第20話 女の子同士って普通だよ

「お姉ちゃんは、かわいいなあ……」


 耳元で囁かれて、くすぐったさと恥ずかしさで、全身が震える。



 アリスちゃんは、やっぱり優しい。


 そっと、慈しむみたいに、私の体に触ってくれる。でも……



 肝心なところは、触ってくれない。


 ギリギリまで期待させるくせに、すぐに離れていってしまう。


 近づいて、離れて、全然違うところを触られて……うぅうう……っ!



「どうして……」


 また、声が漏れた。あの時みたいに。


「どうして、触ってくれないの……っ? いじわる……いじわるぅ……っ」



「お姉ちゃん」


 呼ばれただけで、私の体は震える。


 期待と、恥ずかしさと……



「ちゃんと言ってくれなきゃ分からないよ。どうして欲しいのか、ちゃんと教えて?」


 アリスちゃんはいたずらっぽく笑うだけ。分かってるくせに……


 どうしよう、もう我慢できない。こうなったら、自分で触っちゃおうかな。


 でも、ダメ。そんなこと、アリスちゃんの前でできるはずない……


 なら、このもどかしさを上書きできるくらいの、強い刺激が欲しい……



「キス、して……?」



 突然、強い力に引っ張られた。


 気づけば視界が変わって、私は天井を見上げている。


 アリスちゃんに覆いかぶさられて、ベッドに押し倒されたんだとようやく気づく。



「あ、アリスちゃ……っ!?」


 服をはだけさせられ、キャミソールを捲り上げられる。


 慌てて胸元を隠そうとすると、手首を掴まれて、強引に離された。



 さっきまでとは全然違う、乱暴な扱い。


 心臓が破けちゃうんじゃって思うくらい、ドキドキしてる。



「キスだけでいいの?」



 その言葉は、雪みたいにふわふわと降ってきた。



 アリスちゃんの顔が、ゆっくりと近づいてくる。


 彼女の宝石みたいな金髪が垂れて、私は繭に包まれた気分になった。



「お姉ちゃんが望むこと、何でもするよ」



 耳元で囁かれ、私は体の震えで理性が弾き飛ばされるのを感じた。


 気づいたときには、望むことを口にしていて――




 ――――



 ――――――――




「――――っっ!!??」



 声にならない言葉と共に、私の意識は引き寄せられた。


 私はベッドに座っていて……っ!?


 さっきまでのことを思い出して、慌てて胸元を隠そうとするけど……


 あ、あれ? 別にはだけてない。それに、アリスちゃんもいない。


 ってことは……



 さっきの、夢っ!?



 うぅううううう……っ!


 うぅうううううううううううううううううううっっ!!



 ベッドに突っ伏し、バタバタと身悶える。


 嘘でしょ……なんて夢見てるの私!



 それもこれも、アレのせいだ。あの……


 思い出しそうになって、首を横に振って無理やり霧散させる。でも……


 ああああっ!



 ああ、ダメだ。もう起きよう。


 ここにいると、すぐに思い出しちゃうから。




「おはよう……」


 ちょっと警戒しつつリビングに入ると、


「おはようってあんた、もうお昼よ?」


 呆れ顔のお母さんが一人、私を出迎えてくれた。


 アリスちゃんのお母さんは、結婚式の後、家に一拍だけしてイギリスに帰った。



「……アリスちゃんは?」


「学校。平日だもの。まったく、ちょっとボーっとしすぎなんじゃない?」


 相変わらずお母さんは呆れた様子。だけど……


 確かにそうかも。あの日から、頭がボーっとしてる。それだけじゃなくて、未だにアリスちゃんの顔をまともに見れないし。




 遅い朝食……というか昼食を済ませて、気晴らしにウィンドウショッピングをすることにした。


 アパレルショップを冷やかしたり、本屋でファッション誌を立ち読みしたり、近くのカフェでコーヒーを飲んだりした。


 そうこうしているうちに日が傾いてきた。帰ろうかと思ったけど……


 どうしよう。今日はお母さんが夕方からパートだから、アリスちゃんと二人きり。


 井上いのうえとどこか行こうかと思ったけど、それでアリスちゃんに避けてるって思われるのもイヤだな……



「お姉ちゃん?」



 聞き覚えのある声にハッとさせられる。


 見ると、そこにはアリスちゃんの姿があった。



「何してるの?」


「暇だったから、その……ブラブラと」


 ふーん、とアリスちゃんは気のない返事。


 なのに、次の瞬間にはニッコリと笑って、


「一緒に帰ろう?」



 もちろん断れるはずもなく、私はアリスちゃんと一緒に帰ることになった。




 一緒に帰って、一緒に夕食の準備をして、一緒に食べて、一緒に後片づけをして……


 そうこうしているうちに、私は自分の部屋で、ベッドで横になっていた。



 アリスちゃんと一緒に過ごして、でも特に何事もない。


 何もない。


 あの日から、私はアリスちゃんと一度もキスをしていなかった。



 思わずため息が出る。


 あの日から、ずっとモヤモヤしていて……


 って、いやいや! 何でキスしてないからってモヤモヤするの!


