第21話 あの日から一番遠い場所

 アリスちゃんがホームステイに来て、大分経った。


 初めての夜、アリスちゃんにキスされた。


 すごくビックリしたけど、全然イヤじゃなくて、私は初めての感覚に呑まれそうになった。


 それから、家で、高校で、住宅街で、大学で、色々なところでキスをした。


 すごく恥ずかしくて、最初はされるがままだったけど、そのうち、私は自分から求めるようになって……



 アリスちゃんは、いつも私に優しくしてくれる。


 キスだけじゃない、アリスちゃんはいつも、私に優しく触ってくれる。


 私はそれが好き。大切にされてるんだってことが分かるから。


 いつでも、それは変わらない。でも……




「二人とも、さっきキスしてた、わよね……?」


 アリスちゃんのお母さん……夏織かおりさんに盛大にバレてしまった。


 これはまずい、と思ったんだけど……



「うん。したよ」


 素直すぎるアリスちゃん。


「さっきのはね、おはようのキス。ただのあいさつだよ」


 と思ったら誤魔化した。



 私はといえば、ちょっと感心してしまった。


 よくこんなに誤魔化す言葉が出てくるなあ。私にはマネできそうもない。



「昨日ホラー映画見たら怖くなっちゃって。それで一緒に寝てもらったの」


 ……いや、ほんと凄いなあ。


 よくこんなに言い訳がポンポン出て来るよ。



 でも、夏織さんも流石私のお母さんの姉だ。


「二人とも相変わらず仲がいいのねえ」


 ……だからさ、ちょっと能天気すぎませんか。


 まあ、いいんだけど。その方が助かるし。




 今日は日曜日。


 いつもならアリスちゃんと何かしようかって感じだけど、生憎、今日私はバイトがある。


 そしてアリスちゃんも、夏織さんと出かけるそうだ。久しぶりの親子水入らずだから。



「はあ……」


 バイト中、思わずため息が出てしまう。


「どーしたみゅーの。ため息なんかついて」


 訊いたくせに、井上いのうえはそれほど興味がなさそうだ。



「そんなにメイド服着るのがイヤなのか?」


「そういうわけじゃないけど」


 私たちが働いている喫茶店では、メイド服が制服代わりになっているけど、メイド服を着ることは別に強制じゃない。


 ただ、着て仕事をすると自給が上がるため、ほとんどの従業員がメイド服を着ている。



「ひょっとして、従妹の子……アリスちゃん? と何かあって困ってるとか?」


 訊かれて、でも私は口ごもってしまう。困ってるとか、そういうアレじゃないんだよなあ……



 何かあって困ってるっていうか、何もなくて困ってる。


 いつもならもっと、キスされたり、キスされたり……


 うん、キスされたりするのに。


 なんだか、今日はちょっと物足りない。



 私、すっかりアリスちゃんになんか……されちゃったなあ……




 バイトを終えた私は、寄り道をすることにした。井上と一緒に。


 といっても、井上のアパートだけど。大学に入ってから、彼女はここで一人暮らしをしてる。



「なんかみゃーのとこうするのも久しぶりな気がするなー」


 井上が言った。


「そうだっけ?」


「そうだよー。最近アリスちゃんのことばっかりじゃん。もっと私に構えーカレシと別れた私を慰めろー」


 なんて言いながら、私に引っ付いてきた。……う、鬱陶しいっ!



