第38話 恋愛マスターアリス

 私がホームステイを初めて結構立った。


 最近のお姉ちゃんは、最初よりずっと自然に私を受け入れてくれるようになった。けど……



「はあ……」


 ため息がもれる。


 相変わらず、お姉ちゃんは「結婚」という言葉が出ると、言葉に詰まっちゃうんだもんなあ。


 どうしてだろう? 私のアプローチがまだ足りないのかな……



「どうしたの、小岩井さん。ため息なんてついて」


 学校の昼休み。お弁当を食べているときのこと。


 星野さんに心配そうに訊かれた。



「何か悩み事?」


「うん。まあ、そんなところ」


 内容までは言えないけど。


 どうやったらお姉ちゃんが結婚してくれるか考えてた、なんて言えないし。



「ひょっとして遥香さんのこと?」


 言えないけど、言い当てられた。


 流石に結婚の件まではないけど……



「その……どうやったらお姉ちゃんが喜んでくれるかなあ見たいなことを、ちょっと」


 すると、星野さんは「うんうん」と頷いたあとで、


「そういうことなら任せてっ!」


 なんて言ったかと思うと、カバンの中から、私に一冊の本を渡してくれた。



「『カノジョに喜んでもらうための技術』……?」


 なんか、予想外のタイトルだ。星野さんて、こういう本読むんだ。訊いてみると、


「うぅん、別に私は読まないけど、いつ小岩井さんに相談されてもいいように普段から準備して……」


 そこで、星野さんはコホンと咳払い。小さくてよく聞こえなかったけど、なんて言ったんだろう?


「これを読めば、きっと遥香さんともっともっと親密になれるから!」


 星野さんのテンションが何故か高い。



「頑張ってね! 小岩井さん!」


 と思ったら、今度は詰め寄られた。


 いきなりどうしたんだろう。気になる。けど……



 せっかくの好意だし、甘えておこう。素直に本を受け取る。もっともっとお姉ちゃんにアプローチしなくっちゃ!




 放課後、私は帰路につくまえにバイト先である『ルエ・パウゼ』に寄り道した。


 今日お姉ちゃんはシフトに入っているから、お客として行く……のはやめて、外で待っていることにした。


 そして――



「お姉ちゃんっ」


 シフトが終わり、入り口から出てきたお姉ちゃんを出迎える。


 お姉ちゃんは、よく私にお土産を買ってきてくれるから、シフト終わりは裏口じゃなくて普通の出入り口から出てくることが多い。


 それは私には当然分かっていることだけど、



「アリスちゃん、どうしたの?」


 お姉ちゃんはちょっと驚いた様子だ。


 思った通り、お姉ちゃんは驚いているみたい。



 アプローチその1、サプライズ!


 いきなり会いに来てビックリさせる!



「久しぶりにお姉ちゃんと帰りたいと思って。一緒に帰ろ?」


 いいよ、とお姉ちゃんは素直に言ってくれた。……この流れで「結婚しよう」っていうのはあまりに脈絡が無さすぎるよね。


 よしっ! その前にたくさんアプローチしなくっちゃ!




 アプローチその2、アピール!


 でも直接的すぎるものはダメ! 自分のタイプをさり気なく仄めかし好意を伝えるの!



「……アリスちゃん? どうかしたの?」


「あのね、お姉ちゃん!」


 考え込んでいたからか、お姉ちゃんが心配そうな目で私を見ていた。早く安心させなきゃ!



「私、年上の人が好みなの!」


「う、うん?」


「一緒に暮らしてて大学生の二十歳で従姉の人なんかが大好きっ!」


「そう、なんだ……?」


 あれ? 何かお姉ちゃんの反応が微妙だ。気づいてくれてないのかな? もう、鈍感だなあ。それなら……



「えっとね、私のお願い聞いてくれるところとか、恥ずかしがりながらも私を受け入れてくれるところとか、一生懸命声我慢するところとか、あとあとそれから……」


「待って待って! それ以上ここで言わないでお願い!!」


 お姉ちゃんは顔を真っ赤にしている。


「そういうところも可愛いもごっ」


 無理やり口を塞がれちゃった。


 といっても、唇じゃなくて手でだけど。



 どうやらお姉ちゃんは、外でアプローチされるのはいやみたい。


 照れ屋さんだなあ。それなら……



 アプローチその3、恥じらい!


