1.地底の先にて

 死にたくない。


 トラックにガツンと撥ねられ頭が血みどろの16歳、斗枡カイリとますかいりは朦朧とした意識のなかで脳内にこの世の未練をたらたらと垂れ流す。






 この地下世界で未だ見ぬ"本物の"空や海、古い文献に記された此処にはない未知の建造物をこの目で見る夢さえも、ここで尽き果てるのか__などと思いあぐねていた。














 時は流れて…M地区ペレルマン病院にてそのクマの酷い虚ろな目は醒めることになる。


 医療機関とは偉大だ、ほぼ瀕死でも頭に包帯のみで済んでいるのであるから。








 手短に説明をしておこう。


 『地下世界』とのたまったこの場所は、地下シェルター内にて設立された共和国"Lenothoレナト"。


 我々人類が地球の地上のとある《脅威》から逃れた事によって結果出来上がった国である。




 そして彼…カイリのいる病院はその国の「M地区」という県に属しており、彼もそこの出身だ。






「俺は…オダブツになったんじゃないのか」


「オダブツとは何かね?」






 知らない単語を呟くカイリに問う白衣を着た茶髪カールのおじ様は当院長のジローラモ・ペレルマン。






「あ、ペレルマンのおっちゃん。オダブツってのは地上時代の本に書いてあった__」


「ああはいはい、そこまで喋れるなら元気になったってことだな…軽く打って血が出ただけだから脳もなんも無し。安心してすぐ退院できるぞ」






 ペレルマン院長はカイリの祖母と付き合いが長く、カイリの事も良く知っている仲であるが、地上の事を語り出すと長くなるので大抵は軽くあしらわれる。






 俄然ペレルマンは話をスルーし病室を後にする。


「点滴終わったら帰っていいから、処方箋出しとくぞ」




 冷たく閉まる自動ドアがカイリの語りを遮断する。










「…つまんねえなあ」




 ボフンと枕に頭を突っ伏すカイリ。










 彼はこの地下世界で生きながらも地上に興味がある、変わった人間である。




 斗枡カイリの父親は歴史学者だ。幼い頃から地上時代の本を一緒に読み、とても興味を持つようになった。


 カイリはそれ以来夜が更けても地上の本を読み漁るように耽溺たんできし、湖しかないこの世界ではまだ見ぬ海から、果ては数万km離れた先の宇宙まで、下まぶたからクマがこびりつくようになるまで興味を惹かれたのだ。


 不可能に近いが、あわよくば地上に出たいと思っている異端児である。






 しかし、地下世界には地上時代の話はタブーなのだ。




 それは何故?




 国の政府が半ば強制的にそう決めたからである。現在はレナトが建国してより50年______その昨年、49年目に法律によって地上時代の文化に抵触する事を一切禁じられた。






 当然反発する学者は多かった。政府はその反発を押し退けるどころか、"粛正"として古文書学や歴史学、それに通ずるものを拘束するように政府は定めた。横暴にも程がある。




 しかしその横暴も、この国の最大派閥宗教の信者が政治家に多数おり、その可決を支持することもあって結局は制定されることになった。






 そう、彼の父は歴史学者____


 名をツラヌキと言う。彼もまた、他の学者同様に"粛正"の対象である。


 ツラヌキは年が変わる前に手紙を一封置いて家元を離れた…。








 カイリには母親も居ない。いや、亡くした。


 幼少期のカイリを連れ歩いている途中にオートバイに追突され、カイリこそ助かったものの母親は亡きものとなった。




「…」






 窓の外、歩道の木々の間から見えるのは、散歩しているどこかの家の母親と父親、そして間に母の手を握りついて行く子供。




 その目はとても儚げで、寂しくて、羨んで___










「孫!!!!!!」








 開いた自動ドアから病室へ響く二文字。驚くカイリはベッドからすってんころりんと落ちる。






「元気でなによりだ〜、治療は済んだかい?」


「孫より元気でしょバーちゃんの方が…」






 斗枡ウネとますうね


 カイリの祖母にして父・ツラヌキの母親。


 薄茶色のお団子ヘアーで肝っ玉で豪快な性格が特徴的で、半生を育てて貰った親族でありカイリも頭が上がらない。






「果物くらい食わせてやろうと思ってたけどちょうど点滴終わったね、んじゃ帰るよ」




 カイリの尻をぴしゃりと叩き支度を急かす。


 父親もカイリもこの豪傑な遺伝子は継がなかったのだろう。








「出前の途中でトラックに当たるなんてツイてないねえ、あんたも」




「全くだよ」




 ガハハと笑いながら壊れた自転車を引きずるカイリとウネ。


 ウネは「飯屋とます」という定食屋を経営しており、カイリには手伝いとしてウェイター、皿洗い、出前などにも出向き、今回の件はこの出前帰りで起こった事故である。








「…」


「〜♪」




 黙って歩くカイリと鼻歌混じりに自転車を引き歩くウネ。










「あんたさ」


「なに」




「学校、まだ行けそうにない?」






「…」






 カイリは高校入学直後から不登校児である。


 父の"粛正"やら地上への憧れ発言やらで、他人の視線が厳しくなり精神を病んだ。


 それ以来学校へは行けず、家で独学で少し勉強する程度だ。








「むり」




 ウネの問いに俯くも、答えはNo。






「…そうかい」


「じゃ、店の手伝い引き続きよろしく」




「あい」








 擬似太陽が暮れ、夕方が静かなまま帰路につく二人を照らす。














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