あと百個くらい質問してもいいですか?

 部屋を出た後のホームズさんの行動は迅速だった。

「どうだった?」と聞いた警部に頷いて見せると、矢継ぎ早に指示を出す。

ヘレンさんを無事に家に送り届けるようにとか。部下と協力して、ヘレンさんとその婚約者さんを速やかに誰にも秘密の旅に出してあげるように、とか。


「OK、OK……。でも上は何て言うかな。お前といると俺のクビが危ういよ」警部は苦笑いをした。


「ま、良いけどな。俺は犯人を捕まえるより、事件を防ぎたいから」

「感激だ、レストレンジ」ホームズさんは胸を張る警部の肩を叩いた。

「もしもの時は職を紹介するからな」

「しなくていい」




 マイクやローガンさんに送られて病院を出た途端、ホームズさんの電話が鳴った。


「アーサーか。首尾はどうだ? そうか。いや、その写真はそのままでいい。変えたのには意味がある。何? 金が振り込まれてる? それはロイロットの別口座じゃないのか? そうか、ほう」


 タクシーの運転手に聞かれたくなかったのか、ホームズさんは立ったまま話し始めたので、僕はベンチに座り、マイクが「お腹空いてるんだろ? 顔が真っ青だよ」と心配して買って来てくれたドーナツやフィッシュ&チップスを食べることにした。


 うん、両方ともすっごく美味しい。フィッシュ&チップスは揚げたてのアツアツだし、ドーナツはフワフワで優しい甘さだ。ホームズさんの分も取っておかなきゃだけど、あっという間になくなってしまいそう。ああ、マイク、本当にありがとう。


 思えば僕は、いつもマイクに助けられている。

 高校でいじめにあった時もそうだった。マイクはいつも僕の味方でいてくれたし、相手をキツく怒ってくれた。僕が勉強でつまづくと、一緒になって考えてくれた。マイクは丸い眼鏡が似合う、本当に賢い幼なじみなんだ。ああ、僕も同じ大学に行きたかったよ……。


 色々考えて少し落ち込んでいると、急にホームズさんが「何?! ビリーのノートパソコンラップトップを使っているだと?!」と、怒鳴り出したのでびっくりした。

 電話の相手は若い男の人のようで、『で、でも! これはビリーの【完全観賞用PC】なんで、ハックしても熟女しか出て来ませんよ!!』と慌てている。


「それが命取りだ、馬鹿野郎! 俺なら二日で持ち主やつを特定できる!」

『そ、そんなもんですか?!』

「いいか、どんなものにも共通点がある。規則がある。法則がある! やつが集めたビデオの内容はどうだ、全部似たようなもんだろうが! 再生している時間帯はどうだ! 出演女優の胸のサイズはどうだ!」


 ヤバイよこれ、公衆の面前で発して良い言葉じゃないよ!

 既に大勢の人がこっちをジロジロ見ている。僕は慌てて残りのチップスを飲み込んで立ち上がり、ホームズさんの腕をつかんだ。が、ホームズさんは怒鳴るのを止めてくれない。

「馬鹿も大概にしろ!」とまだ言っている。


「それさえ分かれば罠も仕掛けることも可能だ!」

『そ、そうなんですね! 申し訳ないです! 本当にすみません!』相手の人は泣いているみたいだ。


『PCは壊しますし、ビリーのやつには覚悟しろって言っておきます!』

「そうしとけ!」


 いや、何でビリーさんが脅される流れに……。

 釈然としないまま、僕はもう一度ホームズさんの腕を強く引っ張った。もうこれくらいで良いでしょ、ホームズさん!


 やがて電話を切ったホームズさんは、溜め息を一つついた。


「……アーサーははしこい奴だが、まだ経験が足りない」

「あの、アーサーさんって……?」

「ハッカーだ。年はお前さんよりも二つか三つくらい上だろう。俺の後輩みたいなものだが、何かにつけてドジを踏む男だ。まあ、今回は大丈夫だと思うが」


 不意にホームズさんは言葉を切り、僕の後頭部を凝視した。


「ど、どうしたんです?」僕もギョッとして立ち止まり、振り返った。


 でもそこには誰もいない。 というか、建物の壁しかない。何を見てたの、ホームズさん? 

 首を傾げながら顔を戻すと、不意にブワッと強い風が吹き付けて来た。何と、目の前にホームズさんの黒革靴が迫っていた。


 いや、ちょっと待って、何で蹴られなきゃいけないの?! 


 次の瞬間、僕の頬をホームズさんの靴がかすめ、ざさっと髪が擦れあう音がした。即座に恐怖の頂点に達した僕は、声にならない悲鳴をあげてドスンとその場に尻餅をつく。


「や、やめ……」


腰の痛みを堪えて懇願するも、ホームズさんは無表情で足を振り下ろした。ガキャーン! 金属的な音が耳元で響き、僕はもう「死んだ!!」と思った。……でも、アレ? 僕は髪を踏まれただけだし、 今の音は何だ?


「いつまで寝ているんだ、ハリー」


 目を開けると、ホームズさんが床に屈み込み、僕の髪の間から、欠けた青いビー玉のようなものを取りあげていた。


「ほ、ほむ……」

「俺はを取り除きたかっただけだ。一々大騒ぎするな」


 こいつ、と言われたのをよく見ると、それは、信じられないけどロビンさんの人形の目玉だった。この妙な輝きは絶対にそうだ。何で、どうして、僕の髪にこれが!


「お前さんについて来たんだろう」

「目玉だけで?」

「そうだ。目玉だけなら髪に隠れられるからな。あの野郎、こいつで盗聴していやがったんだ」

「……えーっと……」


 ロビンさんはどうして盗聴なんかしてるんですか?

 そもそもその人形は一体何なんですか?

 あの、あと百個くらい質問してもいいですか?

 

 僕が呆然としている間に、ホームズさんはタクシーに乗り込んでいた。

慌ててそれに続こうとしたが、目の前でバタンと扉が閉まった。


「ハリー、お前は徒歩で帰ってこい。俺の思考の邪魔になる」


 ウッソだろ……? 


 みるみるうちにタクシーは遠ざかり、僕は本当に置き去りにされてしまった。

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