 恥じらいをもって接すると好感度が上がる! らしい。



「お姉ちゃん! 手繋がない?」


「? いいけど……」


 不思議そうな顔をして、でもお姉ちゃんは私の手を握ってくれた。


 えへへ……おっと、違う違う!



「こんなところで手を繋いじゃうなんて……なんだか恥ずかしいね……」


「えっ? そ、そう……? じゃあ、やめる?」


「えぇっ!? なんでなんで!? 私絶対離さないからっ!」


「お、おうっ……」


 まったく、お姉ちゃんは恥ずかしがりやだなあ。


 私まで恥ずかしがってたらきっと何もできなくなっちゃう。恥じらって接するのは、もう止めた方がいいかも。でも……



 ――アプローチが成功すれば、相手はきっと自分からあなたを求めてくるはず!


 星野さんから借りた本の一節が思い浮かぶ。


 これで来てくれるかなあ。まだ足りてないかも?


 考えつつも、私の手には、懐かしい、私の大好きな感覚がある。



 ――温かい。


 昔は、よくこうやって私の手を握ってくれたっけ。


 あの時から、ずっと私の気持ちは変わってないし、これからも絶対に変わらない。でも……



 私たちの関係って、いつになったら変わるのかな?





 何だか、アリスちゃんの様子がおかしい。


 ……まあ、たまーに変になるときもあるけど、そういうんじゃなくて、なんか……おかしい。



「もう、お姉ちゃん。ご飯粒ついてるよ……はむっ」


 いや、やっぱりいつも通りかな。何か分かんなくなってきたかも。



 なんだか、アリスちゃんがいつもよりも甘えん坊というか、私にくっついてくる。


 どうしたんだろう? 一緒に帰りたいと言って私のシフト終わりを待ってたのも、久しぶりだったし。


 まさか……


 ある可能性が思い浮かんで、私は息を詰めた。



 学校で何かあったとか!? 何か失敗をしちゃったとか、それとも星野さんとケンカしちゃったのかな?


 そういうことなら、私が何とかしないと。まずは、アリスちゃんと話さなきゃ。




 夜。お風呂にも入って、あとは寝るだけというような時間。


 私は意を決してアリスちゃんの部屋に行った。


「アリスちゃん、いる? 今ちょっといいかな?」


 ドアをノックすると、ややあって「いいよ」と返事があった。



「どうしたの? お姉ちゃんが来てくれるなんて、珍しいね」


 そう言いながら、アリスちゃんはクッションを渡してくれた。


「うん、ちょっと……話せないかと思って」


「もちろんいいよ! たくさんお話ししよっ?」



 ……なんか、アリスちゃんテンション高くない?


 それにすごく嬉しそう。やっぱり、話したいけどちょっと言いにくいことがあるのかな?



 私は何気ない話をふって、それとなく話を促そうとしたけど、アリスちゃんは全然話してくれない。


 うーん、このままじゃ埒が明かないし、仕方ないよね。



「アリスちゃん、その……私に話したいこととか、何かして欲しいこととか、ない?」


 言葉を選びながら訊いてみる。


 すると、アリスちゃんはキョトンとした顔になった。それから両手で口元を抑えて、目を瞑ると、頭をブンブン横に振った。


 ……えっ。え、えぇっ? なに? どうしたの!?


 やっぱり、何か悩みがあるのかな?



