第9話 “永遠”を見つけた少年

 窓から吹き抜ける秋の涼しげで心地よい風が頬に受け、久しぶりの作業に緊張し震える手が絆され今のところ黙々と作業を続けることができていた。

「なあ、ちょっとぐらい味見してもいいだろ?」

 フライパンに引いた油をキッチンペーパーで軽く拭き取り、次にお玉を手に持つと横から覗き込みながら訊ねるタクミの声が調理室に広がった。

「ダメに決まってるだろ。そもそもまだ生地の状態だから、食べたら腹壊すぞ」

「それはわかってるんだけど、つまみ食いってなんか良くないか?なんかこう……生地の状態の物足りない感じ、それがいいみたいな!なあ、ほんの少しでいいからさ!」

 タクミの手が生地の入ったボウルに伸びてきたのでヤマトはさっと胸に隠すとちぇ~、と口の端を尖らしながらぶつぶつと呟く。

「我慢してくれ。ちゃんとお前の分も作るから。それに……味見もして貰わないとな」

「ならとっととミルクレープ作っちまおうか。プレゼントするんだろ!」

 嬉々として話しながらタクミはいつもの快活な笑みを見せた。

 どうして、平日のお昼休みに調理室であれだけ避けていたミルクレープを作っているかというと……。

『ミルクレープを作るのを手伝ってほしい』

 とタクミに事情を話し、協力して欲しいと頭を下げた。ヤマトは長年タクミと一緒に過ごしてきたが、こんな風に頼みを乞うのは初めてかもしれない。最初タクミは驚いた顔をしていた。

 だが、タクミは嫌な顔は一つもせず快く引き受けてくれた。

 具体的にタクミに頼んだこと。それは調理室を貸してほしいということだった。タクミは知り合いが多い。人の隙間に入り込むことが得意なのは出会ったときからそうだった。その関係は同じ学年はもちろん三年生から一年生、様々な部活にその網を広げていた。その中には料理部にも知り合いがいた。その伝を使い調理室の一部と器具を貸してもらえないか話をつけてもらった。

 調理部の部長から許可を貰い、今こうしてミルクレープを作ることができている。その報酬としてタクミの分も作らなくてはいけないが、味覚も朧気なので味見をして欲しいし、調理場も使わして貰えているのだから安いものだ。

「早く仲直りしてもらわないと、今日のお前とヒロミさんの空気はお通夜みたいだったんだからな!」

「ああ……わかってるよ」

 早朝、ヒロミが教室に入ってきても彼女は目も合わせようとしなかった。明らかに避けている雰囲気を醸し出していた。あの場では話し掛けれる状況ではないと判断し声を掛けることはしなかった。

 ……いやこれは言い訳かもしれない。本当は話し掛けるのが怖かったのだろう。逃げようとした。ヒロミと同じ選択をとってしまったのだ。

「声を掛けれなかった。僕は卑怯者かもしれない……」

「あの状況で声かけて仲直りできるほど簡単な話なんかじゃないんだろ。物事にはな、タイミングってのがあるんだよ。それを間違えれば取り返しの付かないことになる。余計に面倒なことになるんだ。そのタイミングはあそこじゃなかった」

 タクミの気遣いに少し気持ちが楽になる。

「でもよりによって作るのがミルクレープっていうのもなぁ。何の因果なのか……」

 タクミは遠くの風景を眺めるようにぼそりと呟く。

「僕はむしろこれでよかったと思っているよ」

 えっ、とタクミが聞き返す。ヤマトは熱したフライパンに生地を流し込み均等に広がるようにしながら振るう。

「正直ミルクレープは作るのも見るのも辛いけど、ちゃんと向き合わないと変われないような気がするんだ」

「あれだけ嫌がってたのに、どういう風の吹き回しなんだ?」

「なんとなくなんだけど、ヒロミさんは他人の気がしないんだ。まるで鏡の自分を見てるみたいで」

「ああ、なんとなくわかるぜ、それ。……人付き合いが苦手そうなところとかな!」

 クツクツと笑うタクミを睨むもいつもの態度は崩さない。まあ、この程度で怖じ気づくのであればこの関係は長く続かっただろう、とヤマトは改めて感じた。生地の外側部分に焼き目がつき表面は小さな泡のように膨らんだのを認めるとヘラで生地を裏返す。

「ヒロミさんを見てると“あの時”の自分を思い出して……見捨てることができなかったんだ。だから、指輪の件を諦めるって聞いた時はカッとなったし、虚しくもなった」

 自分と同じ帰結を彼女は辿ろうとしている。その先にあるものは抜け殻のような無意味な時間が過ぎるだけだ。ヒロミはまた同じことを繰り返そうとしている。

 その姿がヤマトには未来の自分に映った。

「変えたいんだ。解決にはならないかもしれないし、受け取ってもらえるかもわからないけど……もう閉じこもっていたくない。何もしないままだなんてもう耐えられない。だから、ヒロミさんにも諦めて欲しくないんだ」

 タクミは先ほどの小馬鹿にしたような嗤い方ではなく、穏やかに笑った。

「そっか……変わろうとお前なりに努力してたんだな」

 良い方向に進むか悪い方向に進むかわからない。“あの時”の行動は悪い結果に終わってしまった。それからヤマトは何をするにしても臆病になっていた。

 心の底では変わりたいと願っていても、行動しなくては何も始まらない。

 過去の自分を清算したいんだ。変わらなくてはいけないタイミング。それが今なんだ。

 この感情は自分勝手なのかもしれない。でも、何もしないではいられなかった。

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