「てか、また別れたの? 今度は何で?」


「さあ? 性格の不一致じゃね? 多分」


 多分。


 そう来たか。なんかもう、はあ、としか答えようがない。



「だって聞いてよ! あいつさー……」


 井上の言葉は熱を帯びていく。一方の私はどんどん冷めていく。


「あー」とか「んー」とか、適当に返していたらやがて井上は満足したらしい。


「みゃーのはカレシ作んないの?」


 なんてことを訊いてきた。でも……



「私はいいかな。アリスちゃんがいるし」


 なんてことを自然に言ってしまったので、私は私にビックリした。



「えっ……え!? なにそれどーいう意味っ!?」


 井上もビックリしていて、しかも興味津々。


「二人ってそーいうかんけーなのっ!? まじで!?」


「いっ、いや別に! そういうわけじゃなくて、その……ただアレだから、ナニかなって」


「……つまりどういうこと?」


「そういうのはいいってこと」



 井上は「ふーん」と頷きはしたけど、なんだか納得はしていないみたいに見えた。


 それでも引き下がってくれたから……うん、助かった。



「なんかみゃーのって、随分アリスちゃんをかわいがってるよね」


「そうかな?」


「そうだよ。さっき雑貨店に行ったときも『これアリスちゃんが好きそう』とか言って買い物してたじゃん。バイト先でも、たまにケーキお土産にしてるし」


「まあ、うん……」


 何かプレゼントすると、アリスちゃんはいつも喜んでくれるし。


 あの子の笑顔が見たくて、ついついプレゼントを買っていってしまう。



 思えば、私は昔からアリスちゃんの笑顔に弱い。


 単純に、かわいい、大好きな従妹の笑顔が見たいからっていうこともあるけれど、それだけが理由じゃない。


 あの子の悲しそうな顔を、もう二度と見たくないからだ。




「ただいまー」


「お帰り、お姉ちゃん」


 家に帰ると、いつものようにアリスちゃんが出迎えてくれた。


 出先から帰っていたらしい。夏織さんも、まだ家にいるみたいだった。



 アリスちゃんにバイト先のケーキと、雑貨店で買ったきれいな模様をしたコースターを渡すと、うれしそうに受け取ってくれた。でも……


 何だろう、気のせいかな? アリスちゃんの様子が、いつもとはちょっと違う気がする。


 うーん……?



 でも、その感覚はすぐに消えてしまった。


 アリスちゃんはいつものアリスちゃんだ。Wお母さんの前でも、私に「あーん」してくるし。


 ひょっとして、遊びに出てすこし疲れたのかな?


 それなら、きっとお土産が役に立つ。買ってきてよかった。




「どう? アリスちゃん」


「おいしいよ。ありがとう、お姉ちゃん」


 アリスちゃんはおいしそうに食べてくれている。うん、よかった。


 夕食を終えると、私はアリスちゃんを自分の部屋に誘って、お土産のタルトを食べることにしたんだけど……



「お姉ちゃんのも、ちょっと食べてみたいなあ」


 急にそんなことを言われた。


 私が食べているのはブルーベリーのタルトで、アリスちゃんのはイチゴのタルトだ。


 でも……



「え、もう全部食べちゃったよ?」


「うぅん、まだ残ってるよ」


 アリスちゃんが、私のすぐ傍にいる。



「……んっ」



 甘い。私の口の中に、甘い味が広がって行く。でも……


 違う。


 これは、ブルーベリーの、タルトの味。


 私がいつも感じている、全身に広がっていくような、思わず痺れてしまう、あの味じゃない……



「……お姉ちゃん?」


 私が唇を離したからか、アリスちゃんが怪訝そうな顔で見てくる。その後で、不安そうになってしまった。


「ごめんね? うまくできなかったかな……」


「うぅん、違う! 違うよ、そうじゃないの。ただ……」



 どうしよう、どう訊くべきかな。


 考えたけど、どうしてもぎこちない訊き方しか思い浮かばなかった。


 だから結局、ストレートに訊くことにする。



「アリスちゃん、もしかしてだけど、何かあった?」


 すると、アリスちゃんは驚いた顔になった。


 でも、それは一瞬だけ。ちょっと俯いて、ちいさな声で「敵わないなあ」と言ったのが聞こえた。



 やっぱり、何かあったんだ。


 それ自体は予想通り。でも……


 次にアリスちゃんの口から出てきた言葉は、まったく予想だにしない言葉だった。



「私、この家を出ることになったの」

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