「私にできることがあるなら何でも言ってね。きっと力になるから」


「お姉ちゃん……」


 アリスちゃんは今度は感極まった様子だ。


 うんうん、ようやく話してくれる気に……



「じゃあ、結婚して」


「うん?」


「結婚して、お姉ちゃん」


 ……思ってた話と違う。ていうか……



「もう! 誤魔化さないでちゃんと教えて! 何があったの?」


「? 何って?」


 この子はもう……まだ誤魔化す気なのか……



「だから! 星野さんとケンカしちゃったんでしょ!? ダメだよ、時間が経つとドンドン難しくなっちゃうんだから、早く話し合わなきゃ! 無理そうなら私が間を取り持つから、なるべく早く……」


「私、ケンカなんてしてないよ?」



 …………


 ……………………



「えっ」


「えっ」



「「ゑ?」」



「違うの? ケンカしちゃったんじゃないの?」


 すると、アリスちゃんは「違うよ~」と笑う。


「星野さんとは普通に仲よしだよ。どうしてそう思ったの?」


「だって、なんか今日様子変だし、ずっと私についてくるから。何かあったのかなって」



「違うよっ! 私はただ……」


 そこで一度言葉を止めると、珍しく口ごもってしまった。


「もうっ! 私に告白に来てくれたんじゃって思ったのに! お姉ちゃんのイジワル!」


「えぇええええっ!? 何かあまりに理不尽じゃない!?」


 本当にどうしたんだろう? そう思っていると、ベッドの上に置かれた一冊の本が目に入った。



「これって……」


「あ、それはだめっ!」


 本を手に取ろうとすると、アリスちゃんは慌てて本を取って両手で抱えるように隠してしまった。



 今の本には『カノジョに喜んでもらうための技術』なんて書かれていた。


 まさか、今日のって、私の為にしてくれてたってこと?


 私に、喜んでほしくて……



「アリスちゃん」


 名前を呼んでも、アリスちゃんは俯いたままだった。


 だからもう一度名前を呼ぶと、今度はゆっくりと、上目遣いに私を見てきて……



「……んっ……ぁん……っ」



 身を乗り出して、唇を塞ぐ。


 アリスちゃんが驚いたのはほんの一瞬で、すぐに自分の唇を私のに押し付けてきた。


 それから私たちの唇は、ついて離れてを何度も繰り返して、気づけば私たちの息は上がっていた。



 目を開けると、アリスちゃんの顔を見下ろせた。


 ……なんか、不思議。


 いつもは、私が見下ろされているのに、今日はアリスちゃんの顔が下にある。


 その顔は赤く染まっていて、不安そうで切なそうで、でも……



「私、アリスちゃんのこと好きだよ」


 ……うん、やっぱりそうだ。


 言葉にして、改めて確信する。



 私のことを一番に考えてくれて、大切にしてくれるところとか。


 たまにおかしなことをするところさえ、アリスちゃんがしてるんだって思うと、愛しく思える。



「今日、とっても楽しかったよ。一緒に帰れてうれしかった。ありがとう」


 こつんと額を合わせると、アリスちゃんはちょっと震えた。



「でも、私はいつものアリスちゃんも大好きだよ。だから無理したししないで、普段通りにして欲しいな。アリスちゃんが楽しそうにしてることが、私には一番うれしいことだから」


「ほんとっ?」


「うん。もちろん」


「ほんとにほんと?」


「もう、本当だってば」


「じゃあ、結婚してくれる?」


「そっ、れは……」


 いつものように口ごもってしまう私。



「……えっと、その……か、考えさせて……」


「うそつき」


 アリスちゃんが、ちょっとムッとした表情で言う。


 ああ、カッコいいこと言ったのに次の瞬間には歯切れの悪いこと言って……失望させちゃったかな?



「なんて、嘘だよ」


 からかうみたいにクスッと笑うアリスちゃんを見て、途端に安心した。


 それから、私もちょっと笑っちゃって、


「うそつき」


「ごめんなさぁい」


 すると、またアリスちゃんも笑ってくれた。



 目のまえの青い瞳が、ゆっくり閉じられる。


 言われなくたって分かる。


 恥ずかしいけど、今はこの子が望むことをしてあげたい。


 私を喜ばせようとしてくれたように、今度は私が……



 そっと、唇を重ねる。


 愛しいこの子が、少しでも喜んでくれますように――

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