第33話 避暑地を求めて三千円
「……が…………ま…………」
ある夏の日、アリスちゃんが死にかけていた。
「大丈夫?」
テーブルの上に突っ伏しているアリスちゃんに、誕生日プレゼントのミニ扇風機で風を送る。
「むり……とけそう……」
まだ朝の十時前だっていうのに、部屋のなかはうだるような暑さだ。
暑いのが苦手なアリスちゃんは早くもグロッキー状態。無理もない、わたしにも辛い暑さだから。
「よしよし、じゃあクーラーつけよっか」
「やったあ」
力無く喜ぶアリスちゃん。
テーブルから身を起こしてバンザイ。冷風を受けようとしているけど……
「あ、あれ?」
問題発生。
「お姉ちゃん、どうかしたの?」
アリスちゃんが不思議そうな顔で訊いてきた。
私はちょっと口ごもってから答える。多分、アリスちゃんにとっては絶望的な言葉を。
「クーラー壊れちゃったみたい」
幸いと言うべきか、クーラーは壊れたわけじゃなかった。リモコンの電池が切れただけで。
お母さんは今日は朝からパートだ。クーラーが使える私の部屋かアリスちゃんの部屋に籠るって手もあるけど……
「それじゃダメ! リビングのクーラーじゃなきゃ、なんか負けな気がする!」
この子一体何と戦ってるんだろう?
ともかく、そんなわけでアリスちゃんと一緒に電池を買いに行くことになった。
「暑い……」
自分から行こうと言い出したくせに、一歩外に出るなりアリスちゃんは今にも倒れそうな声を出した。
「どうする? やっぱり家にいる?」
「うぅん、出かける! これを機に日本の夏に慣れようと思うのっ!」
長い間イギリスで暮らしていたアリスちゃんにとって、日本の夏はかなり堪えるだろう。事実、最近はテンション低いことが多いし。
そんなアリスちゃんは、日傘をさして首からは冷感タオル、もう片方の手には私がプレゼントしたミニ扇風機というスタイル。
白いワンピースを着た金髪美少女がしているのだから、傍から見るとちょっとコントっぽい。けど、本人的には真面目も真面目。ふんす、と気合を入れている。
せっかく外に出るのだから、買い物だけして帰るのも味気ない。そんなわけで、まずは喫茶店に行くことになった。
普段、私たちがバイトしているお店だ。今はカップル割引のキャンペーン中なんだけど、別に友達同士でも「カップルです」と言えば割引される。ので、
「カップルです!」
アリスちゃんは堂々宣言。
「おぉ~。お熱いね~」
シフトに入っていた井上には茶化された。
さて何を頼もうかな、とメニューを見ていると、
「すみませーん!」
アリスちゃんが声を上げた。
「え、私まだ何頼むか決まってないんだけど……」
「大丈夫、私に任せてっ!」
アリスちゃんは自信満々。
「や~、まさか同僚にこれを運ぶなんてね~」
井上はまた茶化してくる。ていうのも……
「これ、カップル用のやつじゃん……」
アリスちゃんが注文したのは、大きめのグラスに入ったジュース。そこには、ストローが一本ついている。……ハートの形をした、飲み口が二つの。
「うん。初めて見たときからずっと思ってたの。お姉ちゃんと飲みたいなあって」
「そ、そうなんだ……」
マジですか。これを飲むんですか。これを、職場で。
正直ちょっと……いや、かなり抵抗がある。でも……
「だめ?」
うぅ。そうやってねだられると弱い。
……まあ、いっか。おふざけで友達同士で頼んでる人もいたし。普通だよ、うん。
「分かったよ。じゃあ、飲もっか」
「やった!」
嬉しそうなアリスちゃん。いいんだけどさ、喜んでくれてるんだから。
「愛されてんね、みゃーの」
「愛してるよお姉ちゃん」
……こういうのは、やっぱり恥ずかしいけど。
店を出たとき、アリスちゃんは妙にうれしそうだった。私とカップル用ジュースを飲めたことを、喜んでくれているらしい。
それ自体はうれしいけど、私はなんだか疲れてしまった。だって、
「まさか三杯も飲むなんて……」
