第36話 花火大(小)会

「花火?」


 八月の下旬。部屋でだらけているとき、アリスちゃんの言葉に、ふと本から顔を上げる。



「うん。星野さんが花火セット買ったから一緒にやらないって。よければお姉ちゃんも一緒にってさ」


 アリスちゃんはスマホを見ながら言う。どうやら、今メッセージが来たらしい。


「花火かあ……」


 そういえば、しばらくやってないな。


 昔は、アリスちゃんとやったっけ……



 ……あれ? なんだろ? なんか、今なにかを思い出しかけたような……? 気のせいかな……



「ていうか、それ、私も行っていいやつなの? 他の友達も来るんじゃない?」


「うぅん、今のところ私と星野さんだけみたい。ねえ、いいでしょお姉ちゃん。一緒に行こうよ」


 うぅっ。そんなふうにねだられるとなあ……



「いいよ。じゃあ行こっか」




 そして当日。


 私とアリスちゃんは、待ち合わせ場所の公園に来ていた。


「もう五時前なのに暑いねぇー」


 まだ集合前なのに、アリスちゃんの声はちょっと疲れてる。


 その手には私がプレゼントしたミニ扇風機が握られていて、それがちょっとうれしい。最近、アリスちゃんは出かけるときには必ず持って行ってるみたいだから。



「大丈夫?」


 アリスちゃんは「うん」と頷いて、それから何故か私をじっと見てきた。


「どうかした?」


「うぅん。さっきも言ったけど、その浴衣、とってもよく似合ってるよ」



 私は今浴衣を着ていた。今日のために買った新しい浴衣。


 そしてそれはアリスちゃんもだ。


 金髪美少女が浴衣を着てる……のに、不思議と違和感を感じない。ていうか、超似合ってる。


 アリスちゃんが着てるから、そう思うだけかもだけど……



 浴衣姿のアリスちゃんを見て、また思い出した。


 いや、思い出したっていうほど鮮明な記憶じゃない。もっとおぼろげなもの。


 小さいころ、アリスちゃんがイギリスへ行ってしまう前、花火をしたときの記憶。


 二人でどこかに行った。どこか……とても不思議で、キレイなところに……


 そう、妖精だ。妖精を追って、アリスちゃんと一緒に、妖精の国に……



 いやいや!


