第6話 “永遠”という亡霊を見た少年
ヤマトは椅子から立ち上がり鞄を肩に背負い廊下に出ようとするとタクミが大きく手を振っている。廊下の奥からヒロミが急ぎ足でこちらに向かってきた。
「遅れました。あれ、タクミくん今日はお休みでは?」
「昼ぐらいまでには体調が戻ったからね。放課後だけでも顔を出そうと思ったんだ。……ああ、昨日は恥ずかしいところを見せてしまったね」
「僕に散々迷惑を掛けやがって」
「ふふ、ヤマトくんも大変でしたね」
ヒロミは上品に口元に手を置いてころころと笑った。
「これから生徒会室ですか?」
「ああ、これから一緒に行っ……あっ!!」
突然タクミは大声を出してヒロミとヤマトはのけぞる。
「なんだよ、突然でかい声出して」
「……国語のレポートの提出期限って、今日までだっけ?」
「国語の?江戸川乱歩の感想文のことだろ。今日が期限だったな」
「やっべ~、やっちまった。書いたけど家に置いて来ちまった!」
タクミは両手を頭に抱え許しを乞うように天を仰ぐ。
「ほんとに書いたのかよ……」
「ちゃんと書いたよ!先生に事情説明しに行ってくるわ。先に行っといてくれる?」
「ええ、では先に行っていますよ」
タクミは踵を返し、廊下を駆けていった。
「廊下は走らないでくださいね!」
注意を受け早歩きへと変わり職員室へと向かって行ってしまった。
「では、私たちだけで行きましょうか」
「そうするか」
タクミが向かった方向とは反対側の廊下を二人は横並びで歩き出した。
「ヒロミさんは昨日ちゃんと帰れたの?結構無理して食べてたようだけど」
「スイーツは大好きですけど、あんなに食べた経験はないですね。初めて経験しました……胃もたれを」
「胃がムカムカするやつ?僕は実家の都合で小さいときよく食べさせられたけど、なったことないんだよな」
「身体強いんですね。私なんてもう、お腹がしんどくて」
ヒロミはお腹をさする身振りをした。そのときにヤマトはあの指輪が気になって左手を盗み見た。ヒロミの左手は昨日のように煌めくようなことはなかった。
「今日はつけてきていないみたいだね」
「つけてって……あっ!?当たり前です!学校ではつけません!」
「ふっ、そうか」
頬を真っ赤に染めて怒る仕草がどこかおかしくつい吹き出してしまった。
「おっ、お願いですから誰にも言わないでくださいね!」
憤慨するヒロミを横目にヤマトは再度口外しないことを約束した。
「あれ?」
ヒロミが妙な声を上げたと思いそちらに視線をやると自分の鞄に手を突っ込んでまさぐっている。
「どうしたの?」
「い、いえ……」
とはいうものの、顔は強張り必死に何かを探しているようにしか見えない。
「嘘……どこ……」
見る見るうちに焦燥感が増しているのは明らかだった。目は血走っておりこの世の終わりを見ているようだ。
「どこにあるの……指輪」
と絹糸のようなか細い声量で呟いたのをヤマトは聞いてしまった。
「……すみません、少し席を外します」
生気が抜けた表情のままヒロミは生徒会室を足早に出て行った。それと入れ替わるようにタクミが扉から姿を見せる。
「ヒロミさん、なんかあったの?」
「……たぶん、忘れ物だと思う」
「またかよ。しかも、さっきは俺に注意してたのに、すげー走って行ったけど……すぐ戻るの?」
「……わからない。とりあえず僕たちだけで始めよう」
遅いな~、とタクミは無気力といった感じに机に突っ伏した。
結果として30分経ってもヒロミは帰って来ることはなかった。
「スイーツコンテストの書類って書けるところは今のところこれだけ?」
見せて、と言われ書類をタクミに手渡す。
「書けてここまでだな、他は何を作るか決まってないと何も書けないし」
先んじて埋めれるところは埋めておこうと書類を作り始めたが、ほとんどが空欄となっていた。後は何を作るかだが、ヒロミが戻ってくる気配はなかった。
「俺たちだけで決めれないし、ヒロミさんが帰ってこないとなぁ」
「ヒロミさん……」
ヤマトは椅子に深く腰掛ける。すると急に身体が何倍にも重く感じた。そういえば、体育の授業でマラソンを終えたばかりだということを思い出した。書く作業にも目が疲れ目頭を揉みほぐし瞳を閉じる。
カッ、カッ、と普段は聞こえない秒針の音がやけに大きく感じる。
目を瞑っていても、いつものような睡魔は襲ってこない。変わりに閉じた瞼には映画のスクリーンを照らすようにヒロミの張り詰めた表情が映し出されていた。
指輪、と間違いなく呟いていた。おそらくあの指輪は彼女にとって大切なものなのは間違いない。その指輪に何かがあったのだろう。
そして彼女の面影は昨日のカフェでの場面へと変わる。
過去の自分に同調してくれた彼女の真剣な眼差し。昔の彼女に何があったのかわからない。だが、今も自分と同じように過去に囚われ続け抜け出させないでいるのかもしれない。
それがいかに残酷で終わりがないかをヤマトはよく知っている。あの指輪が彼女の心を縛りつける起因となるものなのかもしれない。
さざ波に揺れる木々が鬱陶しく音を立てるように心がざわめく。
カタンと時計は1分の時間が過ぎたことを識らせる。
すると身体は自然と立ち上がり扉のある方へと歩を進める。
「悪い、ちょっとヒロミさん探してくる」
「俺も行こうか?」
「いや、タクミはここで待っておいてくれるか?ヒロミさん戻ってくるかもしれないし。最悪下校の時間になっても戻ってこなかったら先に帰っておいてくれ」
おう、わかった、と手を振るタクミを背にヒロミの後を追うようにヤマトは部屋を飛び出す。
渡り廊下から本館へ。授業が終わり誰もいない廊下は酷く静かで窓から射す茜色の夕焼けが嫌な予感を告げているようだった。
自分の教室に行ってみるとカギが掛けられていて中に入ることができない。他の教室はと廊下の端まで見渡すと一番奥の教室だけ扉が開いていた。
ヤマトがその教室の中に入ると電気はつけられておらず窓からの夕日だけが光源となり室内は黒と赤の二色だけの世界を醸し出している。今日に限っては茜色の夕焼けが不気味に思えた。
その中に、蠢く怪奇な人影が見えた。屈んでいるそれは何かを求めるかのように床を這っている。ヤマト一歩踏み出すと足音に気づいたのかむくりと立ち上がる。真っ黒な亡霊は夕日にさらされ段々とその輪郭を明瞭にしていく。
「何してるの、ヒロミさん……」
「ヤマトくん……」
彼女は今にも泣き出しそうな瞳でヤマトを見詰めた。
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