第46話 勘違いスパイラル

「だって私、Mだし」


 聞こえてきた声に、私は固まってしまった。



『ルエ・パウゼ』でのアルバイト中、休憩時間になったので休憩室へ行くと、中からお姉ちゃんの声が聞こえてきた。


 でも、その内容があまりに予想外過ぎて、私はドアノブに手をかけた状態で固まってしまう。



 ……そうなの? お姉ちゃんてそうだったのっ!?


 ビックリ……でも、そっか。そうだよね。だからお姉ちゃん、無理やりする時のほうが気持ちよさそうなんだ。



「へー。みゃーのってやっぱそうなんだ。私との時もそうだもんね」


「まあね。井上はSでしょ?」


「おおー、よく覚えてんね、みゃーの。でも私もMになることあるんだぜ」


「そうなの? こういうのって変わらなくない?」


「そんなの場合によるって! 私はどっちもいけるね!」



 えぇええええええええええええええええええっ!?


 なんて会話してるのこの二人! もっと場所を考えるべきなんじゃないかな!


 大体、どうして二人は、お互いのそんなことまで知ってるんだろう?


 もしかして、この二人ってそういう関係だったの!? ひどいよお姉ちゃん! 私というものがありながら!




「あれ、アリスちゃん」


「わっ!?」


 いきなり名前を飛ばれたので、思わずドアから離れてしまう。


 一人で悶々としている間に、お姉ちゃんたちの休憩時間は終わったらしい。お姉ちゃんと井上さんが、不思議そうに私を見ていた。



「どうしたの? 休憩室入らないの?」


「う、うぅん! 今から入るよ! ちょっとボーっとしちゃって……」


 手を振って誤魔化す。


 話しを聞いていたなんて言えないもんね。


 私は二人から隠れるように、休憩室に入った。



 入って、ちょっと笑ってしまう。


 そっか。お姉ちゃんて、そうなんだ。よしっ、そういうことなら……




「お姉ちゃん! 私、Sなんだよっ!」


『ルエ・パウゼ』からの帰りのこと。


 二人で出かけるときは手を繋ぐのもすっかり自然になって、そんな変化がなんだか嬉しいなーなんて考えている時のこと。


 すっかり暗くなった道で、突然アリスちゃんから謎の告白をされた。



「そ、そうなんだ……?」


 どう答えていいか分からなくて、曖昧な言葉しか言えない。けど、


「そうなのっ!」


 アリスちゃんは堂々としてる。



 い、一体どうしたんだろう? 何かアリスちゃんが変だ。


 ……いや、変なのは割と元からなところもあるかもだけど。今はそういうんじゃなくて……なんか、変。



 あ、もしかして……


 ちょっと考えて、思い至ることがあった。


 さっきの私と井上の話を聞いていたのかな? それなら、納得がいく……かも。



「やっぱり私たち、相性がいいんだね」


 アリスちゃんのトーンが、急に変わった。と、思った瞬間、


「きゃっ!?」


 急に石壁に押し付けられた。




「どっ、どうしたの、アリスちゃん……?」


 突然のことに体が強張る。ていうか、ていうか……なんかイヤな予感。


「お姉ちゃんて、M、なんでしょ?」


「う、うん……」



 確かに、井上とそんな話をした。


 飲み物のサイズの話だ。井上はSサイズが好きで、私はMサイズが好き。


 だからアリスちゃんもそういう話をしてるんだと思うんだけど……



 こ、これ、なんかおかしくないっ? そういうアレじゃないっぽくない!?


「そうだよね。私には全部分かってたよ」


 なんて言いながら、アリスちゃんは私の太ももに指を這わせてきた。いつもみたいに、焦らすような手つきで。



「ま、待ってアリスちゃん! なにか勘違いしてるでしょっ? ちょっと話聞いて? ねっ?」


「うん、分かってるよ。そうやって嫌がるふりをしてるんだよね。大丈夫だよ。全部分かってるから」


「いやいや、だから待ってってば!」


 絶対何も分かってないよこの子! 絶対何か変なこと考えてるよこの子!


