第6話 お姉ちゃん尾行する。

(――「大好きだよ、お姉ちゃん」――)


 アリスちゃんの言葉は、いつもよりハッキリと聞こえて、ゆっくりと、つま先まで浸透していった。



(――「う、ん……私も、好き……」――)


 だから、自分でもビックリするくらい自然に、そう言っていた――



 ――――



 ――――――――



「みゃーのってば!」


「っ!」


 いつかのように、私は無理やり意識を引き寄せられた。


 視線の先で、井上が不満そうな顔をしていた。



「またボーっとして。最近こんなんばっかじゃん」


「ごめん……」


 いつかと同じ、大学近くのカフェ。


 でも、今日呼び出したのは私じゃない。井上だ。


 ランチタイムが終わっているからか、店内はそれほど混んでいない。



「どうしたの? 悩み事?」


「うーん……」


 井上が心配してくれてるのは分かるけど、私はどう答えていいものか分からない。だって……



 従妹にキスされて結婚を迫られてますなんて言えないでしょ!


 お風呂でもキスされて体を押し付けられたなんて言えるわけないじゃん!



 かといって、何も言わないのもアレだし、キスの件は割愛して説明する。


 従妹がホームステイに来てるんだけど、ちょっと接し方に困ってて~みたいに感じに。すると、



「えっ!? 高校生のイトコ!? どんな子どんな子!?」


 興味津々。でも、これ多分……


「あのさ、念のために言っとくけど、男子じゃないからね? 女の子だから」


「なんだ……」


 テンションの浮き沈みよ。……分かりやすい奴。



「でも、女子同士なら、それほど接し方には困らないんじゃない?」


「まあ、そうなんだけどさ……」


 普通に話すぶんには全然困らない。でも……


 アレはね、話すとかね、そういうアレじゃないからね。



「私のことはいいよ。話って何さ」


 すると、井上はそもそもの目的を思い出したらしい。ちょっと前のめりになって言う。


「そうそう聞いてよ! あのね――」




 時間を確認すると、もう二時間が経っていた。


 私はカフェの外で井上と別れて、ため息交じりに歩き出す。


 井上の話というのは、彼氏に浮気されたというものだった。通称、愚痴。


 その愚痴を、私は二時間以上も聞かされ続けた。また後で聞くからと言っても聞いてくれず、コーヒーだけで二時間も粘るわけにもいかず、おかげてコーヒーのお替りとチーズケーキを頼むハメになった。



「はあ……」


 またため息が出てしまう。


 なんか妙に疲れちゃった。井上、めっちゃ喋ってたな。内容ほとんど覚えてないけど。


 意見が欲しい感じじゃなかったから、適当に相槌を打って、同情が欲しそうなところは同情して……を繰り返して二時間。疲れた。時給が発生するレベルだよコレ。


 大体、浮気されたくらいで騒ぎ過ぎだ。文句言う前に本人を問い詰めるなり別れればいいのに。



 さて、これからどうしようかな。


 カフェで予想外の出費が発生して、手持ちがちょっと心許ない。


 じゃあ、ウィンドウショッピング……いや、それもいいかな。なんか疲れたし、今日はもう帰ろう、と思った時だった。



 視界の端に、あるものが入り込んできた。


 金色の髪。それは夕日に照らされて、宝石みたいにキラキラ輝いている。


 離れていたって分かる。あれはアリスちゃんだ。私は慌てて物陰に隠れる。


 何してるんだろう? この間は私のことを待ってたっぽいけど、今回もかな?



「アリスちゃ……」


 名前を呼びかけて、止まる。


 アリスちゃんの隣にいる人を見たから。



 スラっとした長身。線は細くて、精悍な顔立ちをしてて、美青年! て感じの人で……



 …………



 ……………………



 はっ!? えっ!? 誰あれ!? まさかカレシ!?


 なにそれどーいうことっ!? カレシがいるのに私にキスしたの!? 結婚しようとまで言ったくせに!


 いやいや、まさかね。そんなはずないよそんな子じゃないよ。


 うん、大丈夫だよね、うん…………




 それはそれとして、ちょっとついていってみよう。


 だってアリスちゃんが心配だから。最近は物騒だし、アリスちゃんいい子でかわいいし、騙されたり危ない目に遭うかもだからね。うん、一応ね。



 アリスちゃんと謎の人は、さっきまで私がいたカフェに入っていった。


 ちょっと躊躇して、私も入る。顔なじみの店員さんに不思議そうな顔をされたけど、アリスちゃんが見れる席に案内してもらってコーヒーを注文する……うぅ、出費があ……



 一人肩を落とす私。一方、二人は席で何事か話しているみたいだけど……


 全然聞こえない! 何を話してるのかなんにも分かんないっ!



