第32話 こっそり静かにできるよね?
「小岩井さーん。これ二番テーブルに運んでくれる?」
「はーい」
「すみません。お会計お願いします」
「ただいまお伺いしますので少々お待ちください」
アリスちゃんがうちでバイトを始めて、早くも一週間が経った。
早くも仕事に慣れたらしいアリスちゃんは、あっちへこっちへ動き回っている。
すごいな。私は慣れるまでちょっとかかったのに。要領のいい子だ。
ていうのも……
「アリスちゃん、このコーヒー持って行っ……てっ!?」
「はあい」
アリスちゃんの素直なお返事。
私の声は上ずってしまったけど、アリスちゃんは何でもないようにコーヒーを持って行った。
ビックリした。
また……まただ。
「ねえアリスちゃん、四番テーブルって……んむっ!?」
「んっ……私が片付けておくね」
うぅ……また……
ここ三日間、シフト中、アリスちゃんは私にちょっかいを出してくる。
からかうみたいに、でも仕事の妨げにならない程度に、体を触ったりキスしたりしてくる。
誰にもバレないようにタイミングを見計らって、それでいて私の反応を楽しむみたいにちょっと意地悪な顔で。
そう、アリスちゃんは意地悪だ。
タイミングがあっても、毎回してくるわけじゃない。
何もしてこない時もあって、私は一人で身構えてしまって。
それで油断してしまえば、見計らったようにしてくるのだから困ってしまう。でも……
この状況を秘かに楽しんでいる自分も確かにいるのだから、自分が分からなくなってしまう。
「いや~、アリスちゃん働き者だね~」
休憩中、井上が言った。
「最近めっちゃ忙しいからさ。マジ救世主だよ」
なんてため息交じりに言っているけど、コイツ、結構要領がいいからアリスちゃんに仕事を任せて自分は余裕を持ってたりする。
それを指摘すると「ソンナコトナイヨー」なんて言っていた。
まったく……まあいいか。私がフォローすればいいわけだし。
ともかく、アリスちゃんはもうすっかり頼りにされているっぽかった。……この場合、井上が寄生しているだけとも言えるけど。
ところで、さっきから気になってることがあるんだけど……
「なに読んでんの?」
珍しく、ほんとーに珍しく、井上が本を読んでいる。いや、性格には雑誌だけど。
「占い」
短く答えて表紙を見せてくれる。
そこには『相性診断! 別れないためのカレシ選び!』なんて文字が躍っている。
「みゃーの、私分かったの」
井上はさも真剣な顔つきになって言った。
「すぐ分かれちゃうのは、相性が良くないからだって……あ、体じゃなくて性格ね」
「分かってる」
いちいち言わないでほしい。
「だからさ、付き合う前に見極めればいいんだよ! なんとなく付き合うんじゃなくて! どうこの逆転の発想!」
「今までよっぽど何も考えてなかったんだね」
いや、ていうか……
「井上って、占いに興味あったんだ?」
「うんにゃ、特には」
「え、じゃあ何で……」
「だって! 最近カレシと別れてばっかなんだもん! みゃーのも全然慰めてくれないし! 藁にも縋る気分なんだよわたしゃ!」
あ、そう。
なんか、急激に興味が失われていくな。
「それに、読んでみると結構面白いよ。ほら、こんなのも載ってる」
井上が見せてくれたのは、星座占いのページだった。
私はみずがめ座。で、その欄には……
アクシデントに注意! 思わぬ災難に見舞われるかも!?
「はんっ」
「あれ、冷めた反応。こういうの信じない人?」
「まーね」
「つまんないなー。後で泣きを見ても知らないぞー? ほらほら、もしアクシデントに見舞われたら、素直な気持ちをさらけ出せば助かるかも!? だって」
でた。情報量ゼロ、論旨もメチャクチャ、根拠なし、しかも「かも!?」とかいって予防線を引いている。こんなのを信じる人の気が知れない。
まあ、一人で楽しむ分には問題はないよね。私は信じないけど。
休憩が終わりフロアに戻ると、アリスちゃんが誰かと話しているのが見えた。
ひょっとして何か問題でもあったのかなと思ったけど、近づくと星野さんだと分かった。
すると向こうも私に気づいてくれて、挨拶をしてくれる。
星野さんは、最近お店によく来てくれている。
空いている時間帯に来て、一時間くらいコーヒーを飲みながら勉強をしているみたい。
真面目な子だ。井上も見習ってほしい。でも……
「星野さん勉強してんの? ……なにこれフェルマー?」
漸化式をフェルマーの最終定理と思うあたり無理そうだ。……ほんと、よくコイツ大学受験受かったな。
「終わったーーっ!」
最後のお客さんの会計をすませて、店を閉めた後、井上が両手を上につき上げて言った。
「いやあ、今日も一日中働いて疲れましたなあ」
とか言ってる割には元気そう。体力はあるっぽいんだよな。
相変わらず適当なやつ。まあ、いっか。帰ろ帰ろ。
と思った時、不意に思い出した。
うちの店では倉庫の在庫確認を交代でやってるんだけど、今日は私の番だったのを今思い出した。
めんどいけど仕方ない。終わらせてから帰らなきゃ。
「大変だねみゃーの。まあ、頑張りたまえ」
……流石にムカついてきたな。まあ井上だし、こういう言動も予想どおりではあるけれど。
「お姉ちゃん、こっちの在庫はオッケーだよ」
予想外なのは、アリスちゃんが在庫確認を手伝ってくれてることだ。
「ありがとう。こっちも大丈夫。あとは……」
おかげで早く終わりそう。後はここを確認すれば……!?
