第37話 秋、肥ゆる春

 その日も、特に変わったことは何もなかった。


 夏休みも終わって、アリスちゃんは新学期が始まって少し経った。


 私はまだ夏休みで、その日はシフトが入っていたから店に行ってメイド服に着替えていると……



 問題発生。


 ……いやいや待って。気のせいかも。もう一回……



 気のせいじゃなかった。


 信じられない……いや、信じたくないが正解かも。



「嘘でしょ……」


 私、太っちゃった……




 正直に言うと、心当たりはある。


 二週間くらい前から、アリスちゃんが妙に張り切って料理をするようになった。


 まあ、実際にはいつもだけど。アリスちゃんは私のためにとご飯を作ってくれていて、お母さんは「楽させてもらってるわ」とか「あんたも見習いなさい」とか言ってくる。



 でも、最近輪をかけて張り切っていて、この間は……


「お姉ちゃん! 焼きいも買ってきたの、一緒に食べよう?」


 なんて時もあった。



 これヤバいかも、なんて思ったことがなかったわけじゃない。


 けど、おいしいんだもの! アリスちゃんの作ったさんまの塩焼き! 栗ご飯もマツタケもおいしいし! 果物だと梨とか柿とかね!


 まあ要するに……



「食欲の秋だよね……」


 休憩中、口にした言葉は想像以上にどんよりしてしまった。


「なに急に。太った?」


 ……コイツ《井上》め、ずけずけと。


 もうちょっとオブラートに包んでほしい。そんなだからフラれるんだきっと。



「気をつけないとねー。すぐ太っちゃうもんなー」


 なんて言いつつ、井上はオーナーのお土産の栗饅頭を食べている。


「いや、別に太ったってわけじゃ……ちょっとその、ウエストが苦しいだけ」


「太ってんじゃん」


「黙れ」


 オブラートに包め。今ちょっと「太る」って単語に敏感になってるから。



「おおっ。珍しい、みゃーのが超キレてる」


「うるさい。まったく、他人事だと思って……」


「大丈夫だって。皮下脂肪はつきやすい代わりに落ちやすいらしいじゃん」


 ほんと、他人事だと思って適当ばっかり。



 とはいえ、これはしなきゃダメだよなあ……




「ダイエット?」


 夕食の時、アリスちゃんに言うと、彼女は小首を傾げた。


「お姉ちゃん、別に太ってないと思うけど」



 なんかなあ。


 アリスちゃんに他意はないんだろうけど……


 ふとアリスちゃんを見る。部屋着の、ラフな格好をしたアリスちゃんは、それでもとても様になってる。


 キレイだし、スタイルもいいし……ほんと、私とは比べ物にならない……



「ほうひたの、おねえひゃん……」


 八つ当たり気味にアリスちゃんのほっぺをムニムニして遊ぶ。


 でも、こんなことをしてる場合じゃない。


 まずはお腹周りのお肉を何とかしなきゃ。なんだけど……




 ぐぅうう~~~~~~~~……




 夜中。


 静まり返った私の耳に響くのは、私のお腹の音。通称、胃酸過多。


 ど、どうしよう、お腹すいて眠れない……



 夕食、あんまり食べなかったからなあ。ご飯も半分にしてもらったし、デザートも我慢したから……


 あぁう、これヤバいかも。こうなったら、何かお菓子でもつまんじゃおうかな。


 いや、それじゃ我慢した意味がないよね。いやでもお腹すいた……いやいや、いやでも……いやいやいやいや……



 そんなことをしている間に夜が明けていた。


 結局あんまり眠れなかった。でも……



「え、ご飯これだけでいいの?」


 ダイエットを止めるわけにもいかない。といって、アリスちゃんがせっかく作ってくれたのに「いらない」なんて言えないし。


 だから単純に量を減らすことにした。



「大丈夫? 昨日もあんまり食べてなかったけど……ひょっとして、口に合わなかったりする? 私のお料理……」


「違う違う!」


 アリスちゃんがしょぼんとしちゃったので慌てて否定する。


「最近ちょっと食べすぎちゃってたから控えめにしてるだけ。アリスちゃんのご飯はおいしいよ、とっても」



「ならよかったけど……でもダメだよ、ご飯はちゃんと食べなきゃ! 無理しすぎたら体壊しちゃうし、朝ご飯は特にちゃんとしなきゃ」


「ありがとう。でも大丈夫、一応気をつけてはいるから」


 なんて言って誤魔化す。……が、誤魔化せていなかったみたい。そんな生活を続けていたある日のこと。



「もうっ! ダメだよそんなの!」


 アリスちゃんに叱られた。


「いつか倒れちゃうってば! 今日こそちゃんと食べてもらうからね!」


「で、でも……」


 余分なお肉がががが……っ。


 一人葛藤する私。でも、アリスちゃんは私のために糖質ダイエットのメニューを考えてくれたらしい。



「どう? おいしい?」


 うん、と答えると、アリスちゃんは「よかったあ」と安心したように笑う。


 どうやら、かなり心配させちゃったらしい。





「私、本当に心配したんだからね」


 その日の夜、私の部屋に来たアリスちゃんはちょっとむくれていた。


「急にご飯食べなくなって、ダイエットとか言うくせに運動はあんまりしないし」


「うぅ……面目ない」


 だって体動かすと余計お腹すくんだもの。



「それに、お姉ちゃん、たまにお菓子食べてたでしょ」


「うっ」


「私とおばさんが見てないか確かめてから。袋はゴミ袋の奥に突っ込む徹底ぶりだった」


「うぅっ」


 み、見られてたのか……



「でっ、でもだって! どうしてもお腹すいちゃって! それにその……ご飯は控えめにしてるから、大丈夫かなって」


 アリスちゃんは「まったく」とため息をついている。


 呆れられちゃったかな、と思っていると……



「じゃあ、今度からお菓子食べたくなったらこうしようよ」


 どうするの? と私が訊くよりも早く、



「んっ……むっ……ぅ……っ」



 口の中いっぱいに、甘い匂いが広がっていく。


 ちょっと酸っぱくて、甘い。どんなお菓子よりも甘い味。


 頭がボーっとして、アリスちゃんのこと以外考えられなくなる。最初はされるがままだったのに、気づけば私は自分から求めていて……



「あまいね……」


 アリスちゃんの声が聞こえた気がした。


 私は軽く顎を引くみたいにして頷く。すると、アリスちゃんは、ふふっと小さく笑う。



「ね? こうすれば、もうお菓子は食べずに済むでしょ?」


「私……」


 アリスちゃんの唇が離れてしまった時、妙に物悲しさを感じた。


 気づけば私は……



「私、まだお腹空いてる……かも」


 すると、アリスちゃんは一瞬キョトンとしたあとで、クスリと笑った。


「いいよ」


 ちいさく、囁くみたいに言って、ゆっくりと、また顔を近づけてくる。



「いっぱい食べてね」




 ちなみに……


「みゃーの、なんか私、太ったっぽい……」


 後日。無事井上も私と同じ轍を踏んだようだった。


 めでたしめでたし。

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