僕のサンクチュアリ

 サンクチュアリという言葉は、古ラテン語の「sanctuarium(聖堂、聖人の遺品)」が語原になっていると聞いたことがある。神聖な場所や聖壇、鳥獣の禁猟区、保護区域を意味するほか、中世では犯罪人・亡命者を庇護する場所(法律の及ばない教会などの聖域)という意味もあったらしい。

 つまり、神様のいる場所を表す重い言葉という訳だ。正直、普通の住居につけるような言葉ではないと僕は思う。


 けれども……この下宿だけは別だ。ここに付ける名は「サンクチュアリ」しかありえない。




 真っ直ぐ部屋へ行く前に、僕とマイクはきょろきょろとサンクチュアリの中を見て周った。


 まず居間の隣のダイニングルームを確認する。そこは独立した部屋で、居間からもキッチンからも扉を開けて出入りする作りになっていた。

 中央にはどっしりとした艶のある大きな樫の一枚板のテーブルが置かれ、瑞々しい花々を活けた花瓶や、美しく輝く銀の燭台が飾られている。

 居間と同じく大きな窓がある部屋で、とても明るい。扉近くには箱型のTVが一台、部屋の隅には電気ポットや紅茶のパック、コーヒーの粉などが置かれた小さなテーブルがあった。


 キッチンも見ようと思ったけど、中から物音がするので何となく遠慮した。

 ユウミさんの邪魔をしてはいけないよね。


 次に僕らは玄関ホールに戻り、そこから階段を上がった。二階に辿り着くと、白い壁とフローリングの長い廊下が僕達の前に伸びていた。左側にはいくつかの窓があり、右側には二つの茶色い扉があった。 


 僕はまず、手前側の扉を開けた。そこはトイレだった。

 まるでレストランの中にあるトイレのように広く、奥にそれぞれ小さな窓のついた個室が二つあった。ここの壁も全体的に白かったけど、花が飾ってあったり、美しい風景画がかけられていたり、気分が明るくなるような仕掛けが所々に施されている。


 手洗い場は、キラキラと輝く薄い緑のガラス製。壁に嵌め込まれた鏡の縁も同じガラス製だったから、相まって美しい。照明は淡いオレンジ色だ。とても落ち着く。


 「何か、こうお洒落だとさ、音楽が欲しいところだね」とマイクが言ったが、僕も同感だった。


 廊下に戻った僕達は、続いて二つ目の扉を開けた。

 こちらもトイレ室と同じような白壁。でも、照明の色が違い、すっきりと明るい部屋だった。

 僕達はまず、部屋に入ってすぐ目の前に置かれていた、大きな洗濯機に吸い寄せられた。それは性能が良いと評判のメーカーのもの。その上、ピッカピカの新品だったので驚いた。


「こ、これ、共同で使って良いやつなのかな?」


 僕はちょっと手を伸ばして、洗濯機の表面を撫でてみた。


「そうなんじゃない? 家賃安いのに、凄いな」


 洗濯機の横には、縦長扉付きの棚が全部で三つあった。いずれも収納力抜群。

まだ中に何も入っていなかったので、これは入居者専用の棚なんだとすぐに分かった。

 洗面台はトイレと同じような水色のガラス製。それも鏡も、さっきのトイレよりも少し大きめなので使いやすそうだと思った。


 一方、部屋の右奥には曇りガラスの扉がある。きっとシャワー室だ。そそくさとそれを開けると、清潔感のある景色が飛び込んで来た。白いタイルばりの壁、シックなグレーの床。ロールスクリーン付き(カーテン)の大きな窓が一つ。とても素敵。それに広い。高い位置に銀のシャワーヘッドが三つ、間隔を空けて並んでいる。そればかりか、普通のバスまであった。カーテンで間仕切り出来るようになっているのも良い。何だか、今すぐにでも使ってみたくなる。


 さてさて、いよいよ。これからが一番重要な所だ。僕達は大はしゃぎで三階に向かう。


 僕が今持っている鍵には、繊細な模様と一緒に「3」という数字が彫られていた。

「3」……多分、三号室という事だろう。マイクがユウミさんに聞いたところによると、この下宿の貸部屋は、たった三部屋しかないらしい。


 ……という事は、だ。見たところまだ誰も住んでないようだけど、一号室と二号室は予約済みという事だろう。そのどちらかに、あのシャーロック・ホームズさんが住む事になるのか。


 

「あーーちくしょーー! 僕もここに住みたいよ! 羨ましいな、おい!」


 三階の廊下を歩いていたら、マイクが僕の脇腹を肘でグイグイと押して来た。


「痛いな、この! やめろって!」

「だってさ、めちゃくちゃ羨ましいぞ!誰だよ、ジョンとホームズさんの他にここに住むやつは!」

「さあ、誰だろうね」


 たった今通り過ぎた一号室の扉を振り返る。気難しい人じゃなければ良いなと僕は思った。

一日二回の賄い付きという事は、毎日あのダイニング・ルームで必ず顔を合わせるという事だし。もし仲良くなれなかったら、ご飯の時間がとても辛くなるだろうな……。


 でもまぁ、今心配してもしょうがない。

 それに、ちょっとくらい人間関係に問題が起きたって、どうってことないさ。ここへ引っ越せさえすれば、毎日ユウミさんと一つ屋根の下で暮らせるのだ。それ以上何を望むというのか。



 僕は深呼吸をしてから、ゆっくりと三号室の鍵を回した。


「……おぉ!」


 扉を開けるなり部屋から漏れ出した明るい太陽の光に、僕とマイクはちょっと感動した。

 ここの壁の色もやっぱり白だ。でも冷たさなんて露ほども感じさせない、どこか暖かみを感じる白だ。陽光のように明るい色だ。木目調の床にピッタリと合っている。

 家具にも感激した。高級そうな艶のある木のチェストや机、ベット……。これを僕が使っても良いなんて!

 高校の寮にあったチェストや机とは大違いだ。あれは僕だけのものじゃないから、ガタが出ていたのも、傷だらけだったのも仕方ないけどね。


 さっき外から見た通り、部屋の窓は開いていた。まだ新しいライムグリーンのカーテンが風にはためいている。ほんのりと部屋に良い匂いがするのは、外壁に咲き乱れる薔薇の香りが運ばれて来ているからだろうか。


 素晴らしい……。胸がいっぱいになって、僕は思わずため息をついた。


 あぁ、これぞ僕のサンクチュアリ。

 もうここに住むしかないよ! 誰がなんと言おうと!

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