第30話 正体見たり?

「お、お姉ちゃーん? どこ行っちゃったの……? ねえー……」


 暗ーい森の中、アリスちゃんがいつになく不安そうな表情で、オドオドとした態度で辺りを見回している。



 私はといえば、少し離れた場所から、こっそりとその様子を見ていた――




 二時間前。


 私は目を覚ましたというよりは気がついたといった感じで意識を取り戻した。



「よかった。お姉ちゃん、大丈夫っ?」


 一番に飛び込んできたのは、アリスちゃんの顔だった。


「う、うん……だいじょう……ぶっ!?」


 唐突に思い出した。


 一体、自分でどこで何をされていたのか……



「あ、まだダメだよ起きたら。ほら、横になって」


 言われるまま横になって初めて気づく。


 自分がリビングで、アリスちゃんの膝枕で寝ていることに。



「お姉さん、目が覚めたんですね。よかった……」


「まったく、のぼせるほど入るなんてねー。ほら、水でもお飲み」


 星野ほしのさんと、あと井上いのうえも心配してくれたらしい。二人も心配そうな顔で私を覗き込んでいる。



 一度起き上がって、井上から渡された水をゆっくり飲む。


 ……飲んで、ようやく頭が働き始めた。



 私がああなったとき、井上も傍にいたよね!? てことは……まさか私が何されてたかバレてるんじゃ……


 と思ったけど、時計を見ると結構時間が経ってる。あれは井上が出て行った後の出来事らしい。


 だからお風呂でのぼせたってことになってるのかー、なんてちょっとズレたことを考えちゃってる辺り、私の頭はまだ混乱中みたい。



 とりあえず安堵の息を吐く。


「おおそうか、私が淹れてあげた水はそんなにおいしいか」


 そういうわけじゃないんだけど……まあ、そういうことにしておこう。



「そういうわけじゃないと思います」


 とこ、これはアリスちゃん。一体何を言ってるんだろうと思ったら、


「お姉ちゃんは、私の膝枕が気持ちよかったんだよねー」


 なんて言いながら、私の後ろから抱き着いてきた。



 その瞬間、私の頭にはまるで走馬灯のように、お風呂でのことが駆け巡る。


 あの感覚と、初めて見る自分の顔、それにかすれた声……



「大丈夫ですか? また顔が赤くなってますけど」


 星野さんの声でハッと我に返り、記憶を振り払うみたいにブンブン頭を振る。


「大丈夫大丈夫っ! ちょっとボーっとしてただけだから!」


 いや、待てよ。



「やっぱり、ちょっとダメかも。部屋で横になろうかな……」


 ぼろを出さないように、一人になった方がいいかもしれない。


 と思ってそう言ったんだけど、




 私たちは、みんな外に出ていた。


 気分転換にみんなで散歩しませんかとアリスちゃんが言い出したからだ。


 けど……



「やっぱり肝試ししない? なんか雰囲気あるし」


 街灯の少ない森の前まで来たとき、突然井上が言った。


「え、でも準備とか何もしてないでしょ?」


「そうだけど。二人に分かれて歩いてくるだけでもいいじゃん」


 と言いつつ、井上は視線をアリスちゃんと星野さんへ向けて、確認を取っているみたいだった。



「私はいいですよ。面白そうですし」


 と星野さん。


「うん。私も……いいですよ」


 二人の許可が出て、井上は満足そう。



 でも、気のせいかな? アリスちゃん、あんまり乗り気じゃないっぽい……?