 何だか変なことを考えちゃった。何だ妖精の国って、子供じゃあるまいし。


 いやでも……一度思い出すと、妙に現実感も出てきちゃったな。


 訊くだけ……うん、訊くだけ訊いてみよう。



「あのさアリスちゃん、昔……」




「小岩井さーんっ! お姉さーん!」




 と思ったら遮られた。


 見ると、星野さんが小走りでやってくるところだ。



「ごめん、待たせちゃった?」


 そう言った星野さんも浴衣を着てる。


「うぅん、大丈夫。まだ約束の時間の前だよ」


 さっきまでちょっとだらんとしてたアリスちゃんは、星野さんが来た途端にシャキッとしてる。すごい変わり身の早さだ。



「小岩井さん、浴衣似合うねー」


「ありがとう。星野さんも似合ってるよ」


 ほんと、凄い変わり身の早さだ。私に対する言い方と全然違う。嘘ついてるわけじゃないのは分かるけど。



 さて、あとは井上だけだ。


 そういえば、前に「寝坊した」とか言って一時間以上遅れたことがあったっけ。


 今日は大丈夫だよね? 星野さんもいることだし、そういうところきちんとしてほしい。なんて思っていたけど、



「やーやー、皆さんお揃いで」


 私の心配は杞憂に終わった。


 強いて問題を上げるとすれば……



「井上、めっちゃ私服だね」


 皆、浴衣で集まろうって話だったと思うんだけどな。


「まあねー。浴衣着るのなんかめんどくさくって」


 相変わらず適当な奴。


 まあ、いっか。今に始まったことじゃないし。




 バスに乗って、それからまた少し歩いて、そのうちに日は暮れて、私たちは河原に来た。


 星野さんが買ってきてくれたのは、ボトルに入った花火セットだった。


 一応私たちもちょっと買ってきたんだけど、見劣りしちゃうな。



「やー、花火なんて久しぶりだなー」


 そう言った井上の両手には花火が握られていて、それを振って空に記号を書いていた。


「よっ、ほっ、はっ!」


 今度はちょっとリズムに乗り出した。童心に帰ってるっぽい。……いや、コイツは元からこんなんだっけ。



 ツンツンと肩をつつかれて振り返る。と、


「愛してるよお姉ちゃん」


 アリスちゃんに言われた。正確には書かれた。花火で、空に。



「ちょ、ちょっとアリスちゃんっ」


 ビックリして詰め寄ろうとする。だって、こんなの井上たちに見られたら変に思われるかも……



「どうかしたの?」


 思った傍から、井上が顔を出す。


「い、いや、別に何でもないから!」


 慌てて誤魔化そうとしたけど、



「お姉ちゃんに、愛してるよって書いてました」


 アリスちゃんに白状された。


 ま、まずいっ! と焦ったけど……



「相変わらず愛されてんねみゃーの」


 ……あれ? なんか、井上の反応が思ってたのと違う。


「いつまでも愛してるよお姉ちゃん」


 いつもと同じなのはアリスちゃんの反応。花火が消えたのをいいことに私に抱き着いてきた。



「えっ、それだけ?」


 思わず訊いてしまう。すると、


「だってアリスちゃんていつもこんなじゃん」


 まあ、そうかもだけど。井上にそういう言い方されるのは、ちょっとアレな感じするな。



 井上は大丈夫でも、星野さんは変に思うんじゃ……と見ると、


「……ぐ、ふっ……う……っ」


 蹲っていた。しかも、鼻血を流していて……って、えぇっ!?



「ど、どうしたの!? 大丈夫っ!?」


 反射的にしゃがむ。花火で怪我でもしたの!? でも何で鼻血!?


 どっ、どうしよう……そうだ、とりあえずティッシュ!


「うへへへへへへ……っ!」


 焦る私の耳に届くのは変な笑い。それは初めて聞く星野さんの声だった。



「ほっ、本当に大丈夫?」


 流石のアリスちゃんも、珍しく焦った様子で星野さんの顔を覗き込んでいる。


「だいじょーぶだいじょーぶっ。こっちこそいいもの見せてくれてありがとう」


 大丈夫じゃないっぽい。


 でも、怪我とかじゃないみたいだから、そこは安心したけど……



 ほんと、一体どうしたんだろう?




 それから、私はアリスちゃんと二人で花火を捨てに行くことになった。


 井上は星野さんについている。少し休んでもらった方がいいだろうし。本当はアリスちゃんについていてもらおうと思ったんだけど……



(――「お構いなく! 私は大丈夫なのでお二人で楽しんでくださいっ!」――)



 とよく分からないことを言われた。



 そんなわけで、アリスちゃんと暗くなった道を歩いているんだけど……


 私はまた思い出していた。あの……妖精の国の記憶を。


 さっき訊こうとして、結局訊けないままだったからなあ。……よしっ!



「あのさ、アリスちゃん」


「? なあにお姉ちゃん」


 アリスちゃんは無邪気に小首を傾げている。うぅ、やっぱりちょっと恥ずかしいけど……



「昔さ、今日みたいに一緒に花火した時、なんか……変なところに行かなかった?」


「変なところ……?」


 目をパチクリさせていらっしゃる。……あれ、覚えてない? それとも、私の訊き方が悪かったかな……



「お姉ちゃんも覚えてたのっ!?」


 と思っていたら、アリスちゃんが詰め寄ってきた。


「う、うん。じゃあアリスちゃんも……?」


 もちろんっ! と頷くアリスちゃん。でも、次に出てきた言葉は、


「一緒に宇宙人に会ったこと!」


 予想外の言葉が出てきた。



「う、宇宙人?」


「うん! 体が光ってる宇宙人っ!」


 テンションが上がっていたアリスちゃんだけど、私の反応を見ると「あれ?」と首を傾げた。


「見たよね? 宇宙人」


「いや、見たのは妖精でしょ?」



 …………


 ……………………



「もう、お姉ちゃんたら。妖精なんているわけないじゃん」


「それは宇宙人だってそうじゃん!」


 でも……


 それなら私たちは、一体何を見たんだろう?




