第2話 初めてのキスは●●の味

 ふと目を覚まして時間を見ると、夜中の二時過ぎだった。


 なんだか妙に喉が渇いてる。お母さんに付き合わされてお酒を飲み過ぎたせいかもしれない。


 ベッドから降りて……おぅ、ちょっとフラフラする。


 階段を下りてリビングへ向かう。と、



 あれ……?



 電気がついてる。消し忘れたのかな?


 最初はそう思ったけど、すぐにそうじゃないと分かった。



「アリスちゃん?」


 リビングに先客がいた。


 アリスちゃんがキッチンにいたのだ。



「おっ、お姉ちゃん……?」


 私と目が合うと、アリスちゃんは何故か慌てた様子で言った。


「いつもこの時間まで起きてるの?」


「うぅん、目が覚めただけだよ。ちょっと喉渇いちゃって。アリスちゃんは……」


「わっ、私もだよ」


 アリスちゃんが私の言葉をさえぎるみたいに言った。



「喉が渇いたから、水飲みに来たんだ」


 そう言ってグラスに水を注ぐと、一息に飲み干す。


 それから「おやすみなさい」と言って、リビングから出て行ってしまった。



 ……なんか、様子変だったな。まるで、私を避けてる……いや、逃げてるみたいな……


 昔は私を「おねえちゃん」って呼んで慕ってくれてたのに。ちょっと寂しい。



 どうしたんだろうと思ったけど、キッチンに行くとその理由が分かった。


 ゴミ箱に、一口サイズのクッキーの袋が捨ててある。


 アリスちゃんが「喉が渇いた」って言ってたけど、多分お腹が空いたんだ。無理もない、夕食もあんまり食べてなかったし。


 だから、こんなふうに隠れて……



 こんなお菓子くらい、食べても誰も怒ったりしないのに。食べたいものがあるなら、部屋に持って行ってゆっくり食べればいい。


 でも、私がそう言えるのは、きっと私が元々この家の住人だからだ。


 私がアリスちゃんの立場だったら、きっと同じことをするだろうし。


 きっと、人の家に住むって言うのは、私が想像している以上に大変なことなんだろう。



 よしっ! こうなったら、私が何か軽食を作っていこう。


 お節介かもしれないけど、これからも一緒に暮らすんだし、こんなことじゃアリスちゃんだって疲れてしまう。


 あの子の緊張をほぐすことができれば、また昔みたいに仲良くできるかもしれないし。




 そんなわけで、煮込みうどんを作りました。


 おかゆと迷ったんだけど、うどんの賞味期限がヤバなので。


 ついでに自分の分も作ったから、一緒に食べようと思ってるんだけど……



 アリスちゃん、まだ起きてるかな? 大丈夫だよね、多分。あれから二十分と経っていないし。


 でも、もう寝てたらどうしよう。お姉ちゃん寂しい。



 と思ったけど、杞憂きゆうだった。アリスちゃんの部屋からは光が漏れている。よかった、まだ起きてる。


 外から呼びかけると、アリスちゃんはすぐに反応してくれた。


「私、今日はちょっと寝つきが悪くて……よかったら、話し相手になってくれない?」


「う、うん。私でよかったら……」


 そう言って、ドアを開けたアリスちゃんの顔はちょっと不安げだったけど、私が持っているものを見ると驚きに変わった。



「それ……」


「うどん作ってきたんだ。なんだかお腹すいちゃって。一緒に食べない?」


「……いいの?」


「もちろん。ていうか、一人で食べるの寂しいから、一緒に食べてよ。ね?」


 ちょっと強引に言う。そうしないと、OKしてくれないかもだし。



 両手が塞がっているので、アリスちゃんが部屋に入れてくれた。


 物置だった部屋は、もうすっかりアリスちゃんの部屋になっていた。



「適当に座っても大丈夫?」


「う、うん。ちょっと待ってね」


 アリスちゃんはクッションを貸してくれた。


 私はそこに座って、部屋を見回す。今日来たばかりだっていうのに、部屋はすっかり片付いている。


 気になったので訊いてみると、お母さんが手伝って全部片づけたらしい。私が留守の間に。……なんかちょっと寂しい。言ってくれれば私も手伝ったのに。



「お母さん、アリスちゃんが来てかなり喜んでるみたいだから、張り切ったんだよ、きっと」


「そうなの?」


「うん。それにね、私もそうだよ」


「え……?」


 すると、アリスちゃんは驚いた顔で私を見た。


 なんだか、久しぶりにアリスちゃんの顔を見た気分だった。


 やっぱり、キレイな顔だ。こんなに近くで見ると、ちょっとドキッとする。



「私も、アリスちゃんが来てくれてうれしい」


「ほんと?」


「うん。私ひとりっ子だから、妹ができたみたいで嬉しいよ……さ、うどん食べよ? 早く食べないと伸びちゃうから」



 目が覚めてきたら本当にお腹が空いてきた。うどんをチュルチュル食べる。


 ふと見ると、アリスちゃんが音を立てないように気をつけながらうどんを食べている。