「あ、アリスちゃん、何してるの……?」
「お姉ちゃんに抱き着いてます」
何故……いや、まあいっか。普段してくることに比べればアレだし。それに何かいい匂いも……!?
「あ、アリスちゃん、何してるの……っ?」
「お姉ひゃんの耳を甘噛みしてまう」
何故……いや、まあいっか。ちょっとくすぐったい。それに、何か……!?
「あ、アリスちゃん、何してるのっ!?」
「お姉ちゃんの足の付け根を触っています」
何故……いや、まあいっか。もっと変なところ触られたこともあるし。それに……って、いやいやいやいや!
「ちょ、ちょっと! そこは流石にダメだって!」
「え~、どうして?」
「どうしてって……」
普通そんなところ触らないでしょ。それに、くすぐったくて変な気持ちに……!?
「やっ、ダメだってば……!」
流石に焦る。
私のスカートの中に入っていたアリスちゃんの手が、今度は下着を脱がそうとしてきたから。
「待ってお姉ちゃん。逃げないでよ」
体をよじって逃げようとするけど……うぅ、やっぱり力強い。
今度は手首を掴まれて、私は簡単に動きを封じられてしまう。
「どうして逃げようとするの? 逃げられないって分かってるでしょ? それに……」
アリスちゃんは言葉を切って、じっと私を見てくる。意地悪な笑みを浮かべて。
「本気で嫌がってもいないくせに」
……確かに、そうだ。
本当に嫌なら、突き飛ばすとか、大声を出すとかすればいいんだ。
でも、できない。うぅん、しない。
本当は私も、アリスちゃんにされることを、心の底では……
ガチャ
…………ガチャ?
あれ? なんか今、変な音が聞こえたような?
気のせいかな? と思ったんだけど、
「あれ?」
アリスちゃんも不思議そうな顔をしていたので、そうじゃないと分かった。
そして、ガチャ、という音の正体も。
二人してドアノブを回して、それが間違いじゃないことが確認できた。……できてしまった。
「……私たち、閉じ込められちゃったみたいだね」
半ば予想通りの結果。
予想外なのは、何故かアリスちゃんがちょっとうれしそうなところだ。
「えぇえええええっ!? ほ、ほんとに閉じ込められたの!?」
「うん。そうみたい」
突然の事態に動揺する私。とは裏腹に冷静なアリスちゃん。
え、ていうか、どういうこと?
オーナーが閉めちゃったのかな? そういえば、ここで作業してること言ってなかったかも……
ドアを叩いて呼んでみるけど、聞こえていないのか返事はなかった。
あ、あれ……? これ、結構ヤバくない? 明日は定休日だし、明後日まで出られないんじゃ!?
無理無理! それはマジでヤバい! 動揺しそうになったけど、なんとか抑える。だって、ここにはアリスちゃんもいるんだ。私がしっかりしなくっちゃ!
「閉じ込められちゃったね、お姉ちゃん」
……なんか、アリスちゃんがうれしそうなんだけど。さっきのは見間違いじゃなかったみたい。
幽霊とかは苦手なのに、こういうのは平気なのか。
「どうしよー! こわーいっ!」
なんて言いながら抱き着かれた。……アリスちゃんのほうが背が高いから、抱きしめられたみたいな感じになってるけど。
怖ーいなんて言ってるけど絶対嘘だ。何か笑ってるし。ていうか……
「これ、アリスちゃんの仕業じゃないよね?」
「えぇっ!? そんな訳ないじゃん!」
アリスちゃんが本気で驚いている。どうもほんとっぽい。
「なんでそんなこと言うの?」
「だって全然驚いてないから。何か知ってるのかなって」
「そんなんじゃないってば。でも、安心してお姉ちゃん! 必ず私がついてるからっ!」
「だから心配なところもあるんだけどね」
思わぬアクシデントに見舞われちゃったな……
あれ? ふと頭に思い浮かんだフレーズに首を傾げる。今の、どこかで聞いたような……あっ。
そうだ。休憩中、井上が読んでた雑誌に書いてあったやつだ。
じゃあ占いが当たったってこと? いやいや、まさか。ただの偶然に決まってる。でも……
確か、アクシデントに見舞われた時の対処法も書いてあったよね。
えっと、素直な気持ちをさらけ出すとかなんとか……
意味分からん。何だろう、素直な気持ちって……!?