お腹をさすりながらふうと息を吐く。
飲み終わるたびにアリスちゃんが「もう一杯ください!」なんて言うから……
「だってすごく暑いし! 熱中症になっちゃうかもしれないじゃん!」
まあ、そういう考えもなくはないんだろうけども。
でもなあ、とにかく私は恥ずかしかったよ……
次はどこに行こうかな、ぶらぶらウィンドウショッピングでもしようか、なんて思ったんだけど、
「あつ……ぃ……」
アリスちゃんがまた死にかけている。私があげたミニ扇風機も、熱風しか送れていないらしい。日傘をさしているから、直射日光は防げているけど。
私も日傘の中にお邪魔しているけど、それでもやっぱり、暑いものは暑い。
公園に行ってみると、幼稚園や小学生くらいの子たちが水遊びや虫取りをしていた。
「私たちもさ、昔はあんな風に遊んでたよね」
アリスちゃんがイギリスに行ってしまう前、私たちも暗くなるまで遊んでたっけ。
目を閉じるだけで思い出すなあ。あの時のこと……
「そうだねー……」
なんか、アリスちゃんは思い出してるっていうか、走馬灯を見てる感じだ。
だ、大丈夫だよね? 熱中症ではないよね? 水分は足りてるだろうし。
「大丈夫? そろそろ電池買って帰ろっか?」
「うぅん、まだまだこれからだよ……」
もうダメそう。
でも帰りそうにないなあ……仕方ない、本当にダメそうになったら強引にでも連れて帰ろう……
「きゃああああああああああっ!?」
突然悲鳴が聞こえてきた。しかもそれは私のすぐ傍、アリスちゃんのものだったので余計にビックリした。
「ど、どうしたのっ!?」
見ると、アリスちゃんは石みたいに固まっていた。ほ、ほんとにどうし……
「せっ、セミ……」
「えっ?」
「セミが、かっ、肩に……」
見ると、確かにとまってた。セミが、アリスちゃんの肩に。でも……
「え、だから?」
思わず、素で訊いてしまう。
「わっ、わたし……せみ、むり……!」
それどころじゃないらしい。アリスちゃんは小さく震えてた。何なら涙目だ。
「そうだっけ? 昔は素手で捕まえてたじゃん」
「そうだけどいまはむりほんとむりぃ!」
アリスちゃんは割とマジで怯えてる。
動くことすらできないっぽいので、私が軽くアリスちゃんの肩を払う。
すると、セミはあっさり飛んでいった。
「もういなくなったよ」
アリスちゃんは恐る恐る自分の肩を見る。そこにセミがいなくなったのを確認して、
「はぁあああああああ~~~~……」
長い長い安堵の息をはいた。
「び、ビックリした~~……」
「もう、大げさだなー。昔は大丈夫だったじゃん」
すると、アリスちゃんは「そうだけど」と疲れたみたいに息をはいた。
「触れなくなっちゃったの。今はもうセミっていうか……節足動物がムリ……」
何だか遠い目をしてる。
まあ、分かる気はするけど。小さい頃は大丈夫だったのに、大きくなるとダメになるものってあるよね。
これ以上公園にいるのは、アリスちゃんの精神衛生上よろしくない。もう買い物をすませて帰ろう、と思った時、アリスちゃんは何かに気づいたみたいな顔になった。
「星野さーんっ!」
と手を振る。見ると、確かに星野さんの姿があった。彼女も私たちに気づいたらしく、こっちに来た。
「小岩井さん、ここで何してるの?」
「うーん、ちょっと日本の夏に慣れようと思って」
「なにそれ」
星野さんはおかしそうにクスクス笑う。
「ていうか、星野さんこそ何してるの?」
すると、星野さんは何故か口ごもった後で、
「ちょっと散歩しようと思って」
こんなに暑いのに、元気な人だ。
せっかくだし、一緒にどこか行こうかと提案してみたけど、星野さんはこの後用事があるらしい。
軽く挨拶をして別れる。そして私たちといえば……
「はふぅ~~~~……」
店内に入った途端、アリスちゃんは生き返った顔になる。
「私、ここで暮らそうかな」
そんなにか。
私たちは駅前のマンガ喫茶に来た。
店内はガンガンに冷房が効いていてちょっと寒いくらいだけど、アリスちゃんには問題ないらしい。