 揉めてる……とかじゃないっぽいな。謎の人は穏やかそうな感じだし、アリスちゃんも笑顔で応じているし。


 結局、話の内容は全然聞こえないまま、二人は店を出て行ってしまった。



 私の前にも会計する人がいたりで、予想外に手間取っちゃった。慌てて店を出ると……アリスちゃんがいない。


 辺りを見回しても、アリスちゃんも謎の人の姿も見えない。


 しまった、完全に見失っちゃったっぽい。どうしよう……と考えて、ため息をつく。



 考えても仕方ない。こうなったら、帰るしかないよね。謎の人の正体は気になるけど。あの人、アリスちゃんのなんなんだろ……




「お姉ちゃん?」




「っ!?」


 急に後ろから話しかけられて、飛び上がりそうになった。


 反射的に後ろをむくと、声の主と目が合った。



「あ、アリスちゃん……」


「こんなところでなにしてるの?」


 訊かれて、でも私は何も答えられない。


 だって! 尾行してましたとは言えないでしょ流石に!



「えぇっと、その……」


「なーんてね」


 口ごもっていると、アリスちゃんが言った。その顔には、いたずらっぽい顔が浮かんでいる。



「お姉ちゃん、私をつけてたよね」


「えっ」


 また口ごもる。


 ま、まさかバレてたなんて……!



「どうしてつけてたの?」


 うっ。ど、どうしよう、なんて言えば……


「さっき一緒にいた男の人、誰?」


 思っていることとは裏腹に、ビックリするくらい簡単に、その言葉は出てきた。



 すると、アリスちゃんはキョトンとした顔になった。けど、それからすぐにさっきと同じイタズラっぽい笑みの中に、さっきはなかった、からかうみたいな表情が浮かんだ。


「お姉ちゃん、一緒に来てくれる?」


「えっ? うん、いいけど……っ」


 どこに行くの、と聞くまえに、アリスちゃんに腕を引っ張られる。そのまま、私は人気のない裏路地まで連れていかれた。



「ねえ、アリスちゃっ!?」


 裏路地に入った瞬間、私は壁際につかされ、目にはアリスちゃんしか映らなくなった。そして……


 口の中いっぱいに広がるのは、甘くて酸っぱい味……それに、熱い、体のうちからどんどん温かくなっていって、それに、頭もふわふわ……



 ってまた!?


 ついさっきまで男の人といたくせに、またなの!? 私はこんなにモヤモヤしてるのに、こんなのって!



「やっ……アリスちゃん! 誤魔化さないでよ……! ねえ、さっきの人……」


「嫉妬?」


 アリスちゃんの声は決して大きくなかった。それなのに私の声は遮られてしまう。



「嫉妬してるの?」


 私は何も言えない。その水晶みたいな青い瞳に見つめられて、吸い込まれちゃうみたいだ。


「えっと……んっ……ちょっと……ちゅっ……待ってってば……」


「素直に答えたら待ってあげる。だから教えて……んっ……嫉妬したの?」



 教えてって言ってるくせに、口は塞がれたままだ。だから私は、顎を引くみたいにして頷いた。


 アリスちゃんはもっと強く唇を押し当ててくる。私の手首を掴んでいた手を手に絡めてきて、ぎゅっと握る。かと思えば開いて、また握って……


 それがなんだかくすぐったくて、愛おしくて……


 ああ、もう! まただ! またアリスちゃん以外、何も考えられなく……



 不意に、意識が鮮明になった。


 気づけばアリスちゃんの唇は私から離れて、また青い瞳に見つめられていた。



「さっきの人はね、学校の先生だよ。テニス部の顧問の先生。私、勧誘されてたんだ」


 何でもないみたいな言葉を、私はすぐには理解できなかった。何秒か経って、ようやく意味を理解できた時、「そうだったんだ……」なんて、安心したような声が出た。


 ……いや、安心ってなんだ安心って。



「それに、男の人じゃなくて女の人。精悍な顔だから、よく間違えられるんだって。気にしてるみたいだから、本人には言わないでね」


「そうだったんだ……」


 また安心した声。それに、さっきよりも安心した声だ。


 学校の先生ってことよりも、相手が男性じゃなく女性だったことのほうがホッとしてるみたい。



「今安心してるでしょ?」


「べ、べつに……んむっ!?」


 また、私の全身はあの感覚に包まれる。甘酸っぱくて、熱い……


「あ、アリスちゃ……待って……」


「いいよ。安心してるって認めたら、待ってあげる」



 いたずらっぽく笑いかけられて、私は口を開きかけたけど……


 結局、何も言えない……うぅん、言わない。


 口と、目を閉じる。その直後、



 私の全身は、溶けちゃいそうなくらいな甘酸っぱさに包まれた。

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