「こ、今度は何っ!?」
「お姉ちゃんの匂いを嗅いでます」
「な、なんで……っ?」
「いい匂いだから」
そうかな? アリスちゃんのほうがいい匂いだと思うけど……いやいや、そういうことじゃなくて!
「だめだよ。今汗臭いと思うから……」
「そんなことない。とってもいい匂いだよ」
言いながらもクンクン匂いをかがれて、くすぐったさで体が振るえて……
あれ……? なにか違和感を感じた。
私だけじゃない。アリスちゃんもちいさく震えていた。
理由なんて一つしかない。アリスちゃんも不安なんだ。
やっぱり、私がしっかりしなきゃ。
体の向きを変えて、アリスちゃんを抱きしめる。
「お姉ちゃん……?」
「大丈夫だよ、アリスちゃん。きっと私が何とかするから」
でも、どうしよう? スマホは外だし、連絡も取れない。どうすれば……
また頭に思い浮かぶ。素直な気持ちをさらけ出す……
素直な、気持ち。アリスちゃんへの?
アリスちゃんのことは好きだ。
好きだけど、でも……
「大好きだよ、お姉ちゃん」
「うん、私も。大好き」
「結婚してくれる?」
「そっ、れは……」
アリスちゃんは好きなのに、結婚って言葉を聞くと、どうも尻込みしちゃうっていうか、なんかなあ……
別に嫌ってわけじゃない。
嫌じゃないなら、いいってこと?
いやいや、それは流石に突飛だよね。
でも素直に、素直な考えを言えば……
「まだ……待って。そういうの、実感がわかなくて……」
「うん。いいよ」
我ながら煮え切らない答え。
でもアリスちゃんは、優しい声で答えてくれた。
目が合う。自然と、何かに引き寄せられるみたいに、お互いに顔を近づけていって……
「二人とも大丈夫!? ごめんなさい、いるなんて知らなくて……」
唇が触れ合う直前、オーナーがドアを開けて入ってきた。
「ごめんねお姉ちゃん。そんなに怒らないでよ」
すっかり暗くなった夜の街で、私たちは無事に帰路についた。
珍しく、アリスちゃんが申し訳なさそうだ。
ていうか、別に私怒ってるわけじゃないんだけどな。確かに、ちょっとムッとはしてるけど。ていうのも……
「ホントにごめんね? 別に騙そうとしたわけじゃないんだよ?」
アリスちゃんは、休憩時間に井上から占い本を借りて読んだらしい。
そこでみずがめ座の欄を読んで、アクシデントの件を知った。そうしたら本当にアクシデントに巻き込まれたので、利用することにしたんだとか。
つまり、私に素直な気持ちを言わせたかった。だから不安そうなふりをした。
ちなみにスマホはポケットの中に入っていたから連絡もできたらしい。
いや、やっぱ騙してたってことじゃ? ……ちょっとムカついてきたかも。
「お、お姉ちゃぁん……」
後ろから聞こえてくるのは、アリスちゃんの声。それはとっても不安そうだけど……
これは演技じゃないよね? ないだろうけど……
さっきのことがどうにも尾を引いてしまう。だって、私は本当に心配したのに。
アリスちゃんが怖がってるだろうって、なんとかしなきゃって、とにかく安心させなきゃって思って。
なのに、まったく……
ま、いつまで怒ってても仕方ない。そろそろ……と思うのに、なんかタイミングが分からなくなっちゃった。
「きゃっ!?」
後ろから短い悲鳴が聞こえて、反射的に振り返る。すると、バランスを崩して倒れかかっているアリスちゃんが目に入った。
抱きとめようと手を伸ばして、
ちゅ
抱きとめることはできたけど……唇も触れ合う。
「ご、ごめん、お姉ちゃん……」
「うぅん、私こそ」
お互いにそのまま固まって、見つめ合って……
それから、なんだかおかしくてクスクス笑ってしまった。アリスちゃんも、一緒に。
「お姉ちゃん、本当にごめんね。もうしないから」
「私こそ。ちょっと怒りすぎちゃった。でも、もう怒ってないから」
「ほんと?」
「うん。ほんとほんと」
安心したように笑うアリスちゃんを見て、私も安心できた。
また思い出す。
占い本に書いてあったことを。
アクシデントに見舞われる。素直になれば解決できる。
本当にその通りになったけど……
いやいや、偶然だよね。うん。
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