 井上と星野さん、私とアリスちゃんの二組に分かれた。


 先に井上たちが行って、私たちはその十分後に行くことになった。


 そして十分後。私たちは森に入ったんだけど、



「…………」



 アリスちゃんが超静かだ。


 さっきから全然喋らない。しきりに辺りを気にしているし、落ち着かない様子だ。これってもしかして、



「アリスちゃん、怖いの?」


 何気なく訊いてみる。と、


「えぇっ!? そっ、そんな訳ないじゃん! ちっとも怖くなんかないよ!」


 手と頭をブンブン振るアリスちゃん。



 …………



 ……………………



「わっ!」


「きゃあああああああああああああああああああっっ!?」


 絹を裂く悲鳴っていうのはこういうのを言うのかな、思わず私までビックリしてしまった。



「だ、大丈夫っ? ごめんね、怖がらせちゃって……」


「べ、べつにっ? 怖がったりしてないよっ」


 そう言いつつも、アリスちゃんの目は泳ぎまくっていた。


 ……なんか、こういうアリスちゃん、ちょっと新鮮かも。


 そう思うと、ついついイタズラ心が芽生えてしまった。



「ね、今何か音しなかった? ちょっと行ってみようよ」


「えっ? ま、待ってお姉ちゃん……!」


 私はわざと聞こえないふりをして奥に入っていく。そして木の陰に隠れてアリスちゃんの様子を窺うと、



「お、お姉ちゃーん? どこ行っちゃったの……? ねえー……」


 暗ーい森の中、アリスちゃんがいつになく不安そうな表情で、オドオドとした態度で辺りを見回している。



 あんなアリスちゃん初めて見た。


 本当に怖いの苦手なんだな。そういえば、前にテーマパークに行ったときも、絶叫マシーンには乗ったけど、お化け屋敷にはいかなかったっけ。


 どうしよう、そろそろ出て行ったほうがいいよね。でも……



 私の頭に思い浮かぶのは、お風呂場でのこと。


 ていうか、今までのこともだ。散々意地悪なことをされて、やめてって言ってもやめてくれなくて……


 そのことが、私にも意地悪な選択をさせてしまう。



 不安そうな顔で、声で、私を探すアリスちゃん。


 その姿を見てると、なんか……



 あれ?


 いきなり、アリスちゃんがその場にしゃがみこんだ。


 一体どうしたんだろうと思っていると、



「うっ……うぅ……ぐす……っ……」



 あ、あれ?


 もしかしなくても、アリスちゃん、泣いてる?


 え……えっ、嘘! それはヤバいよ!



「アリスちゃん!」


 慌てて駆け寄ると、アリスちゃんは体を震わせながら私を見てきた。


「お、お姉ちゃぁん……」


 アリスちゃんは涙目だった。


 ていうか、やっぱりちょっと泣いていた。



「だ、大丈夫っ?」


「だいじょぶじゃないよぉ……」


 微妙に呂律の回っていない声だった。ヤバい、やっぱやりすぎたかも。


「ごめんごめん。ホントごめんねっ?」


 アリスちゃんを抱きしめると、その体は小刻みに震えていた。



 ああ、マズったなあ。


 ついついやりすぎちゃった。


 ほんのちょっとからかおうとしただけだったのに、こんなことになるなんて。



「私、お化けとか苦手なの……」


 ポツリ、と呟くみたいにアリスちゃんは言う。


「ほんと、お化けだけは無理で、でもお姉ちゃんに情けないこと言いたくなくて、それで……」


「うん、分かったから。もう大丈夫だよ。本当にごめんね。ちょっとふざけすぎちゃった」


 言葉に合わせて、ゆっくりとアリスちゃんの頭を撫でる。


 しばらくそうしていると、なんとか泣き止んでくれた。



「まだ怖い?」


 アリスちゃんはなかなか答えてくれなかった。


「……こわい」


 やがて、ちいさな答えが返ってきた。


 見ると、アリスちゃんは潤んだ目で私を見ていた。



 もしかしたら、おかしなことを言われるかも。


 例えば、そう……



「キスしてくれたら、怖くなくなるかも」


 心の中を読まれたみたいだった。私が思い浮かべた言葉を、アリスちゃんは一言一句違わずに言った。


 いつもとは違う、おねだりするみたいな口調に、何だかドキドキする。


 アリスちゃんはゆっくりと目を閉じた。まるで、何かを待つみたいに。


 そんな、彼女の健気な姿に、私は時間も、求められたことさえ忘れて見入ってしまって……



「なんで……」



 どのくらいの時間が経ったのか、アリスちゃんの擦れた声が、私の意識に入り込んできた。



「何でキスしてくれないの……? 早くして……おねがい……」


 体を小さく震わせて、潤んだ目で、阿るみたいに懇願してくるアリスちゃん……


 そ、そんなことされたら私……


 何かに目覚めちゃいそうなんだけどっ!