 どっちかというと、これが普通なんだと思うし。でも……



 アリスちゃんは、どうしてキスしてくれないんだろう? 前はあんなにしてきたくせに。



(――「どうして、キスしてくれないの……?」――)



 また、思い出してしまう。


 キスの代わりにされた、あの……



 コンコン。



 とんでもないタイミングでドアをノックされ、心臓が止まるかと思うくらいビックリした。



「お姉ちゃん、起きてる?」


 うん、と言おうとしたら思いっきり声が裏返った。


 一度咳払いをして、改めて返事をする。


 入ってもいいと訊かれたので「いいよ」と答えると……



「あ、アリスちゃん……!?」


 入ってきたアリスちゃんを見て、またビックリする。



 アリスちゃんは、白のネグリジェを着ていた。


 その姿は、おとぎ話に出てくるお姫様のようにも見えて、見惚れてしまう。でも……


 それは、一瞬だけ。


 私の意識は、すぐに別のことへ向く。



 ネグリジェの生地が、すっごい薄いっ!


 透けて、普通に見えちゃってる。


 いや、これ……隠すためのじゃなくて、見せるための……だよね?



「あ、アリスちゃん……どうしたの? 何かあった?」


 すると、アリスちゃんの顔にイタズラっぽい、からかうみたいな笑みが……


「うぅん、何でもないよ。お姉ちゃんに会いに来たの」


「そ、そう……あ、何か本でも……」


 読む? といい終わる直前、アリスちゃんの姿が揺らめいたように見えた。


 そして――



「お姉ちゃん」


 いつの間にか、私はベッドに押し倒されていた。


 あ、あれ? な、なんで……



「これ、お姉ちゃんのために選んだんだよ。どうかな?」


 アリスちゃんは下着を見せびらかすみたいな仕草をする。


 う、うぅ……見えちゃうってヴぁ……



「どうって……」


 キレイだよ。


 それしか出てこない。でも……



 これ、どーゆー状況っ!?



 私、アリスちゃんに押し倒されて……!?


 まるで、今朝の夢の中みたいに……


 じゃあ、私、この後は……



「きゃあっ!?」


 突然寝間着を捲り上げられて、悲鳴を上げてしまった。


 でも、アリスちゃんは驚いた様子なんてない。いたずらっぽい笑みを浮かべたまま、私を見下ろしている。



 ど、どうしよう……


 今つけてるのナイトブラだから、全然かわいくないやつだ。


 もう! アリスちゃんも言ってくれればいいのに! そうすればちゃんと準備して……


 って、いやいや! 準備って何! 私勝負下着なんて持ってないっ!


 いやいやいやいや! だからそういうことじゃ……っ!?



 体がビクンと震えた。


 アリスちゃんの感覚が、初めての場所にある。


 首筋だ。首筋を、舐められてるんだ……



「あ、アリスちゃん……っ!?」


 どうしてそこにって言おうとしたけど、それよりも早く、別の刺激に襲われる。


 また、太ももを撫でられている。いつもと同じ、焦らすみたいな触り方。


 これだ。これが悪いんだ。この触り方のせいで、私、いっつも……



 っっ!?



 あ、あれ……何、今の……?


 今、すっごく強い刺激が……っ!?


 ま、また……


 嘘……私、ほんとに触られて……



「こうしてほしかったんでしょ?」


 耳元で囁かれる。


 それが私には、どんな刺激よりも強かった。



「あ、アリスちゃん……だめっ……こんな……」


「大丈夫。女の子同士って普通だよ」



 アリスちゃんの言葉で、私の頭は真っ白になる。


 でもその時には、さっきの刺激は拭ったみたいに消えていた。



「お姉ちゃんから聞きたいな。ねえ、私にどうしてほしい?」


「そ、それは……」


 体が痺れて声が震える。まともに声を出すこともできない。


 アリスちゃんはじっと私を見てくる。


 私は視線を逸らすことも、瞬きすらできない。


 口になんてできないのに、まるで見えない力に引っ張られるみたいに、私の口は開いていく。



「触って、ほしい……」


「どこを?」


「…………ぉ」


「全然聞こえないなあ」


 アリスちゃんは楽しんでいるみたいだった。


 私はいっぱいいっぱいなのに、そんな、もてあそぶみたいな……



「や……」


「や?」




「やっぱりダメーーーーーーーーっっ!!」



 ダメー……ダメー……


 どこか遠くで、そして耳の奥で、自分の言葉が反響している。



 あ、あれ……?