 その姿と昔の姿とが重なると、自然と笑ってしまった。



「えっ。な、なに?」


 アリスちゃんが、今度は不安そうに見てくる。


「ごめんごめん。なんか、一生懸命食べてるのがかわいくって」


「……なんかそれ、昔も言われた気がする」


 たしかに、昔言った記憶がある。でも、それは食事中に言ったわけじゃない。



「ねえ、アリスちゃん」


 考えていたら、自然と口が開いていた。


「覚えてる? 昔さ、一緒にオレンジジュース作ったこと」



 アリスちゃんがイギリスに行ってしまう前、お母さんの実家に遊びに行ったとき、よく二人で一緒にオレンジジュースを作った。


 アリスちゃんは手をオレンジまみれにして、一生懸命搾っていた。それがなんだかかわいくて、さっきと同じことを言った記憶がある。



「それ思い出してさ、これも持ってきたの」


 家にはオレンジの缶ジュースが常備されてる。私が好きだから。だからアリスちゃんにも喜んでもらえたらと思ったんだけど、


「ありがとう」


 アリスちゃんはオレンジジュースを受け取ると、それを大事そうに胸の前で抱えた。



「よかった」


「え?」


「ようやく見れた気がする。アリスちゃんの笑顔」


 今までも笑ってくれてはいたけど、それはどこかぎこちないものだった。でも、いま見せてくれたのは、とても自然で、昔私が見てたのと同じものだった。



「私、そんなに難しい顔してた?」


「ちょっとだけね。昔は一緒にいろいろやったから、余計そう感じるのかもだけど」


 私は、わざと少しだけからかうみたいに言う。



「別人みたいだから、私も妙に緊張しちゃったよ。前は泥まみれになって遊んだこともあったのに」


「私たち、家で遊ぶより木登りとかのほうが好きだったもんね」


「そうそう、それでよくお母さんたちに叱られたよね」


「お姉ちゃん、一輪車でおじいちゃんの畑に落っこちてた」


「あー……あったなあ。そしたらアリスちゃん、『私も行く!』って言いながら自分から落ちてたよね」


「う、うそっ! 私そんなことしてない!」



 アリスちゃんが焦った様子で否定する。


 そこにはさっきまでのかしこまった様子はなくて、昔と同じアリスちゃんの姿があった。


 私が「冗談だよ」と言うと、アリスちゃんは怒ったみたいに頬を膨らませてオレンジジュースを一口飲んだ。


 それからポツリと言う。



「あのね、お姉ちゃん。私、さっき……」


「アリスちゃん、うどん、おいしかったかな?」


「え? うん、おいしかったよ」


 私の意図が分からないらしく、アリスちゃんはキョトンとしている。



「今度はアリスちゃんが作ってほしいな。家にあるものは、好きに使ってくれて大丈夫だから」


「う……うん! 今度は私が作るね!」



 それから、私たちは他愛のない話をした。


 会っていない間に何があったのか。明日には忘れてしまいそうな会話だったけど、なんだか妙に楽しくて、私はしばらく忘れられそうになかった。



「ありがとう、お姉ちゃん」


 ふと会話が途切れたとき、そう言われた。


「私ね、すごく緊張してたんだ。お姉ちゃん、昔とは全然違うし、私とのことも忘れちゃってるのかなって、不安だった……」


「もう、そんな訳ないじゃん。ちゃんと覚えてるよ」



 昔と違うは私のセリフなんだけどな。


 アリスちゃん、ホントに昔と変わった。こんなにキレイになるだなんて。



「これからは一緒に暮らすんだから、遠慮しないで何でも言ってね?」


「ほんと? 何でも? 何でも言っていいの?」


 アリスちゃんはちょっと身を乗り出してくる。


「うん。だってもう家族なんだし。だから……」


「じゃあ――」



 いきなりだった。


 いきなり、視界が塞がった。



 あれ……? 何で? 何でアリスちゃんの顔が、こんなに近くにあるんだろう?


 どうしたのって言おうとしたけど、ダメ……なんか、口が開かない……


 口……そう、口だ。口が……



「っ!?」



 何だろこれ。甘くて、すっぱくて、まるで、オレンジみたいな……



「んむぅっ!? ちょ、ちょっと……っ……ちょっと待って! んっ……」



 触れ合って、甘い味が混ざり合って、息をすることさえままならない。


 震える手でアリスちゃんの肩を掴む。でも、それ以上のことは何もできなかった。


 やがて、アリスちゃんの顔がゆっくりと遠ざかっていく。



 体が熱い。それに息も荒い。妙に意識が遠くて、私はそれが自分のものとは思えなかった。


 私の耳に届くのは、今まで聞いたことがない、胸焼けするくらいに甘い声だった。



「――結婚しよう、お姉ちゃん」

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