そのおかげで、アリスちゃんはいつも通りに戻ったみたい。
「だからお姉ちゃんもここで暮らそうよ」
「えっ、なんで?」
「だってお姉ちゃんと一緒にいたいんだもん。ねえ、いいでしょ?」
前言撤回。
アリスちゃんはまだダメっぽい。恐るべし、日本の夏。……いや、ある意味いつも通りだけど。
そういえば、最近、あんまりマンガ読んでなかったな。色々見て見よう。
と、思っていたんだけど……
「んっ!? むっ……ん……っ」
二人で同じ個室に入ってマンガを読んでいたとき、呼ばれて顔を上げると、いきなり唇を塞がれた。
「ちょ、ちょっと……急にどうしたのっ?」
動揺しちゃったのは、キスをされたからじゃない。
キスの仕方がいつもとは違うから。
両手で頬を挟まれるみたいにされる。そこまでは今までにもあった。けど、今はそのままの勢いで押し倒されてしまった。
「結婚しよう、お姉ちゃん」
「けっ……」
急に言われて、うまく言葉を返せない。
いや、何度も言われた言葉だけど、どうして今……
「やっぱりダメかあ……」
アリスちゃんは残念そうにため息をつく。……えっ、なに?
「さっき読んだマンガにこういうシーンがあったから。真似したらOKしてくれるかもって思ったのに……」
肩を落とすアリスちゃん。
一方の私も脱力してしまった。
「もう、急に何かと思った」
「ごめんごめん」
アリスちゃんは「えへへ」と笑う。
「でもね、結婚しようっていうのは、真似じゃないよ」
じっと見降ろされて、私は動くことは勿論、目を逸らすこともできない。
「お姉ちゃん、結婚して。必ず幸せにするから」
「そ、それは……」
また、私は言葉を返せない。
この間二人で閉じ込められたときも、何も言えなかったっけ。
言わなきゃって思ってるのに。
アリスちゃんのことは大好きだ。
一緒にいて楽しい。今日新しい一面を見て、そこもかわいいなって思えたし。でも……
結婚。結婚かあ。
どうも実感がわかない。私はまだ大学生で、アリスちゃんは高校生だし……
「私たち、もう結婚できるんだよ。だって、私もう十六歳だもん」
そっか、それでか。それで誕生日以来、よく「結婚しよう」って言ってるのか。
「だから……ね? いいでしょ?」
く、くすぐったい……っ!
太ももを撫でられながら、耳元で囁かれて……
な、なんか熱い……来たときはちょっと寒いくらいだったのに。だ、だめ……また、変な気持ちに……
「結婚して、お姉ちゃん」
「ぅ……」
もう訳も分からないうちになにかを言いかけた、その時、
コン、コン
扉がノックされ、私はハッと我に返った。
どうやら、もうすぐ時間になるからそれを伝えに来てくれたらしい。
延長しますか、と訊かれたら、
「いえ、大丈夫です。もう出ますので」
私が答えるよりも早く、アリスちゃんが答えた。
帰ろっか、と荷物をまとめるアリスちゃん。
相変わらず切り替えの早い子だ。私には、とても真似できそうにない。
「ただいまー」
返事はない。お母さんはまだ帰っていないらしい。
「かゆ……うま……」
アリスちゃんはまたヤバな状態になっていた。
もう夕方なのに結構暑いもんね。流石に昼間よりはマシだと思うけど。
汗をかきまくったので、二人で一緒にシャワーを浴びる……のはちょっと色々思い出すことがあってアレなので、アリスちゃんに先に浴びてもらう。
その間に、私は部屋を涼しくしておこうと思って、買ってきた乾電池を古い乾電池と取り換えようとして……
「…………」
「あれ、お姉ちゃんどうしたの? リモコン持ったまま固まっちゃって」
シャワーを浴び終えたらしいアリスちゃんがリビングに来ていた。
私はゆっくりと振り向く。
そして口にした。気づいてしまった、恐るべき事実を。
「乾電池、違う形買ってきちゃった」
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