 今更確認するまでもない、自分の部屋だ。でも……


 アリスちゃんがいない。


 たしか私、アリスちゃんに押し倒されて、それで……



 慌てて首を横に振る。


 まずいまずい! その前に、一度落ち着かなきゃ!



 私は今、ベッドの上で身を起こしている。一人で。


 そしてカーテンの隙間からは朝日が差し込んでいて……



 って、また!?


 私、また夢を見ていたの!?


 しかも、また、あんな……あんなぁ……嘘でしょ……



「んん……っ」



 私の思考を遮るのは、誰かの声。


 いや、誰かっていうか……



「あ、アリスちゃん……」



 アリスちゃんが、私のベッドで寝ていた。


 いや、うそ。さすがにうそでしょこれはわたしまさかありすちゃんと……



「おはよう、お姉ちゃん」


 笑いかけてくれるアリスちゃんに、しかし私が返せるのは引きつった笑い。


「? お姉ちゃん、どうかしたの?」


 アリスちゃんは無邪気に訊いてくる。う、うーん……



「あのさ、アリスちゃん」


 思い切って、訊いてみることにした。


「私たちさ、その……昨日、何かした?」


 一縷の望みをかけた言葉。


 アリスちゃんはといえば、キョトンとしたあと、いたずらっぽい笑みを浮かべた。



「もう、お姉ちゃん忘れちゃったの? それとも……恥ずかしがってるだけ?」


「へっ?」


「昨日のお姉ちゃん、すっごくかわいかったなあ。ちょっと触っただけなのに、あんな声出しちゃって……」


「うそ、だよね……?」


 出てきた声は、思った以上に震えている。


 アリスちゃんはニコッと笑って、



「うん。嘘だよ」



 …………



 ……………………



「ゑ?」


「うそだよ。ごめんね? お姉ちゃんをビックリさせようと思って」


 その言葉の意味を理解するまで、じつに十秒以上の時を要した。


 寝起きということを考えても、恐るべき低速回転をした私の脳は、それでもなんとか意味を理解し、そして……



「はぁああああああああ~~……」


 生まれてからこっち、最大級のため息とともに、私は力なくベッドに横たわった。


 よかった。よかったよぅ。……あれ、よかったのかな? まあ、とにかく、



「ごめんね? そんなにビックリさせひゃうなんへはにふうのおねえひゃん」


 アリスちゃんのもちもちほっぺをムニムニして遊ぶ。


 あービックリした。ビックリしたビックリした。



「もう、ビックリさせないでよ。私、最近変な夢ばっかり見てるんだから」


「そうなの?」


「うん。ほら、この間の結婚式から、その……ちょっとね……」


 すると、アリスちゃんはキョトンとした顔になって首を傾げて、



「この間って……結婚式行ったのは昨日だよ?」


「えっ?」


「だからね、結婚式は昨日」


「もう、それも嘘でしょ?」


「うぅん、これは嘘じゃない」


 嘘でしょ。



 えっ、ってことは……え?


 どこからが夢だったんだろう?



 私、疲れてるのかな?


 ていうか、アリスちゃんのせいだ。アリスちゃんがあんなことをして、でもキスはしてくれなくて……


 だから、それで……っ!?



「……んっ……ちゅっ……ぁん……っ」



 甘酸っぱい味が、私の全部を上書きしていく。


 これ、これだ……私が欲しかったやつ……


 さっきまでのことなんて、もう全部どうでもよくなった。


 もっと……もっと欲しい……



「……んっ。こうしてほしかったんでしょ?」


 アリスちゃんはちょっと笑っていた。


「昨日はね、あんまりお姉ちゃんがかわいいから、ちょっと意地悪しちゃった」


「……いじわる」


「ごめんなさぁい」


 アリスちゃんはやっぱり笑ってた。



 正直、ちょっとだけムッとしてる。こういう意地悪は、ちょっとズルい。でも……


 このムッとした感情も、なんだか心地いい。アリスちゃんにされたんだって思うと、かわいくてうれしくて、それに愛おしい……



「昨日の分までしてくれたら、許してあげる」


「じゃあ、目瞑って」


 言われたとおりにする。


 そして、少しずつ、でも確実に、アリスちゃんが近づいてきて……



遥香はるかちゃーん、起きてる? アリスが部屋にいないんだけど、どこ行ったか知らない?」


 突然ドアが開いて、夏織かおりさんが顔を覗かせる。



 …………



 ……………………



 …………………………………………あっ。

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