「何かキレイなものを見た気がするんだよね」


 公園のゴミ箱に花火を捨てて河原に戻る途中、アリスちゃんが言った。


「なんかキラキラ光ってて、空を飛んでて……だから絶対に宇宙人だと思うんだけど……」


 いやその理屈はおかしい。と思うんだけど……



 子供のころの記憶だもんなあ。


 私だってハッキリ覚えてるわけじゃない。まして、アリスちゃんは私より小さかったわけだし、覚えてなくて当然だよね。


 でも……



 アリスちゃんと話していて、私はちょっとだけ思い出した。


 たしかに、アリスちゃんの言うとおり、妖精……かどうかは分からないけど、私が見たモノは光っていた。


 その光っているモノに導かれて、私たちはどこか、妖精の国……かどうかは分からないけど、そこに連れていかれて……うん、やっぱり全然思い出してなかった。



「おまたせ……って、あれ?」


 河原まで戻ってくると、そこに井上と星野さんの姿はなかった。


「どこいったんだろ……」


 井上はともかく星野さんが心配だ。急に鼻血流してたし……



「お姉ちゃん」


 二人を見つけたのかなと思ってアリスちゃんの視線を追う。するとそこには……



 海があった。光の海だ。


 ピカピカ光るそれは、まるで波みたいに空を飛んでいる。



「キレイ……」


 思わず口から零れた言葉。それが呼び水となって、私は今度こそハッキリ思い出した。昔、アリスちゃんと見た光景を。妖精の国の正体を。



 あの時、私はこれと同じ光景を見たんだ。


 花火を終えた後、飛んでいる蛍を追っていくと、その先にはたくさんの蛍がいて、光る海を作っていた。


 キラキラと光る、天の川みたいに……



「アリスちゃん」


 思い出してほしい。アリスちゃんにも、あの時のことを。そして一緒に……



「キレイだね、お姉ちゃん」


 アリスちゃんの言葉はとても静かだったけど、私に耳に、妙にハッキリと届いた。


「あの時とおんなじ」



 ハッとなった。


 そっか、アリスちゃんも……



 気づけば、アリスちゃんの顔は近くにあった。


 青い瞳は私を見下ろしていて、何だか吸い込まれそうな気分になって……



「んっ……ちゅぅ……っ……」



 気づけば、私たちは唇を合わせていた。



 何だか、不思議な気分だ。


 あの時は夢にも思わなかったな。アリスちゃんとこんなことをするなんて。


 あの時と同じ光景が、まったく違うものに見える。


 光の海を作る蛍たちが、まるで私たちを祝福してくれているみたい……



「大好きだよお姉ちゃん。あの時からずぅっと」


「……うん。私……きゃっ!?」


 慣れない砂利道だからか、足首をひねってしまった。


 そのまま、私はアリスちゃんと一緒に倒れこんでしまう。



「ごめんアリスちゃん! 大丈夫っ?」


「うん。お姉ちゃんこそ」


 よかった、怪我はしてないみたい。一安心して息をはいたけど、すぐにそれを詰めてしまう。



 偶然とはいえ、アリスちゃんを押し倒すみたいになってしまった。


 それにさっきまでの空気も相まって、私たちは、自然とまた顔を近づけて……



「おーい、二人ともーっ!」


 慌てて顔を離す。


 振り返ると、そこには井上と星野さんの姿があった。



「やー、ごめんごめん。ちょっとコンビニで買い物してたんだ」


「井上さんが気を遣ってくれたんです。私が鼻血出しちゃったから、鉄分補給したほうが……いいって……」


 星野さんの語尾はどんどん小さくなっていった。どうしたんだろうと思っていると、



「ごっふぅっ!?」


 また鼻血を出してその場に倒れこんでしまった。



「ちょ、星野さん!?」


 珍しく井上が焦った様子。


 私たちも慌てて駆け寄ると、彼女は鼻血だけでなく涙まで流している。



 そういえば、前にもこんなことがあったっけ。アリスちゃんと一緒にマンガ喫茶に行った時、私たちの部屋の前で星野さんが倒れていて……


 あの時は、本人はたまにあることだからなんて言ってたけど……



「じゃ、邪魔してごめんなさい……大丈夫ですから、私のことは気にせず、どうぞ続けて……」


「いやいや、どう見ても大丈夫じゃないでしょ!」


 思わずツッコミを入れてしまう。



「こ、小岩井さん……幸せになっ……がくっ」


「ほ、星野さん!? 星野さーーーーんっ!」


 と、これは井上。


 星野さんはそのまま動かなくなってしまった。幸せそうな笑顔のまま。




 …………いや、なにこれ。

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