 よ、よしっ!


 ここまで来たらやってやろうじゃん!


 アリスちゃんにここまで言わせて引き下がれないし!



「ご、ごめん。じゃあ、するね? 私、がんばるから……」


 体の震えを止めてあげなきゃ。


 アリスちゃんがもう怖くないように、いつも私にしてくれるみたいに、私のことだけ見てくれるように……



「んっ……ちゅっ……ん…………んむぅっ!?」



 突然、私に身を任せてくれていたアリスちゃんが私の顔を両手で挟んできて、唇を強く押し付けてきた。


 そのままの勢いで舌を絡められて、唾液が混ざり合って、ついに口の端から漏れてしまう。



「あっ、アリスちゃ……っ……どうしたの?」


 唇が離れた時を見計らって、息も絶え絶え、なんとか言う。


「だって……だって、まだ怖いままなんだもん……」



 そっか。


 いつもと同じじゃダメなんだ。


 もっと、もっと強くやらなきゃ。私の全部で、アリスちゃんを満たさなきゃ……



「アリスちゃん、こっち見て」


 私は、なるべく優しい声を心がける。


「周りは見ないで……えっと、私の、ことだけ見て……いい?」


 ちょっと恥ずかしいけど、前、テーマパークに遊びに行ったときアリスちゃんがそうしてくれたように。



 アリスちゃんは、無言で頷いてくれた。


 私たちはゆっくりと惹かれ合う。


 啄むような触れ合いは、ほんの数回。その後は、さっきと同じくらい……うぅん、それよりもっと激しく。


 だめ、これくらいじゃ、まだきっと足りない。もっと、もっと……っ!




「おーーい、みゃーのー! 大丈夫かー!?」


「小岩井さーんっ! いたら返事してー!」


「みゃー……おお、いたいた! ……て、何で抱き合ってんの?」


「うぅん、べつに!」


 あ、危なかった。あとちょっと遅かったら、二人に見られるところだった。


 ていうか、見られてない……よね?



 慌てて誤魔化す。


 本当は離れてしたいんだけど、アリスちゃんが私に抱き着いたまま離れないので、私もアリスちゃんを抱きしめたままだ。



「お二人は本当に仲がいいんですねっ」


 井上は呆れた表情だけど、星野さんは何だか楽しそうだ。


 よかった、見られてはいないみたい。



「ちょっと転んじゃって、アリスちゃんが助けてくれたんだ」


「ドジなやっちゃなー」


 ……誤魔化せたのはよかったけど、井上にこういうこと言われるのはムカつくな。いや、マジで。




 冷静さを取り戻したらしいアリスちゃんの案内で、さらに奥に進んで、神社を通り、森を抜けると広間に出た。


「昔はね、別荘に来ると、必ずここに来てたんだ」


 アリスちゃんが、当時を懐かしむみたいに言った。



「キレイな夜景……」


 自然と、感想が零れ出る。


 星野さんも、井上でさえ夜景に見入っているみたいだった。



「この景色をお姉ちゃんと見たかったの。だから、見れてよかった」


 そっか。だからか……


 だからアリスちゃんは、散歩に行こうと言ったんだ。


 私に、この景色を見せてくれるために。



「うん。見れてよかった。私も」


 示し合わせたわけでもないのに、私たちは顔を見合わせて、何故かクスクス笑ってしまった。



「おーおー。何だかいい雰囲気ですなあ」


「ほんと、二人だけの空気って感じですね」


 それをからかうみたいに笑って見てくるのは、井上と星野さん。



「はい。私、お姉ちゃんを愛しているのでっ」


 アリスちゃんは便乗して、私の腕に自分の腕を絡ませて抱き着いてくる。



 私はといえば、「私も愛してるよ」なんてことは言えるはずもなく。


 ありがとーなんて、曖昧に笑って。



 アリスちゃんは、もうすっかりいつものアリスちゃんだ。


 さっきまでのことは、夢だったんじゃって思ってしまうけど……


 あれもやっぱりアリスちゃんで……



 私はもう、忘れるなんてできそうになかった。

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