 なんとか腕を振り払おうとしたけど、



「お姉ちゃんは、かわいいなあ……」



 耳元で囁かれた声に、頭が一気に真っ白になる。



 うぅ……そういうこと言うの、何かズルい。普通に照れる。



「えいっ」


「きゃっ!?」


 照れてる場合じゃなかった。


 急にデニムスカートをめくりあげられて、驚いている隙に、防寒も兼ねた黒の見せパンまで脱がされた。



「やっ、やだ……やめて……」


「ほら、その顔」


 アリスちゃんは小さく笑って、私を見下ろしてくる。キレイな、宝石みたいに輝く青い瞳で。


 私は吸い込まれそうな気持になって、めくられたスカートを直すことも忘れて固まってしまう。



「イヤなのにイヤじゃないって顔、見てるだけでドキドキするもん」


 なにそれ、私どんな顔してるの。



 ていうか、それじゃまるで私が望んでるみたいじゃん。


 外で好き勝手に、こんな恥ずかしいことされてるのに。アリスちゃんにそういうことをされることを。


 ……いや、そうなのかも。だってこうしてる今も、別にイヤってわけじゃ……



「イヤだからそういうのがダメなんだってヴぁ……!」


 気づけば、私はアリスちゃんを突き飛ばしてしまった。そして、乱れた服を直しつつ、その勢いのまま夜の街を走る。


 何かヤバい! 何かアリスちゃんの様子が変だ! いつもとは違う〝変〟っていうか、なんかちょっと怖い!



 ……ほんと、どうしたんだろう?




 逃げられちゃった。


 一人になった夜道で、小さくため息をつく。


 しまったなあ。ちょっとやりすぎちゃったかも。


 もう、お姉ちゃんたら恥ずかしがり屋なんだからっ!



 それはともかく追いかけなくちゃ。


 と思った時だった。


「あの、アリスちゃん……」


 お姉ちゃんが戻ってきた。



 気まずそうな顔で、ちょっとモジモジしてる。


 どうしたんだろう……ハッ! まさか!?


 そっか、そうだったんだ。だから逃げちゃったんだ。



「アリスちゃん、さっきはごめんね。夜道は危ないし、やっぱり一緒に……」


「大丈夫? お姉ちゃん。我慢は体に毒だし、しないほうがいいよ」


「えっ? なにが?」


 誤魔化そうとしてる。やっぱり、恥ずかしいんだね……



「だってお姉ちゃん、おしっこ我慢してるんじゃないの?」


「違うよ!? どうしてそんな話になってるの!?」


「だって、今もモジモジしてるし、だからさっき急に逃げたんでしょ? その……お手洗いを探しに」


「全然違う! かすりもしてないっ!」


 なんか怒られた。心配したつもりだったのになあ……



「アリスちゃん、どうしたの? なんか様子変だけど……何かあった?」


「何もないよ。ただお姉ちゃんによろこんでほしかっただけ」


「喜んでって……」


 お姉ちゃんは「どういうこと?」と怪訝な顔になる。



「だって、お姉ちゃんMなんでしょ? だから強気なことしたらよろこぶかなあって」


「どういうこと!?」


 説明したらもっと驚かれた。……何故。


 けど、お姉ちゃんはすぐに何かに気づいたみたいだった。「あっ」と声を上げて、



「やっぱり、私と井上の話聞いてたの?」


 うん、と頷くと、お姉ちゃんは納得したみたいだった。


「お姉ちゃんてば、あんなところであんな話しするなんて大胆過ぎだよ! たまたま聞いたのが私でよかったけど、他の人に聞かれてたら大変だったよ!?」


「いや、もう大変なことになってると……って、いやいや、そうじゃなくて!」



 お姉ちゃんはちょっと慌てた様子で事情を説明してくれた。


 二人が話してたのは、飲み物のサイズの話だったらしい。性癖の話ではなくて。



「なんだ、もう……ビックリさせないでよ」


「それ私のセリフなんだけど」


 呆れたように言いつつも、お姉ちゃんの顔はちょっと赤い。



「とにかくっ!」


 と、お姉ちゃんは顔を赤くしたまま言った。……恥ずかしがってるんじゃなくて、怒ってるのかな、コレ。


「もう暗いから一人じゃ危ないよ。一緒に帰ろ?」


 と言って、私に手を差し伸べてくれる。


 その姿が、ふと昔と重なった。



 小さい頃は、よくこうやって手を繋いでくれたっけ。


 お互いの手が触れ合うと、肌寒かったからだがあっという間に温かくなっていく……


 隣を見ると、ちょっと見下ろす位置にお姉ちゃんがいた。昔は見上げてたのになあ。ちょっぴり複雑というか……寂しいかも。


 けど、それでも、やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんなんだなあ。でも……



「おしっこじゃないなら、何でさっき逃げたの?」


「もうほっといて」

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