All our calamities stem from the fact that we cannot be alone.
人間は三種類に分けられる。見える者。見せられたものだけが見える者。見えない者。
「お客さん」車が走り出すなり、初老の運転手が言った。
「貴方は幽霊を信じますか」
「信じはしないが、存在することは知っている」シャーロックは言った。
「人形を連れた男がこのタクシーの運転手になりすましていることもな。世の中、不可解な出来事ばかりで回っている」
「なるほど、それは確かにその通り」
ニヤリと笑った運転手は、もう初老の男ではなかった。バックミラー越しにシャーロックを見返る瞳は明るく輝き、髪や肌の色艶までが瞬く間に美しさを取り戻す。
それを見るや、シャーロックは運転手の後頭部へ両腕を伸ばした。同時に袖からスルリと小型の銃が現れ、手品のように指に
ロビンだ。シャーロックはとうにそれに気付いていた。顔も服も仕草も自分とリーハを
だがしかし、想定内だ――攻撃を封じられながらもシャーロックは笑みを禁じ得ない。
例えばこいつが使った
Because your choice is my choice……何故ならお前の選択は、すなわち俺の選択だからだ。
同じレベルで物を見ていてくれて嬉しいね――ロビンはバックミラー越しに微笑んだ。
瞳を見れば互いの言わんとすることが分かる。己の意思が
第一級の暗殺者の名に恥じぬ技術と勘を持つ彼ら二人には、もはや言葉など必要ない。
ロビンはシャーロックが
決着をつけるかい、シャーロック。
車がサンクチュアリに着くまでのこの時間が、唯一僕らが自由になれる時。どちらかがどちらかを――極秘裏に葬ってしまえる時だ。
僕はやがて運転手を起こし、薬を嗅がせ、普段と変わらぬ日だったと言い含めるつもりでいる。決して君を殺したってことが目立たぬように。
If you want to do the same, so be it……君もそうしたいならするといい。 出来るかどうかは分からないけれど。
だが次の瞬間、流星の如く飛んだロビンのナイフは地に落ちた。シャーロックが鍛え抜いた体幹でバランスを取り直し、横合いから銃で叩き落としたからだ。
しかし予断は許さない。ロビンは突如ハンドルを切り、車を左に大きく降ると、首元に伸びたシャーロックの腕を振り切った。迫る銃口も躱し切る。更にアクセルを踏みながら、もう一本のナイフを片手に
「君とは同じレベルで話が出来るから嬉しいよ。まあ、僕は
「言いたいことはそれだけか」
「いや。どうせ引き分けだし、今は話がしたい気分だよ。君は?」
「ふん」シャーロックは鼻を鳴らしたが、やぶさかではないと言うように殺気を緩め、銃を元通り袖の中へ滑り込ませた。それを見てロビンもナイフの刃をくるりと返し、服の内側に差し込み戻す。
「さっきの君たちの話はなかなか面白かったよ。なかなか盗聴しがいがあった」言いながらロビンは
「あの愉快なMr.ロイロットなんて、かなりの曲者らしいじゃないか」
「そうだな。奴は意外に大物だ」シャーロックは頷いた。
実はシャーロックのWebサイトは、訪れた者のPCや端末に保存された個人情報を勝手に盗み見ることが出来るようになっている。
と言うのも、この商売をしていると、後ろ暗い過去を持つ者や胸に
先程の電話は、それにロイロットが引っかかったとの連絡である。
彼は多額の金を、知り合いのとある劇場のオーナーの口座に振り込んでいる。更に「
「もう何年も前の話だけど、インドで仕事帰りの彼に擦れ違ったことがあるよ。向こうは気付いていなかったけどね。ひょろっと背の高い、浅黒い肌をした男だった」
「人を小馬鹿にしたような顔つきのな。まあ、奴はどうでもいい。
「ロイロットは二人の娘を殺して劇場の何を買おうとしている? 女優か歌手が目当てだとしたら、遠回り過ぎるアプローチだ。パトロンか? パトロンにでもなりたいのか? 何にしても、
「不思議なことは他にもある」ロビンが言った。
「そもそもの話、君と僕が同じ国の同じ街の同じ下宿に住み始めるなんて、何万分の一の確率なんだろうね?」
実はロビン、タクシーでシャーロックを待つ間にMI6のマリアンへ連絡を取っている。「状況を逐一報告せよ」と命令されたのがその理由だ。
その際、ロビンはシャーロックに遭遇したことを伝え、真意を聞いてみたのだが、マリアンは『まさかそんなことが……』と、ただ当惑していた。(ついでに言うと、「ホームズ兄弟がこの件の黒幕だという証拠がない限り、余計な騒ぎは起こさぬように」と釘を刺されたのだが、聞かなかったことにしている)
「ほう。なら、マイクロフトの嫌がらせか」
「さあね……。でもさ、いつだって慎重なあの二人が、自分らのとっておきの駒をこんなくだらない所で戦わせようなんて考えるだろうか」
「Noだな。互いに淘汰よりも共存を選ぶ」
「ハハ、でも偶然だなんて言わないでくれよ」
「そんな気はさらさらない。死人が蘇ったと考える方が自然だ」シャーロックは嘆息した。
「俺はちゃんと殺したんだがな」
不意に硝煙の匂いが、断末魔の悲鳴が、二人の鼻孔や耳に蘇る。ぬるりと肌に垂れ落ちた血の感触も。同じような事態は何百、何千となく経験している二人だが、遠く過ぎ去ったはずのその日の記憶は、今もって特別である。ロビンはハンドルを、シャーロックは腰の銃のグリップを握る手に力を込めた。
「仕方がないさ。あの時の僕らはとても若かったから。全てが見えていたとはとても言えない。あの忌々しい
「
それはシャーロックたちにとっては思い出深い、十数年前に壊滅したはずの児童誘拐組織の施設名だった。何故そのような名が付いているのか……それは想像に難くない。現代のピーター・パンは愛と夢ではなく、決して満たされることのない欲のために子供を連れ去った。哀れ、幼い彼らは抗う
「ま、それはそれとしてね。君はこれからどうするつもりだい?」
「しばらくは様子見だ。誰だか知らんが思惑に乗ってやっても損はない」
「でもあの子はどうする?」
「ハリーか」シャーロックは一瞬沈黙した。
タクシーはまもなくベーカー街に近接した通りに入ろうとしている。二人はミラー越しに瞳を探り合った。
「あいつは俺達を『殺し屋みたいですね』と見抜いた。全く良い勘をしているが、残念なことにそれを実生活で活かすことが出来ないようだ。俺達が何をしようと何を言おうと、結局何も見えず見ず、素直に後をついてくる」
「フフ……知らずに任務を遂行してくれるなんて、一番良い工作員だよね」
「情報戦争の時代だ。メディアや政府に毒されて、あいつに限らず世界中の人間が皆そうだ。まあ、俺もあいつを矢面に立たせるのは哀れだと思っている。一度は脱却のチャンスをやるつもりだが」シャーロックは暗い笑みを漏らし、ロビンに問いかける。
「自分の頭で考えることを止めた人間に、一体どんな忠告が届くと言うんだ?」
「そうだねえ……」ロビンは目を細めた。
「僕に何か言えるとしたら、ショーペン・ハウアーの言葉だけさ」
―― “我々の全ての災禍は、我々がひとりきりではいられないことに由来する”
それは普遍の法則である。故に、運命に流されるままを選ぶ者にはちょうど良い諦め文句とも言える。……それが慰めになるかどうかは別として。
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