっ!?」



 一瞬で鈍い痛みに上書きされた。




 ……うん。やっぱり、歯医者さんにはちゃんといかなきゃね。

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