第10話 はじめてのだいがく
「はい、お姉ちゃん。あーんして?」
「あ、あーん……」
「おいしい? お姉ちゃんに食べてほしくて、一生懸命作ったんだよ」
「う、うん。おいしいよ」
途端に、アリスちゃんは笑顔になった。
隣に座ったアリスちゃんが朝食を食べさせてくれる。
それは今までもあったことだけど、なんだか今日は、いつもよりも距離が近い気がする。
私が起きてからずっと後をついてくるし、なんだか子供のころに戻っちゃったみたいだ。
「あら、二人とも仲直りしたのね。よかった」
母よ、だからさ、あなたちょっと能天気ですよ。
まあ、いいんだけどね、別に。こういうことも、アリスちゃんにされるのは嫌いじゃないし。
ところで今日は土曜日だ。
出不精の私は、休日は家でゴロゴロしつつ映画でも見るところだけど、今日は大学があるから午後から出なきゃいけない。それをアリスちゃんに伝えると、
「え、うそ……」
この世の終わりみたいな顔をされた。
「お姉ちゃんと一日中遊べると思ってたのに……」
しょぼんと肩を落とすアリスちゃん。
うぅ、そういう態度を取られるとなあ……取られるとなあ!
「もしよかったら、なんだけど……」
私も甘いなあなんて思いつつ、一つの提案をしてみた。
時間になって、私はアリスちゃんと一緒に大学にむかった。
そう、アリスちゃんと一緒に。
「ほ、本当に大丈夫なの?」
アリスちゃんは不安そうな顔をしている。
私の服の袖を掴んで、まるで小さな子供みたい。ちょっと昔を思い出してしまった。
「うん。さっきも言ったけど、大学ってそこらへんは緩いから。学食なんて近所の人も利用してるくらいだし」
「そうなんだ……」
いちおう納得してくれたのかな。頷いて、今度は辺りをキョロキョロしてる。
そんなことしたら逆に怪しまれるんじゃ、と思ったけど、そんなことはなかった。
周りの人は、皆アリスちゃんを見てるから。
無理もない。アリスちゃんかわいいしキレイだし、やっぱり目立つよね。
「アリスちゃん、せっかくだし、講義受けてみない?」
「え、いいの? 私、生徒じゃないのに……」
「大丈夫だよ。いちいち学生証見せろなんて言われないし、バレないって」
アリスちゃんはちょっと考えているようだったけど、まんざらでもないみたいだった。
だからすぐに顔を上げて「じゃあ、ちょっとだけ……いい?」と言った。
「もちろん」
とはいえ、人数が少なかったり必須科目だと流石にバレるかもだから、教室は選ばなきゃ……
「――『第三身分とは何か』において、『第三身分とは何か? 全てである』という一文は有名ですね。この本の著者は、皆さんもご存じの、フランス革命の指導者でもあったジョゼフ・シェイエスです。は、知らない? 井上さん、君は受験からやり直しなさい」
とりあえず、席が三分の二ぐらい埋まっている教室の、一番後ろの席に忍び込んでみたけれど、フランス革命史についての講義らしい。
正直、私はそれほど興味のないジャンルなんだけど、アリスちゃんは楽しんでくれているみたいだからよかった。
あと井上は本気なんだろうか? あいつちゃんと勉強してるんだろうか。
「さて、革命後、シェイエスが恐怖政治の時代に何をしていたかと問われた際、それに対して誰もが行っている行為でありながら、悲壮的とも取れる返答をしました。何と答えたか、分かる人はいますか?」
「はいっ!」
元気な返答。驚くべきは、それは私の隣……アリスちゃんの言葉だった。
「元気でよろしい。ではそこの金髪の……あれ、君みたいな子、クラスにいたっけ?」
あ、やば。
「ごめんなさい。教室間違えてたみたいです、失礼します! 行こう、クリスティーナ!」
「えっ? う、うん!」
立ち上がると同時、私はアリスちゃんの手をとって教室を飛び出した。後ろで教授の声が聞こえた気がしたけれど無視する。
「なっ、なんか普通にバレちゃったよ!? バレないって言ったくせに! お姉ちゃんのウソつき!」
「だってアリスちゃんが目立つ真似するから! 挙手したらそりゃバレるよ!」
「つい上げちゃったんだもん! ていうかクリスティーナって誰!?」
「分かんないけどなんか出てきたの!」
アリスちゃんの手を引いて走りながら、私は知らず知らずのうちに笑っていた。
なんだろう、なんか楽しい。
なんだかよく分からないけどテンションが上がっていて、おかしな気分だ。
気づけばアリスちゃんもクスクス笑っていて、私もまた笑ってしまった。
笑いながら、手を取り合って、私たちは走り続けた。
教室から離れた、人気のない廊下まで来て、ようやく一息つく。
「ここまで来れば大丈夫かな……」
「……ほんとに? もう帰った方がいいんじゃない?」
アリスちゃんは本当に心配そうなので、私は安心させるためになるべく明るい声で言う。
「大丈夫だよ。教授も変なやつがいたなーくらいにしか思わないって」
「……お姉ちゃんは大丈夫なの? 普段通ってるのに……」
「大丈夫だってば。本当に問題があったら、大学から連絡があるだろうし、その時はその時で素直に謝るから」
「うぅ……ごめんね、お姉ちゃん……私がわがまま言ったせいで……」
安心させるために言ったのに、余計に落ち込ませてしまった。
どうしよう? こういうとき、どうすればいいのかな?
うーん……あ、そうだ! いや、やっぱ待って。それは流石にアレじゃないかな、うん。他の方法を……
でもアリスちゃん、こんなに落ち込んで……ああ、ダメ! この子のこういう顔にはどーーーーしても弱いっ!!
もう、やっちゃえっ!
「アリスちゃん」
「? なに? おねえちゃ……んっ!?」
落ち込んだアリスちゃんの声に、今度は驚きが宿った。
無理もない。だって私自身が一番驚いてる。
意を決して、目を瞑って、アリスちゃんにキスをしてやった。
けど、アリスちゃんが驚いていたのは、ほんの一瞬で、すぐに私を受け入れてくれた。
ああ、なんか……やばい。これ、今までのよりも、一番……
通ってる大学で、知り合いに見られるかもしれないのに、こんなことしちゃうなんて。
ダメだって分かってるのに止められない。アリスちゃんから離れられない。
でもほんとに、そろそろ離れなきゃ……
「ありがとう、お姉ちゃん」
むりっ!
もう! もうもうもう! どーしてそーいうこと言っちゃうかなあ、この子は!
もう、どうにでもなっちゃえ……
一度は離しかけた唇を、私はもう一度強く触れ合わせた――
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